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入院から二週間がすぎました

よく1月行く・2月逃げる・3月去るといいますが、私にとってはこの1月は本当に長かったです。

でも娘が帰ってきた19日からは、一人であれこれ思い悩むことも少なくなって楽でした。

娘は勤務先が2月から変わるので、その事務手続きと、現在の家の処分と、新しい勤務地周辺での家の購入などで多忙な時期なので、無理して帰ってこなくてもいいと伝えていましたが、やはりFの容態と手術後が心配なのか、19日に帰ってきてくれました。

私も帰らなくてもいいと言ったものの、家に一人でいれば頭の中はFのことばかり。

ほとんど寝られない夜が続いていたので、空港で顔を見たらやはりほっとしました。

その娘も、今日の朝、イギリスに戻っていきました。

でも現在は、一応一般病棟に移り、容態も安定してきたので、あとはどれだけリハビリで身体機能を確保できるかが焦点なので、また一人になっても十分やっていけそうです。

とはいえ、病院の面会開始時間の12時までに家事や雑事を済ませようと、食事の準備や洗濯、掃除などをしていると、不意にFの記憶がよみがえってきたりするので辛いですが。

Fが倒れた翌日に壊れたガス給湯暖房機の交換が、今日の午前中にやっと終わりました。

やはりシャワーでは寒かったので助かりますが、前に書いたように周期的に壊れるのはいかがなものかと思いますね。

(壊れたといえば、23日にはFのベッド近くで使っていた石油ファンヒーターも壊れて、買い替えが必要となったり。)


話は変わりますが、この二週間の間に、ガッカリしたことと、うれしいことがありました。

ガッカリは、Fが「ありがとう」とか「痛い」と言ったという理学療法士さんからの「朗報」でした。

1月23日にその話を聞いた時、到底信じられず、何度も確かめました。

でも、ちゃんとパソコンに記録されていますというので、信じないわけにはいきません。

でも、どう考えても、眼前のFの状態との落差が大き過ぎて、半信半疑どころか二信八疑。

その日は「うれしいけど信じられないなあ」と娘と話しながら帰宅しましたが、翌日病院に行ったら、やはりガセでした。

いつものようにFのベッドに行くと、昨日とは別の理学療法士が近づいてきて、私たちの顔を見るなり「会話したというのは他の患者さんの間違いでした。申し訳ありません」と平謝り。

その後も看護師さんが来て謝罪されたので、こちらも怒る気にもなれず。

娘も「やっぱりね。おかしいと思った」と行っていましたが、一時はひょっとしてとも思ったので、本当にガックリ。


一方うれしいことは、私たち夫婦の古くからの知人である某大学病院勤務の看護師さんが見舞いに来てくれたこと。

脳外科にも13年いたという彼女は、さすがに手慣れた感じでFに接してくれ、やさしく呼びかけたり、手や指をほぐしながら何度も呼びかけてくれました。普段見ることのないプロの姿になっていました。

見舞いのあと談話室で、Fさんはきっとリハビリでよくなりますよと言ってくれ、またこの病院は体制がきちんとしていて、よく見守ってくれているので安心ですよとも言ってくれました。

プロの目で病院をチェックしてくれたのがなによりでした。


30日の夕方看護師が来て、もう点滴は外して、今後は鼻からチューブで腸での栄養補給を始めるといってくれたので、また一歩前進となりました。

でも、私の呼びかけにあまり反応してくれないFの様子を見ていると、まだまだ道は険しいと思わざるを得ません。

担当の先生も、まだ手足は動かないし、目や耳も機能していないので、厳しい状況ですと言っていました。



その夜、帰宅するため駐車場に行き、ふと空を見上げたら、十三夜のきれいな月が輝いていました。

Fも月を見るのが好きで、私がきれいな月が出ているよというと、窓辺に来てよく見上げていました。

またいつの日か、肩を並べて月を眺められる日が戻ってくるだろうかと思いながら、帰途につきました。


帰宅したら、売りに出していた2月の3公演のチケットすべてに買い手がついたとのメールが入っていました。

翌日朝発送するため、準備をしましたが、これまた辛い作業でした。

でも、3月の1公演と5月の2公演のチケットは、まだ売らずに手元に置いておきます。

Fがまだいけなくても、私だけでも行ってみようかと思っているからです。


もう2月になります。

Fにとって、少しでも希望の見える月になってくれればと願うばかりです。




もう立春も間近ですが‥。

最近かなり疲れがたまってきています。

なのでこちらの更新も遅れています。m(__)m

ということでこの三日間の話です。


1月31日(水)はかなり焦りました。

午後1時45分に病室へ行くと、Fはこれまで見たことがないほど息が荒く、手や額も驚くほど熱いのでビックリ。

来合わせた看護師さんに尋ねたら、38度後半ですというのでまたまたビックリ。

「解熱剤は?」と聞いても「それは先生のほうで判断されるので‥」と言葉を濁しました。

看護師さんにはこの程度は日常茶飯事でしょうが、私にとってはFはかなり深刻に見えて、心配になりました。

息が荒いのは口の中が乾燥していることもあるのでと、看護師さんはスポンジで口の中をぬぐって湿らせてくれましたが、やはり熱のほうが心配です。

でも看護師さんは、戻ってから担当の先生に私が来ていることを告げてくれたらしく、しばらくして先生が来て、手足がまだ動かないのでなかなかリハビリは進まないこと、点滴はやめて鼻から栄養補給することにしたが、嚥下障害があり飲み込んだりが出来ていないので、また点滴に戻すか検討中で、熱は軽い肺炎をおこしているのかもという説明でした。

よほど「それで解熱剤は?」と聞きたかったのですが言い出せないでいるうちに、先生は出ていきました。

でもすぐ看護師さんが来て、まず熱を計ってくれました。やはりまだ38.7度ありました。

そして解熱剤を注入してくれたので、ホッとしました。

一気に疲れてきて、休憩スペースで休憩。

しばらくしてFのところに戻ると、呼吸も穏やかになり、額や手に触れるとはっきり熱が下がっているのがわかりました。

言ってみるものですが、言わないとしてくれないのでは不安になりますね。

結局今日は、熱で体の負担が大きかったのか、Fは表情も硬く、ほとんど呼びかけに反応しませんでした。最近ずっとそういう状態が続いているので、このまま前より悪くなってしまうのではと心配しながら帰宅しました。


でも2月1日と2日のFは、よく反応してくれました。

でも1日にベッドに行って顔を見たときはドキッとしました。

Fは顔を左に向け、しっかりと眼を見開いて、じっと何かを考えているように見えました。右目の目頭には涙もたまっていました。

それで私は、ひょっとしたらFは自分おかれた今の状況がわかってきて、悲しんで泣いているようにも見えてショックでした。

もし泣いていたなら意識が戻ったということでもあり、喜ぶべきかもしれませんが、両麻痺の状態を知ったら絶望するしかないとすれば、戻らない方がいいのかと、私もわからなくなってきます。

でも、しばらくしたらFは目をつむって、ウトウトしていました。

その後も私が手の指や腕をほぐしながら呼びかけていると、眼を開いてこちらを見てくれました。

顔を認識しているとは言えませんが、デジカメの液晶画面を眼の前にかざして左右に動かすと、眼で追ってくれるので、明暗差のあるものはわかるようでした。

鼻チューブによる流動食での栄養補給も続けていました。

そして2月2日もFは、ICレコーダーで私の声を聞かせると、それまで閉じていた眼をパッと開いて、よく反応してくれました。

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私もICレコーダーに録音する呼びかけの内容を変えることにし、それまでの名前をただ連呼するだけのものは止めて、Fがだんだん自身の状態を理解し始める時のことも考えて、新バージョンを追加することにしました。

