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こまつ座&ホリプロ 音楽劇「それからのブンとフン」を観て感じたこと

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井上ひさしの作品を観るようになって今回で6作目です。最初の観劇は「黙阿弥オペラ」。前に井上ひさしの作品の感想を書いた際に「組曲虐殺」が一番といいましたが、今振り返ってみると、最初の衝撃を差し引いても、「黙阿弥オペラ」が一番だと思います。謹んで訂正いたします。とくに好きだったのは釣りの浪人でした。
次に見たのが「キネマの天地」。これも面白かったですね。作者一流の凝ったドンデン返しの展開が痛快でした。女優陣が豪華でした。そしてインパクトの強かった「藪原検校」に続いて、小品ながらよくできた「芭蕉通夜舟」。

今年に入っては「頭痛肩こり樋口一葉」、そして今回の「それからのブンとフン」になります。まあ短期間によく観たものです。

今回の「それからのブンとフン」は、井上ひさしの初めての小説「ブンとフン」(1969年刊)を、1975年に作者自らが戯曲化したものです。そんな小説や芝居があるとは全く知らなかったのですが、38年ぶりの公演と聞いて、販売開始まもなくチケットを購入。今月20日の観劇となりました。

当日はあいにくの雨で、シアター・ブラバにはすでに劇場入り口の小さい庇の下で雨宿りする観客がたくさん詰めかけて開場を待っていました。
この劇場、現在の水準からいうと本当に設備がお粗末。でもスタッフは親切でした。

今回の芝居は、井上ひさしが、まだ戯曲を手掛け始めた時期の1975年に、劇団テアトル・エコーのために書き下ろしたものです。
話としては、自らの小説「ブンとフン」を基本に、出版後の時代の変化を反映して後日談を書きくわえたものとなっています。

当時は70年安保闘争を挟んで社会は大きく変動していて、オリジナル小説の、ある意味では平和な結末ではとてもその変化に対応しきれないので、後日談を加えて「それからの‥」となったのでしょうね。

演出は、生前から井上ひさしの信頼が厚かった栗山民也。そして主人公の作家フンを演じるのは、意外にも井上ひさし作品には初出演という市村正親ということで、大いに期待しての観劇でした。
シンプルな舞台装置ですが、効果的でいい仕事です。誰かと思ったらアンドレア・シェニエ松井るみが手掛けたとのこと。
この人、現在の日本の舞台公演を多数手掛けていますが、こまつ座でも常連だったんですね。
演奏は朴 勝哲で、手練れでした。

あらすじは、大きく変化した結末を除けば、大部分小説「ブンとフン」のままです。

幕が上がると、舞台は売れない貧乏作家・大友憤(おおともふん・憤慨のフンとのこと)の、文字通り赤貧洗うがごとき暮らしぶりの紹介から始まります。
市村正親、さすがに堂に入った演技で、余裕の客席いじりで笑わせてくれました。この人自体、最近とみにむさくるしさが増加しているので(殴)、今回の役はぴったりでした。

話は、全く売れたことがなかったフンの小説がベストセラーになると同時に、世界中で不可解な事件が次々と起こり始め、その後は「ひさしワールド」全開の奇想天外な話となります。
シマウマのシマが盗まれ、別のシマウマにそのシマが加わってタテヨコ十字模様のシマウマになったり、自由の女神が突然消えたり、奈良の大仏が瞬間移動で、鎌倉の大仏の隣に現れたり、大学対抗ボートレースの最中、競技が行われているテームズ川の水が消えてしまったり、日本中のアンパンからヘソが消えたと思ったら、カエルにそのヘソがくっついたりとか‥。
小説ではこの盗難事件がもっと大規模に多方面に起こっていて笑わせてくれます。

ただし、今回事前に原作小説を手に入れたのは大失敗でした。観劇しながら後悔しきりでした。
というのは、観劇前夜に、予備知識を得ようとそれをかなり読み進んでしまったので、本来ワクワクしながら観るはずの連続盗難事件が、全然面白くなかったのです!(泣)

↑新潮社も商売熱心で公演の宣伝も入れています(笑)。
原作とはいえ、舞台化するに当たってはかなり脚本も変わっているだろうと思い込んだのが大間違い。
省略された箇所はあっても、残された所はほぼ小説どおり。これは辛かったです。話に入るより、両者の違いをチェックする方に関心が行ってしまって白け気分。同時に瞼も下がってきました。(殴)

教訓:長編文芸大作の舞台化などと違って、今回のように作者自らが小説を戯曲化したような舞台は、絶対事前に読んではいけませんね。読むのは観劇後にしましょう。

それでもまだ救いがあったのは、読んだ範囲が半分程度だったこと。(笑)それで、一幕目の後半あたりから気を入れて観劇できるようになりました。うまい具合にそのころから話も俄然盛り上がり、面白くなってきました。

話の筋に戻って、この奇妙で荒唐無稽な犯罪の犯人が、4次元の大泥棒・ブンの仕業とわかってきます。
フンについて小説ではこう書いています。
『ブンとは何者か。ブンとは時間を超え、空間を超え、神出鬼没、やること奇抜、なすこと抜群、なにひとつ不可能はなくすべてが可能、どのような願い事でもかなう大泥棒である』。