その新バージョンは、今日は何月何日で、Fはいつどこで倒れて、手術して、それがうまくいって一般病棟に移り、今はどういう状態になっているかを説明し、締めくくりはリハビリで必ずよくなると励ます内容のものです。

これを午前中に録音し、聞かせることにしたのです。

もちろん、まだまだそれをFが理解しているとは思いませんが、聴きながら何かに反応しているのか時々目を開いたりするので、可能性を信じて、これからも聞かせていこうと思います。

あと、私の話ばかりではFも嫌だろうと、それまでの麻実れいや姿月あさとの歌に加えて、よく一緒に聞いていたサラ・ブライトマンの曲もたくさん追加録音しました。

麻実れいの歌では「うたかたの恋」、姿月あさとは激情のホセの歌によく反応してくれるように感じます。


今日は理学療法士からFのリハビリ計画についても説明がありましたが、見せてくれたチェックリストではすべて無反応という評価でガッカリしました。腕や手をさわると眼を開けたり、音や光にも反応しているのに評価はなくて残念でした。

でもリハビリはまだ予備段階で、時間も短いので、やはり私が根気よくいろいろ刺激を与えて働き掛けていくしかありませんね。


今日一番うれしかったのは、今日帰宅して、Fが最も信頼していた通所リハビリのD先生に倒れたことを手紙(とても電話では最後まで話せる自信がなかったので)で報告しようと、D先生の連絡先を探している最中に、当のD先生から電話があったことでした。

偶然とはいえ、名前を聞いた時は、びっくりしました。

D先生は、Fが来なくなったのは、去年11月にFが自宅玄関前で転倒したのが原因とばかり思っていたので、1月16日にまた脳出血を再発したと告げると本当に驚いていました。

実際Fも、転倒の影響はほとんど消えていて、2月にはD先生の施設に行けると楽しみにしていました。

D先生は、多忙にもかかわらず近いうちに必ず病院に行きますといってくれました。

私も自分の判断に自信があるわけではないので、ぜひ感想を聞かせてほしいと依頼したら快諾してくれました。

Fは、利用していた2カ所の通所リハの施設利用者に俳句の投句を呼びかけ、集めた句を掲載した同人紙のようなものを毎週それぞれの施設で発行していましたが、D先生の施設で投句してくれていた利用者のみなさんが、長く休んでいるFのことを親身に心配してくれていることも教えてくれました。

ありがたいことでした。


最近疲れと孤立感で、時々挫けそうになったりする私ですが、こういう話を聞くと明日もまたがんばろうという元気が湧いてきます。


今日で入院3週間。一進一退の日々です。

2月に入って、もう立春も過ぎましたが、昨日今日はまた寒波の影響で、本当に寒いです。
それでも、玄関前の紅梅のつぼみも膨らんできて、季節はノロノロとした足取りでも、確実に動いているように見えます。

最近は疲れがたまってきて、今日も病院に行くのが遅れ、Fのベッドに着いたのは午後1時40分でした。

最近Fは、血腫を取る手術も癒えてきたので、それまでかぶっていた帽子が外され、ボサボサになった髪の毛が目立つ痛々しい姿になっていました。

でも今日は、Fの顔が、今まで見たことがないほど悲痛な表情になっていたので、一目見て胸を突かれました。

顔を左に向けて、眼を大きく見開いて、じっと一点を凝視しているかのような姿を見ていると、私にはFが自分の今の状況がよくわかっていて、それを嘆いているとしか思えませんでした。

ドキッとしました。

額や手に触れると熱もあり、痰を吸引しに来てくれた看護師さんに聞くと、37.1度とのことでした。

それでもFは、私が声をかけると眼を向けて、顔も少しこちらに向けてくれました。

でも眉間のしわは深く刻まれたままで、悲しそうな表情は変わらず。

私も、いつものようにICレコーダーで声を聞かせるような気にはとてもなれず、なんとか表情を和らげようと話し続けました。

やがて少し表情も緩んできて、私の問いかけにも瞬きでこたえてくれて、ようやくほっとしました。

数日前から、私が「聞こえているね、聞こえていたらパチッとして」というと、Fはパチッとしてくれるようになっていました。

初めは偶然かと思いましたが、普段はあまり瞬きをしないのに、私が問いかけるたびにパチッとしてくれるので、間違いなく理解できるようになっていると思います。

そう思ったもう一つの出来事は、前回のD先生からの電話のことを録音して2月3日に聞かせた時、先生の名前のところで突然Fが大きく眼を開き、息を荒げたからです。

でもそれは、自分の手足が前のように動かず、声も出せない状況を理解し始めたということでもあります。

それで、何か考え込んでいるような暗い表情になっていたのでしょう。

前回書きましたが、数日前にも、Fは顔を横に向けて、右の目頭には涙もためて、じっと凝視しているのを見て、ひょっとして理解し始めたのではないかなという恐れも感じたのですが。


いたたまれない気持ちで、私がFの手を取って慰めたり励ましたりしていたら、やがてFは疲れてきたのか眼を閉じて、ウトウトし始めました。

それでもまた不安になるのか、周期的に眼を見開いたりするので、「ずっと横にいるからね」「必ずよくなるからね」と声をかけ続けていたら、ようやく眼を閉じて眠ってくれました。

私も緊張がほぐれて一気に疲れがでて、休憩室へ移動しました。

40分ぐらいぼーっと休んでから、Fのところに戻ると、体の向きを変えてもらっていました。

まだうつらうつらしている様子でしたが、声をかけると眼を開いて、じっと見返してきました。

でも時折その眼をそらして、どこか遠くを見るような表情をしたりするので、意識が戻ってきたという嬉しさの一方で、どうしたら絶望からFを救えるのかがわからない私の無力さを痛感していました。

Fはまだ、眼の前に手をかざしても追わない時もあるので、視覚はまだ十分戻ってきたわけでもなさそうですが、耳は間違いなく聞こえていて、私の話す言葉も理解できつつあるようです。何か話そうとするのかウーウーと声をだす時もあります。

そうだとすると、もう単に一方的に呼びかけるだけでは不十分ですね。

どのようにしたら、Fの今の気持ちをケアできるのか、恐怖や悲観を和らげて、リハビリへと心を切り替えてもらうにはどうすればいいのかが問題になってきます。

私にはまだその方法は見つかりません。

でも、Fはやさしさとともに極めて理性的な女性です。手探りででも、Fにさらに寄り添って、辛くてもなんとか自分で乗り越えていってくれるように、支えていく方法を見つけたいと思います。

午後6時になって、ようやくFは、いつもの穏やかな顔になって眠り始めました。

しばらく目を開けないか見守ってから、私は駐車場に向かいました。


早く春の日差しと温もりが、Fの心にも訪れるようにと願わずにはいられない1日でした。







1か月が過ぎて、でもまだ春は見えません。

Fはずっと微熱が続いています。

微熱といっても38度以上、時には38.7度もあったりします。

もっと気がかりなのは、やはり意識が戻ってくる兆候がまだ感じられないこと。

手足は動かないし、声も出せない状態です。

熱があまりなくて調子のいい時は、顔の前でスマホの画面など明るいものを左右に動かすと、眼で追ってくれますが、まだ見えているとはいえません。

聴覚も、声によく反応するときとそうでないときがあり、聞こえていても本当に意味を理解しているかどうかはわかりません。

以前HCUにいた時、私や娘が声をかけると心拍数や血圧の数値が上がったので、わかってくれていると思っていましたが、一般病棟に移った最近は、そんな反応も確認できず、自信が無くなりました。

ICレコーダーの音声で働きかけても、反応するときとしないときがあって、一様ではありません。

ただ、右の腕や手のひら、二の腕を撫でるとはっきり反応します。

ウトウトしていても触るとパッと眼を開けるので、感じていることは間違いありません。

14年前の、左側の脳出血の時は、右半身は全く無反応でした。

それと比べたら、今回は右側の出血なのに左手や足が反応しているので、完全に脳とのつながりが切れたわけではないと思っています。

でも1か月を過ぎた今、それ以上の進展がないので、それもただの希望にすぎないのかとぐらついてきます。

そして今日、いつもの時間に病室に行ったら、担当の先生に改まった様子で「お話しがあります」と声をかけられました。

ドキッとしました。絶対いい話なわけはありません。

避けるわけにはいかないので、まさに「俎板の上の鯉」の心境で先生のもとに行きました。

胃瘻手術の打診でした。

Fは以前から、自分の父親が、Fと同じ病気(というか、Fが父親から遺伝性の高血圧体質を受け継いでいたのですが)で長期間寝たきりになっていたのを見て、胃瘻と人工呼吸での延命は絶対嫌だといっていました。

私もそれは知っていたので、先生からその話を切り出されたときは本当にショックでした。このまま咀嚼機能が回復しなければいつかは来るとは思っていましたが、まさかこんなに早く?とも思いました。

先生は栄養摂取の方法として、もちろん現在のように鼻からチューブで胃に流動食を流し込む方法を続けることも可能だが、先のことを考えると胃瘻も検討してほしいということでした。

そして、今回胃瘻の検討をお願いするのは、(Fが嫌がっていたような)消極的な延命治療の一環としてではなく、今後もリハビリも継続するし、口から食物や水分を取れるようになったら胃瘻もやめられるので、積極策として考えてほしいとのことでした。

また現在の鼻のチューブでの栄養摂取は、チューブが口から食道を通って胃に入っているので本人の負担にもなっているということもわかりました。

そして先生は、今後も病院としてリハビリを続けるが、それでも身体機能に改善がなく、口からの栄養摂取が不可能であった場合、自宅での介護や施設での介護いずれを選択するにしても、鼻からのチューブより胃瘻のほうが安全に容易に介護できるといって、話を終えました。

最後に、まだ少し時間があるので、これからいろいろ相談されてから結論を出してほしいといわれました。

先生の説明はよくわかりました。

でも、そうはいっても、やはりこれは難しい話です。

私はまだこれからよくなってくれるだろうと淡い期待を抱いていた矢先だったので、厳しい現実に直面して、また落ち込んでしまいました。

病室に戻ってFの寝顔を見ていたら、最近とみに弱っている涙腺が一気に崩壊しそうになりました。


暗澹とした気持ちで帰途につきました。


ガレージを出て、家に入る前にふと玄関わきを見たら、紅梅が一輪、咲いていました。
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落胆した私をFが励ましてくれているようにも思えて、しばらく梅の花に見入ってしまいました。

初めての車椅子リハビリでした

昨日の2月16日、病室に行くと、Fは体を起こされて、鼻チューブから流動食を入れてもらっていました。

でもその姿勢は極端に左に傾いていて、首が直角に左下を向いて、苦しそうに眼を開けていました。

見かねてなんとか枕の位置を調整し、姿勢を起こしてやると、楽になったのか、ウトウトし始めました。

鼻チューブはそれまでの左から右に変えてもらっていました。

しばらく見守っていたら、私も眠くなってきたので、休憩室に行きました。

しばらく休んでからパソコンで日記を書き始めたら、「こんにちは」という思いがけない声。

驚いて顔を上げたら、Fが週二回利用していた訪問マッサージのU先生でした。

直接病室に行ったが、リハビリ中だったのでこちらに来たとのことでした。

U先生とFとはもう10年以上のお付き合いです。

Fは、週二回のマッサージ中に、U先生と宝塚やミュージカルの感想を語り合えるのを楽しみにしていました。

なので私も、もし病院に面会にきてもらえたら、Fにもいい刺激になるのではと淡い期待をしていました。


U先生は、Fが倒れる前日の1月15日にも訪問マッサージに来てくれて、Fの元気な姿を見ていただけに、まさかのFの姿に驚いていました。

その場で入院からの経過などを説明していたら、なんとFがリクライニングの車椅子で休憩室(広いスペースを利用してリハビリにも使用しています)に来たのでびっくり。

担当の男性の理学療法士さん二人がついてくれていて、「今ちょうど熱が下がっていたので、やってみました」とのこと。

急いで傍に行って声をかけ、U先生にも声掛けをお願いしました。

彼女は、

「Fさん、Uです。Uです。Fさん、わかりますか。早く良くなって、また私を呼んでくださいね。ずっと待っていますからね」

とやさしく呼び掛けてくれました。

ただFは、車椅子に乗せられている違和感のほうが強いのか、眼を開けていたものの、あまり反応しませんでした。

その場で理学療法士が血圧を測ってくれましたが、100を切っていて安定していました。

とにかく私は、入院以来初めて、ベッドで横たわっている姿以外のFが見られて大感激でした。

理学療法士さんはしばらくFの様子を慎重に見ていましたが、「今日は初めてなので、このくらいにします」といって、まもなく病室に戻っていきました。

リハビリが終わったのを見計らって二人で病室に戻りました。Fは穏やかな顔をしていました。

またU先生が声をかけてくれました。

今度は、Fも呼びかけにはっきり答えてくれて、眼を開けました。

うれしかったです。

心のこもったFへの呼びかけに私まで癒された思いでした。

帰り際にU先生は、「この病院の近くにも仕事で来るので、またお顔を見に伺います」ともいってくれました。


まだ言葉も出ないし、手足も動かないし、眼で見えているのかどうかも正直わかりません。

でもこの日、私がFに呼びかけているのを見て、理学療法士さんは「Fさんは間違いなくご主人の声には反応していますよ、わかっていますよ」と言ってくれました。

そして、車椅子のリハビリも、これからもっとやっていきますといってくれました。

ありがたかったです。

帰る前にもう一度Fの名前を呼ぶと、はっきり眼を開けてくれました。また、玄関わきの梅が咲いたよと言った時も、眼を大きく開きました。

そのあと、ICレコーダーで音楽や私の声を聞かせていたら、ウトウトし始めました。寝入ったのを見てから、私も帰ることにしました。


なかなか進展が見られず塞ぎがちになっていたのですが、この日ばかりは、まだまだ先と思っていた車椅子体験と、U先生の面会に励まされました。

帰宅して、途中のスーパーで買った小松菜に人参と椎茸、厚揚げを加えて煮物を作り(Fと一緒に作っていた我が家の定番の一つです)、作り置きしてあった具沢山の味噌汁と、同じく粉吹き南瓜、Fがキッチンエールに注文していた冷凍のレンコン饅頭と、レタスとトマト、ハムのサラダで夕食にしました。

久しぶりに気持ちよく食べることができました。


ここ数日の大阪は、寒波の影響もなく暖かい日が続いています。

玄関のプランターでは、Fが通所リハでもらってきたバイモが大きく伸びてきて、庭のコデマリの若葉の芽も顔を出しました。

行きつ戻りつしながらも、季節は間違いなく進んでいるようです。

観たかったもの

週一回日曜日と決めている我が家の掃除中、Fが使用していた電動ベッドの横の、小物入れの小さいタンスの上に、演劇関係のパンフレットが置いてあるのを見つけました。

Fが観劇するつもりで置いていたのでしょう。

パンフレットは公演日程順に並べてビニール袋に入れてありました。

一番上にあったのが「マタ・ハリ」。柚希礼音のミュージカルですね。
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梅芸メインホールでは1月21日から28日までの公演ということで、もう日はなかったのですが、Fはよくチケット仲介サイトを見ていたので、いいチケットがないか物色していたのでしょう。