その主人公が、突然、小説から抜けだして活動し始めたのです。そしてブンが犯人と分かったとたんに、小説『ブン』はさらに売れて、世界中でベストセラーに。
そしてそれぞれの本から本の数だけブンが出現し、世界は無法地帯になってしまいます。そのうち大泥棒ブンは、形のあるものを盗むことをやめ、人間の見栄、権威、虚栄心、記憶、歴史など形のないものを盗み始めます。ここからが井上ひさしの真骨頂。劇中で「歴史に学ばないのだから、人間に記憶など無用」というのは痛烈です。

小さくて見にくいですが歌詞は↓のとおり
↓プログラムの画像です


いやなやつからいやなところをとったら、残りはいいところばかりになりますね。
悪いやつから悪いところをとったら、善人になるしかありません。
この歌を聴いていて、なんとなく「組曲虐殺」の劇中の「絶望するには、いい人が多すぎる。」「希望を持つには、悪いやつが多すぎる。」「どこかに綱のようなものを担いで、絶望から希望へ橋渡しをする人がいないだろうか。‥いや、いないことはない」というフレーズを想起していました。
まさに「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに〜」ですね。

「全ブン闘」の世界大会のあと、ブンたちの収容されたリゾートホテル顔負けの刑務所に、微罪を犯して入所を希望する多数の人々が押し寄せるというところで終わるのが小説版ですが、「それから‥」では焚書坑儒ならぬフンへの弾圧と作品の発禁処分、ブンが死んでからまたフンが自分の血で執筆活動を再開して、またブンたちも復活していくというところで終わっていました。

その違いは、小説の書かれた時期から戯曲化に至る数年の間の社会情勢の変化を反映しています。あっけらかんとした小説の結末とそぐわないほどいろいろな状況の変化があり、作者自身それを書かずにはいられなかったのでしょうね。
それほど井上ひさしは時代に寄り添いながら、しかもそれに流されることなく根柢にあるものを凝視していたのだと思います。

私のきわめて個人的なツボは、「全ブン闘」の世界大会で「偽ブン」が演説するところ。小説に書かれていて劇では削られていた「日本共産党代々木派(懐かしい!)」に対する野次(これは帰宅してから小説を読んで確認(笑))がなくても、偽ブンが何を指しているのかその場ですぐわかって1人で「異議なし」と笑って観ていました。そのあと偽ブンは刺殺されますから、何とも過激です。(笑)

次に簡単に出演者について。(敬称略です)
まずはフンこと市村正親。
初めに書いたように、最近急速にむさくるしく濃くなってきたという印象ですが(殴)、今回の役はまさにはまり役。彼が井上ひさし作品に初出演とは意外でしたが、作者一流のコミカルな脚本をぴったりの演技で完全消化。楽しんで演じている様子がよく伝わってきました。

あるインタビューで彼は「俳優生活40年目に、井上先生の魂に触れる役に出合え本当にうれしい」と話し、「約40年前に書かれた『ブンとフン』が、今の時代を言い当てていて驚いています。改憲や国民総背番号の話も出る。井上先生の分身のようなフン役、先生の思いがにじむようにやりたいです」と抱負を述べていましたが、そのとおりですね。
今回の観劇で市村正親を改めて見直しました。
↓以下すべてプログラムからの画像です


次に光っていたのがメインのブンを演じた小池栄子。
着物に束ねた髪という作者のイメージ通りだったと思います。スッキリの立ち姿に明瞭なセリフ。テレビドラマ出演でデビューとは思えないほどしっかりした発声で、演技も上々、歌も水準に達していました。初めて眼にした舞台ですが、よかったです。


インパクトがあったのはヒットラーみたいな警察長官の橋本じゅん。うまいです。悪役でも魅力的なのはキャラクターによるものでしょうね。登場しただけで笑ってしまいました。


もう一人大活躍だったのが悪魔の新妻聖子。「‥樋口一葉」の若村麻由美の幽霊といい、今回の悪魔といい、こまつ座の芝居に出てくる魑魅魍魎はどれも憑りつかれたいと思うほど魅力的で蠱惑的です。(笑)
そして歌もびっくりの歌唱力で、大したものでした。歌といえば今回の出演者、みんなうまかったですね。音楽劇だから当然とはいえ、眼福で耳福な舞台でした。


その他、山西 惇や久保酎吉(いい味出していました)、さとうこうじ、吉田メタル、辰巳智秋、飯野めぐみ(猫がなんとも魅力的)、北野雄大、角川裕明、保 可南、あべこ、など芸達者の顔ぶれで、みんな宝塚顔負けの役替わりと早変わりに奮闘していました。そのおかげで役者の数は実人数以上に多く感じました。
でもみなさん、衣装の着替えだけでも大変だったようです。













観終わって、こまつ座が今この芝居を上演した意味について自分なりに考えながら帰途につきました。
芝居の中で「各国代表のブンたち」が語っていたことや、劇中の政府による情報統制の動きと出版物の発禁処分、国民総背番号制、隣国との紛争などなど。井上ひさしが挙げたことは今も何一つ変わっていないどころか、ますます悪くなっていますね。

今回も「面白うて やがて悲しき 鵜舟かな」という観劇でした。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。

次回の観劇は、同じ井上でもいのうえひでのりの「いのうえシェイクスピア 鉈切り丸」。(てか、それ、明日(10月24日!)のことですよ、明日。)
筆が遅くて追いつかず、なかなか更新のお約束も果たせないまま観劇が続きますが、ご容赦ください。m(__)m


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