その下にあったのが、轟悠主演のシアター・ドラマシティ公演の「ドクトル・ジバゴ」。
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裏を見たら、公演日程の「2月8日(木)12:00」のところを緑のマーカーで囲っていました。観る気満々でした。
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これもひそかにチケットを探していたのでしょうね。

以前、たまたまリーズナブルなチケットが売りに出ていたので、手に入れて観たのが同じ轟悠の「第二章」で、それが予想以上に良かったので、また観たくなったのでしょう。

でもこの2枚のパンフレットのことは、私は全く知りませんでした。まあいつものことで、チケットを見つけ、私に買う手配を頼むというパターンで、日程はすべてFが決めていましたからね。

その下にあったパンフレットが、梅芸では4月の公演になる花總まりの「Romale ~ロマを生き抜いた女 カルメン」でした。
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このパンフレットは私も見ていました。彼女が私に見せながら、「絶対観るからね」と何度も言っていましたから。

その中に、来年の公演になる「マリー・アントワネット」のパンフも挟み込んでありましたが、これは初めて見ました。やはりFにとって、花總まりは別格の存在でした。
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その下にあったのが、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」。早霧せいなの退団後初の主演ミュージカルですね。
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Fの早霧せいなの評価は、「歌はちょっと微妙だけど、演技力は抜群!」と高評価でしたから、当然観るつもりだったのでしょう。5月19日からの公演日程で、一般発売日が2月17日、そう、昨日でした。

ミュージカルで歌が‥‥というのもどうかとは思いますが。(殴)

そして次は、朝夏まなとの「マイ・フェア・レディ」。
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Wキャストながら、退団後の初舞台(かな?)なので、私にパンフレットを見せながら、なんとかチケットが手に入らないかなと言っていました。

一番下にあったのが、「タイタニック」でした。霧やんと安寿ミラが出るので観ようと思ったのでしょう。
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パンフレットの中には、もう終わってしまった公演もあります。

でも、Fのその時の気持ちを考えると捨てられませんでした。


残る公演のうちの一つでも、Fと観に行けるようになればと思いながら、パンフレットを元の位置に戻しました。

私の手元に、Fが楽しみにしていた兵庫芸文センターの3月公演のチケットがあります。

2枚とも処分するか、1枚残して私だけでも観てくるか、先延ばしにしてきた決断の期限が迫っています。

私たちにも、ようやく春がきてくれました。

もう3月になろうとしています。

昨日、近くの公園に、春の兆しを探しにいきました。

なにか春の予兆があれば、スマホで撮ってFに見せようと思ったのです。

そしたらなんと、もう土筆が生えていました。

それももうかなりトウの立った、長く伸びた土筆が何本も生えていました。

今年の冬は本当に寒かったので、土筆がもう出てきているとは思いも寄らず、うれしかったです。

でも、今日病院に行ったら、さらにうれしいことが待っていました。


今日、いつもの通り病室に行ったら、Fは久しぶりに穏やかな優しい表情で迎えてくれました。


実はその前の2月25日も、Fの表情は穏やかで、痰も少ないのか呼吸も静かで、私が右手でベッド横の収納庫の扉に貼った写真を指さしたら、その写真をじっと見てくれたり、別の写真を眼の前にかざして私が説明すると、視線を動かして見入ってくれて、うれしい1日でした。

うれしくて、いつも心配してくれている友人たちにも喜んでもらおうと、そのことをメールで知らせました。

ところが、翌26日と、翌々日の27日はあまり反応してくれず、ちょっとガッカリ。

でも一直線に良くなるわけはないと気を取り直し、今日も病院に向かったのですが、今日はまたFは25日同様のいい反応をしてくれました。

語りかける内容にじっと聞き入るような様子で、私の顔を追うように視線も動くので、疲れを全く感じず、ずっとFに話しかけ続けました。


しかし今日は、もっとうれしいことが2つもありました。


午後3時ごろ、看護師さんが痰を吸引しに来てくれました。

以前から見舞っている私によく話しかけてくれる看護師さんで、気さくに明るく励ましてくれるので好印象でしたが、その彼女が、私に伝えたくてたまらなかったというような笑顔で、
「今日午前中に痰の吸引をしていたら、突然『いーたーい』と言ってくれましたよ」
と教えてくれたのです。

以前、まだHCUにいた時に、別人の話でぬか喜びさせられた経験があるので、一瞬本当かなとも思ったのですが、聞いたのは看護師さんだけではなく、その場に居合わせた言語療法士二人(一人は課長とのこと)もはっきり聞いていて、昼の打ち合わせの場でも報告されたとのこと。

もうびっくりで、同時にうれしくて、吸引が終わってまだ苦しそうにしているFに、「声を出してくれてありがとう、ありがとう」と何度も話しかけてしまいました。

これまでも、「あー」とか「ううー」と何か話そうとするようなそぶりはあったのですが、はっきり言葉を発したというのは初めてで、本当にうれしかったです。

さらにうれしかったのは、帰り際に、Fがはじめて感情を露わにして泣いてくれたことでした。

今日の天気予報では、夕方爆弾低気圧の影響で天気が急変するということだったので、5時になってFに

「もう今日は帰るからね、また明日来るからね、寂しいだろうけど辛抱してね」と話しかけた途端、突然泣き出したのです。

声こそあげなかったものの、それまでの穏やかな顔を急変させ、悲しそうに泣き出したので、胸を突かれました。

あわててFをなだめていたら、だんだん泣き顔を収めてくれました。

Fが泣いたのは衝撃的でしたが、私が帰るといった言葉を理解して、それが悲しくて泣いてくれたことは本当にうれしくて、感動しました。

1月16日の緊急入院以来、はじめてFと気持ちが通じ合えた思いでした。

立ち去りがたい気持ちが募りましたが、ちょうどその時スタッフさんが体を拭きにきてくれたので、それを機に、後ろ髪を引かれる思いで病棟を出ました。


もっと喋ってくれるようになったら、嚥下機能も向上してくれるでしょう。

そうなれば、胃ろうと並行して、口からの栄養摂取もできるようになるだろうし、体力もついてくるだろうと思います。


やっと、春の到来が実感できた1日でした。


玄関わきの梅も、いつの間にか5分咲きになっていました。

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チケットを売ることにしました。でも1枚だけ。

2月28日はうれしいことが2つもあって、気持ちも楽になったのですが、昨日3月1日はFも疲れたのか、ウトウトすることが多く、私もすこし手持無沙汰でした。

でも、私が空模様を確かめようと窓のカーテンを開けると、Fもすぐガラス越しの空を見上げてくれたりするので、周りのことがよく理解できているのは間違いありません。

ただ、最近のFの様子を見ていると、やはり回復が一直線に進むのではないことも確かです。いい反応をしてくれる日もあれば、あまり反応してくれない日もあります。

今日、どうするか処分を決めかねていた3月のチケットを処分することにしました。


2月の、宝塚を含む3公演のチケットは無理がわかっていたので、早々にFの知人に譲って代わりに観てもらったり、仲介サイトで処分したりしました。

3月は、宝塚の予定はなく、兵庫芸文センターの公演を1回観劇するだけの予定でした。

でもその公演は、久しぶりの兵庫芸文センターでのこまつ座の舞台だったので、Fは本当に楽しみにしていました。

私も観たかったし、ひょっとしてFも行けるかもと淡い期待もあったので、そのチケットは手元に置いていました。


でもまだ無理です。

車椅子に乗る練習でさえ、ようやくごく短時間のを2回やっただけですからね。

それで、私の周辺で一緒に観てくれる人をさがしましたが、平日とあって、どなたも無理でした。


そうこうしているうちに、仲介サイトへの掲載期限も迫ってきたので、とうとう今日、Fの分だけ売りに出すことにしました。

仲介サイトにログインして、掲載手続きをしました。簡単な手続きなのですぐ終わりました。

手続きを終えて、サイトに間違いなく掲載されているのを確認して、手元のチケットが入っていた封筒を見たら、コンビニの払い込み領収書も出てきました。

チケットと一緒にFが保存していたのですね。

レシートに記載された日付は、去年の11月13日になっていました。
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その日付を見ていたら、突然涙腺が崩壊しました。

観劇の日が来るのを楽しみにしながら、大事にチケットを保管していたFの気持ちまで、私が売りに出してしまったような気がして、涙が止まらなくなりました。


最近つくづく、自分がこんなにも感傷的な人間だったかと嫌になります。こんな調子だと、ちゃんと劇場にたどり着けるのかと不安にもなったり。

でも、この数日間の様子を見ると、Fが私の話を理解し始めていることは間違いありません。

なので、前にもここで励ましていただいたように、観てきた感想をFに報告したら、彼女も聞いてくれるのではと思いなおしました。

観劇して、なんとか感想をまとめられたら、ここにも載せることにします。またご覧頂ければ幸いです。まだ全然自信はありませんが。


これから病院に行ってきます。

今日はどんなFに会えるだろうかと、期待と不安がない交ぜになった気持ちで、いつも病院に向かっています。



転院してもうすぐ二週間です。

毎日の面会でやはり疲れもたまってきて、更新が出来ないままもう4月になってしまいました。

玄関の椿はいつになく多い花を咲かせました。

Fは3月26日に病院も変わって、新しい環境でリハビリを受けています。

まだ声が出ないし、手足も動かない状態です。でも、聴覚と視覚はかなり戻っていて、声掛けにもよく反応し、私の動作や話す内容に即して眼を動かしています。

前の病院は急性期専門病院なので長くはいられず、胃ろうが完成した時点で退院となりました。今入院している病院はそこで紹介されました。事前に見学して、医療関係の知人などの評判も確認して、入院を決めました。というか、自宅の近くには他に療養型病棟のあるところがないので、実際は選択肢がなかったのですが。

でも、結果的には転院してよかったです。なによりリハビリの内容が段違い。

転院後初めてのリハビリに立ち会って、目からうろこでした。

まずFの状態を事前チェックしてから、手足を動かしたり、首がのけぞった状態になっているので首周りの強ばりを緩めるマッサージをしてくれたのですが、それが丁寧でかつダイナミック! 汗をかきながらやってくれています。 

手足を大きく動かしながら念入りに各関節をマッサージしてくれたり、積極的にベッド端に座らせて起きた姿勢に慣らしてくれたり、車椅子を利用したリハビリも、ただ乗せるだけではなく、手足や首を動かしながら姿勢に慣らしていくといった濃い内容で、前の病院の緩いそれと比べてあまりにも差がありすぎで、愕然としました。

ただ病院としては同じような感じで、やはり細かいところはこちらが言わないといけませんね。

たとえば以前から拘縮が強い右手は、爪が伸びると掌に食い込んで傷がつくので、よく爪を切って普段からハンドタオルなどを握らせたり、ずっと握りしめているため手の中に垢がたまりやすいのでこまめに拭いてもらうとか、体温調節がまだうまくできないので、手と体が密着していると熱がこもって汗で寝間着が濡れるのでタオルなどを挟んでもらうといったことは、言わないとだめでしたね。

でも言ったら、その後はずっときちんと引き継いでやってくれています。ただ爪切りは私の仕事になっていますが。(笑)

前の病院では、2か月余りの入院でたった一回だった(微熱が続いていたせいもありますが)入浴も、昨日微熱はあったものの、汗がひどいからと体調に注意しながら入れてくれました。

担当してくれている男女のPT(理学療法士)さんは二人とも本当に熱心で意欲的で信頼できますが、やはり1コマ20分ですから、私もFの手足を少しずつ動かしたり、手足の指をゆっくりもみほぐしながら関節の可動範囲を維持するようにしています。

ICレコーダーでの語りかけや、音楽でリラックスさせたりも続けています。

この3か月弱、毎日病院に通って、Fの手足を動かしたり、声を出すよう呼びかけ続けている私は、家にこもって出てこない人に、ドアをノックして出てくるよう呼びかけている人のようにも思えてきます。

でもあきらめません。これからもずっとドアをたたき続けていきます。

上に書いたように、目に見える前進はまだあまり見られませんが、2月に比べたら3月はよく反応する日がずっと増えてきました。

この病院も、「ここでの入院は3か月が限度です」と手続き中に宣告されています。

なんとかこの限られた間に、もっと回復してくれるようにと祈りながら毎日通っています。


玄関のブルーベリーもよく蕾をつけてくれました。実ったらFにも食べさせてあげたいです。
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血圧計が高血圧の原因?

毎日病院に面会のため通うようになって、Fの血圧測定や検温を見ていて、私も自分の血圧が気になってきました。

前に胃ろうのことで相談した知人の看護師さんから、「K(私めのことです)さんの血圧はどうですか」と聞かれたことも一因でした。

それでどのくらいだろうと、自宅の血圧計で測ってみました。
Fが毎日寝る前に測っていたもので、某通販会社のカタログで見つけて、3年前に買い替えたものです。

で、測ってびっくりでした。

何度測っても、いつ測っても、上は低くて140後半、ほぼ150台をキープで、下も90台と、どこに出しても恥ずかしい高血圧です。(殴)

焦りまくりました。

これでは、私も診察を受けて降圧剤を処方してもらわないと危ないかなと思いながら、でもずるずると診察を受けずに過ごしていました。

というのは、リタイア前に受けていた職場の定期健診では、高くても120/80ぐらい、130台になることはまずなかったので、イマイチ納得できなかったのです。

でも年も年だし、特にこの間はずーっとストレスがかかりっぱなしなので、いつのまにか高血圧になっていたのかと憂鬱でした。

そんな中、3月31日に、その5日前に転院してきた今の病院の待合室に、大きな血圧計が設置されているのに気づきました。

近づいてよく見ると、どなたでもご自由にという感じで、測り方なども説明してあります。測定結果もプリントアウトしてくれます。
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ということで、少し不安でしたが試しに測ってみることにしました。

家より高い数値が出たらもっと怖いなと思いながら腕を差し込んで、スタートボタンを押しました。

結果は‥‥。
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えっ低いじゃん!ということで、もう一度測ったらさらに低い!(笑)

うれしかったですねぇ。と同時にやっぱりなぁとも。

ところが、その日面会を終えて帰宅して、家の血圧計で測ってみたら依然として高いまままです。

これはおかしいと思って、某日の面会時に血圧計をもって行き、病室に行く前に2台で測って比べてみることにしました。
幸い、私が面会に行く時間帯の待合室はいつも無人状態です。(笑)

その結果がコレ↓
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最高血圧では20くらい持参した血圧計のほうが高く表示されています。最低血圧でもはっきり差があります。

「ドイツメーカーの製品で、測定方法も正確です」という通販会社のうたい文句を信じて買ったのに、こんな結果でもうガックリですね。まあそれ以上に安堵感のほうが大きかったですが。(笑)

ただ、病院の機械が本当に正確なのかという疑問と、自宅でも気軽に測りたいというのもあって、病院からの帰途、家電量販店に寄って、血圧計を買いました。(まあ何のかんの言っても、ただの物欲降臨なのかも。(殴))

でも小さいですね。
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新しい血圧計は手首式にしました。冬でも気軽に測れるのが便利そうで。でも血圧計の位置を検出するセンサー内蔵で、心臓の高さで測るように促してくれるので、数値は信頼できそうです。

早速夕食後に測ってみたら、やはり正常値の範囲。病院を出る前に諮った数値とも大差はありませんでした。

念には念をと、その血圧計をまた病院に持っていって、比べてみました。(しつこい!!)

結果はせいぜい数パーセントの差でした。

ただ、低いといっても130台と、若い時よりは確実に高くなっているので、毎日測ることにしました。

でもね。オーバー表示だった元の血圧計(Made ㏌ Chinaですが)で、ずっとFの血圧を測り続けてきたのですが、高くても150を超えることはまずなかったので、降圧剤はよく効いていたのでしょうね。


それでもFの血管は耐えきれませんでした。

一回目の脳出血の後、それまで以上に健康には気を配っていたFなのに、遺伝的体質とはいえ、本当にかわいそうでなりません。


今になっても、愛用していた装具と杖を見るたびに、涙があふれそうになります。


「シャンハイムーン」の遅すぎる感想 でも観てよかったです

先月の話ですが、1枚売りに出した『シャンハイムーン』のチケットは、結局売れずじまいでした。

公演一週間前でも売れる気配はなく、「郵送」では間に合わないタイミングになり、「手渡し」に替えても売れず。

そうなる前から、購入価格を下回る価格設定にしていても売れず。

このドキドキ感、観劇に出かけて、予期しない交通渋滞に巻き込まれて、開演時間に遅れそうなときの絶望感とよく似ています。(笑)
もちろん私より高い価格を維持していた他の方々も「枕を並べて討ち死に」必至(殴)。

買い手が現れたら登録しているメールに通知が来るので、いちいちチェックしなくてもいいのに、つい仲介サイトを見てしまう日々。そして他の人も売れていないのを見てプチ安心したり。(殴)

いつもは入りの良いこまつ座公演でも、主人公が魯迅ということで地味な印象となり敬遠されたのでしょうか。

いよいよ切羽詰まってきて、でも無駄にするのも勿体ないしと、思い余ってイチかバチかで観劇ボランティアを急募。(笑)

2日前なのでまず無理だろうと思いながら、唯一の心当たりに電話したら、なんと快諾の返事!

言ってみるもんですねぇ。散々迷いましたが。

そして当日、貴重な有給休暇を使って、劇場に来てくれました。やさしさが身に沁みました。

で、舞台のほうですが、無理して観て良かったです。

やはり井上ひさし流の味のある脚本、それを十二分に活かす手練れの栗山民也の演出、それにこたえる野村萬斎と共演者の好演で、久々の観劇でしたが、終わってみれば迷わずにスタンディング。(迷う時も多々ありますからね(笑))

ここしばらく病院と自宅の往復に明け暮れていた生活がリフレッシュできました。

私も魯迅が主人公とは、一体どんな展開になるのかと思いながら劇場に向かったのですが、プログラムで魯迅役の野村萬斎が書いているように、「衛星のように登場人物達が魯迅の周囲を回」りながら、極めて人間臭い魯迅とその周辺の人々を紹介する話になっていました。
冒頭の魯迅の手紙を6人の出演者が次々に読む場面は井上ひさしならでは。なぜか「イーハトーボの劇列車」を思い出しました。舞台装置もよく作りこまれていてリアル。
以下、いつもの薄味の感想です。敬称略です。
(画像は当日購入したプログラムから)

野村萬斎は、以前観た「藪原検校」の、酷薄非情な主人公・杉の市とは全く対極になる魯迅を漂々と演じていて新鮮でした。

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医学生だったのに大の医者嫌いで、しかも頭痛もちで痔持ちでもあり、右足は神経痛で常に痛んでいたという魯迅を、抑えぬいた演技で人間味豊かに演じていました。

魯迅の相手役・許 広平役の広末涼子ですが、映画でその演技力は知っていたものの、舞台はまた違う演技が求められるので、興味津々でした。
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でもベテランぞろいの共演者に伍して、セリフもしっかりしていて、感心しました。女性運動家で知的な広平が、時折魯迅の最初の妻・朱安に抱いている複雑な心情を見せたりする場面は丁寧な演技で、見ごたえがありました。
ただ、けっこうコロコロした舞台姿(殴)で、私はてっきり細身の体型だとずっと思い込んでいたので、意外でした。

内山書店の店主内山完造の妻・みき役は鷲尾真知子。
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こまつ座の作品は彼女に合いそうな役が多いと思うのですが、初めての出演ということでこれもちょっと意外。

プログラムで彼女自身が書いているように、下町の、下宿の世話好きなおばさん的な役で、辻萬長演じる内山完造との息もぴったり合っていて、人情味あふれる夫婦でした。客の顔を見るとまめまめしくお茶を入れる姿が印象に残りました。(ただ少しセリフが滑ったところもありましたが)
でも、この人の夫が故・中嶋しゅうだったとは知りませんでしたね。まだまだ知らないことが多いです。

土屋佑壱は歯医者の奥田愛三役です。
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この人、2015年に観た「國語元年」では「土屋佑一」でしたが、その時はあまり印象がなく(殴)、今回プログラムを読んで出ていたことがわかったのですが、今回はバッチリ。

洋行帰りでけっこうアグレッシブでキザな歯医者だが、複雑な過去も抱えているという、おいしい役です。

この歯医者と好対照なのが、山崎一が演じる須藤五百三。
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苦労人の町医者で、内山夫婦とともに献身的に魯迅を支えています。役にぴったりのキャラクタで、のびのびと演じていて、味わい深い人物になっていました。「太鼓たたいて笛吹いて」の加賀四郎や「組曲虐殺」の特高刑事でも独特の存在感があって印象に残りました。後半でこの人が、
「日本人にもいろいろいる。中国人にもいろいろいる。日本人は、とか、中国人は、とか、ものごとをすべて一般化して見る見方には賛成できんぞ」というセリフがこの作品のすべてを象徴していました。今の世相に最もふさわしい言葉です。

そして内山完造を演じた辻萬長。
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初演では須藤役で、井上ひさしが当て書きしたとのことですが、今回の内山完造もぴったりで、魯迅の人となりと作品にぞっこん惚れ込んでいる愛すべき人物を自然体で演じていました。書店の店主として魯迅に対してもいろいろ思うところがあるけれど、それは内に秘めて、とにかくひたすら尽くすという好人物で、登場するだけで場が和らぎました。
この人はこまつ座の多くの作品でお目にかかりましたが、私的には「イーハトーボの劇列車」の賢治の父親役と思想警察の刑事の二役がすごいインパクトでした。

ということで、久しぶりの観劇でしたが、病院通いの毎日とは全く違う世界が見られてよかったです。

次の観劇は新国立劇場の演劇公演「1984」です。これはFが観劇するのはまだ無理ですが、なんとか私だけでも観ようとチケットを処分せず。
そしてタカラヅカは、残念ながらチケットの先行販売の方法が変わって取れなくなり、観劇の予定はありません。(泣)

でも、Fの観たがっていた、兵庫芸文センターでの「大人のけんかが終わるまで」は、チケット先行販売のメールが来たので、なんとかFが車椅子で観劇できればと、リハの目標設定のつもりで先日購入しました。
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最前列の席なので、車椅子に乗れるようになったらなんとか観劇できるでしょう。

チケットをゲットしてから、Fにそれを伝え、パンフレットも見せたら、じっと見てくれました。
それ以降、Fに頑張ろうねとずっと話しかけています。

もしその時点でまだ行ける状態になっていなかったとしても、私だけでも観て感想を報告しようと思います。




久しぶりに連れ出してみました

去年の4月に、Phantom2で桜吹雪を空撮しに行ったとき以来、Spadaはガレージの隅に置かれたまま。

病院通いはAddress110かDio、雨の日はプリウス。

Spadaでは荷物も入らないし、交通手段というより趣味性のほうが大きい存在なので、病院通いに乗るのは不謹慎、みたいな罪悪感もあって、まったく出番はなくなっていました。

でも最近になって、なんとか気持ちに余裕が出来てきて、天気もいいし、気分転換を兼ねて乗ってみようかと思い立ちました。

といっても午後は病院に行くので、調子を見がてら自宅周辺の山道を軽く10kmぐらい走ってみることにしました。

走るのは1年ぶりですが、Fが倒れる半年ぐらい前に、一度エンジンはかけたことがあります。

長く乗っていなくても、バッテリーはフロート充電+パルサーで常時フル充電状態。

なので、いくらでもセルの長回しができます。

セルボタンを押したら、初めはチョークを引いていてもなかなかアイドリングが安定しなかったのですが、5分ぐらいで気持ちよく吹き上がるようになりました。

目的地はいつもドローンを飛ばしていた、自宅近くの里山の斜面に広がる草原。

敷地内を通っているのは「道路」ではなく通路なので、車も人もたまにしか通らず、空撮には最適のエリアです。

でもドローンはもう3か月以上飛ばしていません。

4年前から、Fがリハビリのためデイケア施設に出かけていた日は、天候がよければ必ずドローンを飛ばしに行っていました。

おかげで、4年間に撮りためた空撮データは軽く1TBを超え、飛行回数(1バッテリー単位の飛行回数)は400回以上と、今となったら自分でもあきれるほど入れあげていました。。

でもFがデイの施設で倒れた今年の1月16日以降は、いっぺんに熱が醒めました。


それはさておき、この日も快調に走って、10分もかからず目的地に到着。
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やはり誰もいませんでした。目の前に、最後に飛ばした1月の灰色の景色から一変した、美しい新緑の景色が広がっていました。

その自然の変化と、この3か月に激変した私たちの生活が重なって、万感の思いでした。

緩勾配の草原を渡る風に吹かれながら、草原を横切る雲の影を見ていたら、また飛ばしに来てもいいかな、と思えてきました。


しばらくして、Spadaをスマホで撮ってから、帰途につきました。

帰りは別コースにして、自宅までの適度なアップダウンとコーナーが連続する山道をじっくり楽しみながら戻りました。

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エンジンを止めたとき、久しぶりに味わった「人車一体」感がなんとも新鮮でした。

たまには気分転換を必要だなと、つくづく思えるひと時でした。




新国立劇場公演「1984」を観て アフタートークが最高!! そしてFのこと

Fといっしょに観る予定だった最後の手持ちチケットが、新国立劇場公演の「1984」でした。

彼女が倒れる4日前の、1月12日に先行販売で買いました。

その後、5月になればひょっとしてFは行けるようになっているかもと、淡い期待を込めて処分していなかったのですが、やはりまだ無理でした。

なので、3月の「シャンハイムーン」以来2か月ぶりに、また今回も、ボランティアとして元同僚のYさんに頼んで代わりに観てもらいました。
またまた平日に貴重な休暇をとってもらって、本当に申し訳なかったのですが。

この日も阪神高速は交通量が少なく、1時間余りで劇場地下駐車場に到着、とまではよかったのですが、バックで入れる際に後部バンパー左角を壁に擦ってしまって縦6cm幅7mmの傷がついてしまうミス! 
まあ自分で修理できる程度の損傷だったのがせめてもの慰め。(その後なんとか目立たないように修復しました)

そして打ち合わせ通りの時間に合流できました。

で、舞台の話ですが、今回の話は、ご存じジョージ・オーウェルの小説「1984」がもとになっています。

ジョージ・オーウェルの主観的な意図はどうであれ、この小説は、発表と同時に冷戦下の米英社会で「反共のバイブル」ともてはやされるようになりました。

それを今なぜ舞台化する?という違和感が否めず、現代の世界では映画「スノーデン」や、ウィキリークスなどが暴露している、米の諜報機関の大規模な盗聴・監視の実態を暴くほうが切実な課題じゃないかと思いながらの観劇でした。

ちょっと私のほうが、政治主義的に過敏なっているのかもしれませんが、学生時代に「カタロニア賛歌」を読んで以来、ジョージ・オーウェルと聞くと、反射的に否定的な思いのほうが強く出てきます。

それなら買わなかったら良かったじゃないかと言われそうですが(笑)、なにしろ井上芳雄&ともさかりえですからね。
これは買わない手はないでしょとFに言われて、ポチっていたのです。席はB列下手側。

ということで観劇の超簡単な感想です。以下いつもの通り敬称略。

セットは凝っていたし、プロジェクターを多用した演出も面白く、なにより井上芳雄をはじめ出演者全員の力演で見ごたえがありました。

急逝した大杉漣の代役を務めた新農直隆も、負けず劣らずの演技で頑張っていました。

大杉漣を彷彿とさせる立ち姿やセリフで、以前この劇場で観た、同じ新国立劇場公演の「」の場面を重ねながら観ていました。

でもやはり劇の主題に違和感があって、ずっと空振り感に付きまとわれていました。
そのせいで、出演者の熱演にもかかわらず、誰にも感情移入できないのも残念でした。

井上芳雄とともに目当てにしていたともさかりえは、「たとえば野に咲く花のように」の好演で期待していましたが、今回はどうにもしどころのない役で、勿体なかったですね。残念でした。

ということで、たびたび睡魔が襲ってきましたが、誘った私が寝ていたのでは申し訳ないので、カクッとするたびに、必死になって観ている風を演技。(殴) Yさんは私と違って、しっかり観てくれていました。

終わって、やはり皆さんも同感だったのか、私が見まわした範囲ではスタンディングはなかったですね。
でもそのあとのアフタートークが面白かった! 
これだけで観た甲斐がありました。(殴)

劇場の担当スタッフが進行役でしたが、井上芳雄が、重苦しい舞台の余韻を吹き飛ばす軽妙洒脱なトークを披露して、すぐ客席も大ウケ。

とくに面白かったのは、進行役が話題を振ろうと、つい
「こんな話ですが、演じられてどう感じましたか?」と口を滑らせたのに対して、
すかさず井上芳雄が、
「こんな話!! 聞きましたかみなさん、こんな話っていっていますよ!こんな話って!」
と突込みを入れたので客席は大爆笑。舞台上の出演者も笑い転げていました。

終わって、ロビーでYさんの感想を聞いて、お礼を言うのもそこそこにお別れして、病院に向かいました。

幸い道も空いていて、3時50分に病院に到着。

ベッドに行くとちょうど検温中で、37.6度と高め。

倒れてからFは、ずっと体温調節がうまくできず、微温が続いています。早速観劇の感想を話しましたが、この日は眠そうで、最初はあまり反応しませんでした。

でもいろいろ話しかけたあと、
「今回は行けなかったけど、8月の『大人のけんかが終わるまで』は必ず行こうね、チケット買ったからね、行けるようにリハビリ頑張ろうね」
と言うと、じっと私の顔を見てくれました。パンフレットも見てくれました。
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実際のところ私には、現在の彼女の正確な意識の覚醒状況はわかりませんが、以前と違って、この日のように私の話に合わせて視線を動かしたり、表情を変えたりする日は確実に多くなっています。

そうした、良い反応をしてくれる日と、そうでない日を例えたら、濃く立ち込めている霧が時折晴れて、景色が垣間見える、といったような感じでしょうか。

PTのリハビリがない土・日はもちろん、月曜から金曜の間も、私がFの手足を持って動かすリハビリをやっています。

おかげで手足の関節の可動範囲が広がってきているのがわかります。リハビリの合間に聞かせるICレコーダーには、日替わりの私の声だけでなく、音楽もさらに種類を増やして入れていますが、これもよく聞いてくれています。

でもFが、自分で手足を動かしたり、言葉を発したり出来るようになるのは、まだ先のことでしょう。

今は焦る気持ちを何とか抑えて、それらのリハビリがきっかけとなって、意識の覚醒状態が劇的に好転してくれるように祈りながら、毎日病院に通っています。

でも、もうすぐ6月になります。

まもなく、今の病院の入院期限が終わります。

また別の施設を見つけないといけないのですが、候補となる施設は近くになく、さらに遠くになってしまいそうなのがつらいです。


ひとまず危機は乗り越えられそうです。

ようやく一年ぶりの更新です。

私の連れ合いのFは、昨年1月16日に、2度目の脳出血で急性期病院に緊急入院し、同年3月に療養型病院に転院して、それ以来現在も同じ病院で療養中です。

15年前に、初めて左脳内出血を発症した時とは違って、今回は右脳で、その出血量も多く、手足はもちろん言葉もまだ出ない状態です(たった一度、急性期病院で痰の吸引時に「痛い!もう!」と言ったと、たまたま居合わせて聞いた看護師さんと言語療法士さんが、後で私に知らせてくれましたが)。

ただ、私の呼びかけはわかるようで、面会に行って声をかけると、顔を向けてじっと見てくれたり、私の姿を眼で追ってくれたり、ベッドサイドに貼った写真や窓の外を指差すと眼を向けて見てくれます。

ICレコーダーに録音した私の話声や彼女の好きな音楽を聞かせると、表情を変えながら良く聞いています。

毎日面会に行って(さすがにあの台風が直撃した日だけは休みましたが)、腕の関節が固まらないように、PTさんやOTさんのマッサージとは別に、私がFの腕や足を持って動かして、そのあと「動かして」と声をかけると、最大20cm程度ですが、一生懸命腕の位置を探るような表情で、ゆっくりと腕を動かしてくれます。ただ毎日ではなく、ほとんど反応してくれないときもあります。

転院してきたとき、病院の相談員から、「痰の吸引程度では入院期間は3か月が限度です」と申し渡されていたのですが、幸か不幸か前の病院にいた時から、脳出血による体温調節機能の障害で体温が乱高下する状態が続いていたので、その対応が必要なことから入院が継続出来ていました。

そのまま越年して、暮れに娘夫婦も帰国してくれて、何度も一緒に見舞ってくれたりして、今後もこの状態が続くのかと思っていたら、偶然にも去年と同じ1月16日、今度はインフルエンザと誤嚥性肺炎を発症。

その数日前からこれまでにない39度の高熱が続いておかしいなと思っていたのですが、16日朝A型インフルエンザ発症と連絡を受けて愕然としました。おまけに肺炎まで併発しているとは。

11月にインフルエンザの予防注射はしていましたが、長期にわたる発熱で体重が極端に落ちていたので抵抗力がなく、すぐ危険な状態になってしまいました。

しかしあろうことか、肝心の病院の主治医は、あわてて詰所に駆け付けた私に対して、「ここは療養型病院なので体制が整わず、これ以上なにもできない」と耳を疑う無責任さ。さらに追い打ちをかけるように、今夜ももたないかもと言い放ちました。

あまりのことに私も怒り心頭、ここで何もできないなら転院させてくれと申し入れました。それで病院の相談員をはじめスタッフが手分けして周辺の病院に問い合わせましたが、最近のインフルエンザの急激な流行で、どこも満床状態で受け入れ不可。

その間もFは血圧が下がり、酸素吸入をしても酸素濃度が低下する一方で、私ももうダメかと絶望的になりました。
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でもここからが、この病院の看護師さんたちのすごいところでした。

日ごろから率直に意思疎通ができて、気心も知れている看護師長をはじめ何人もの看護師さんたちが、私と主治医のやり取りを横で聞いていて、私が病室に引き上げた後、医師のあまりの無為無策・無責任な方針(といえるかどうか)に強く抗議してくれたそうです。

彼女たちは、「療養型といっても、やろうと思えばインフルエンザと肺炎なら急性期病院並みのことは出来ます、まず今の酸素マスクではダメで、早く人工呼吸器をつけるなどした上で積極的な対策をすべきです」といろいろ治療方法を提案してくれたそうです。

この事態に病院長も主治医に任せておけないと思ったのか、自らも加わって17日に人工呼吸器の挿管をしてくれ、ようやく安定して酸素が送れるようになりました。
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色々な手当てのおかげで、すぐ呼吸数も酸素濃度も安定してきましたが、17日はまだ血圧は低いままでした。
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18日にはやっと血圧も上がってきました。
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この看護師さんたちの「反乱」の一部始終は、人工呼吸器の装着が終わった日の夕方、一番親しい看護師さんから「実は‥」と聞かされました。思いもよらないことで本当に感動しました。不覚にも思わず涙が出そうになりました。そればかりか、Kさんさえよければ主治医は代えられますよとも言ってくれました。

そのあとも、複数の看護師さんが、病室に来るたびに申し合わせたように「主治医は代えられますよ」と教えてくれ、もちろん即座に交代を申し入れることにしました。

私の意向を確認した看護師さんは、すぐ「私がこれから師長に伝えてきます」と詰所に行ってくれました。まもなく戻ってきた看護師さんは、「師長さんも『もっと早く言ってくれたらよかったのに』と言ってましたよ」と笑顔で教えてくれました。

でもそれは私のセリフですよね。

主治医の変更手続きは、窓口の看護師長から翌18日には病院に伝わり、詰所で主治医とのやり取りを横で聞いて腹を据えかねていた相談員氏も調整に動いてくれて、「この土・日は事務手続きができないので申し訳ないのですが、院長をはじめ法人のトップにも届いています。月曜には正式に決まるので、それまでお待ちください」とこちらが恐縮するほど迅速な対応でした。

現在はインフルエン<ザと肺炎の対症療法が効いて、Fの状態は次第に良くなってきて、今後は人工呼吸器の酸素濃度設定を徐々に下げていくということです。

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当の主治医も後ろめたかったのか、17日午後になって高カロリー輸液の点滴を指示してくれました。

昨日今日と土日の手薄な態勢でも、看護師さんたちは何度もチェックにきてくれて、心強い限りです。


でも16日の夜は本当につらかったです。ちょうど1年前の1月16日のことを思い出したりして、深夜ベッドに入っても、ほとんど寝られませんでした。


冬至から約1か月過ぎて、今日の日没は5時15分。もう27分も遅くなっています。

まだ大寒ですが、今日は一足早く春を感じながら帰途に就きました。

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なんとかこのまま、インフルエンザと肺炎を乗り越えてくれることを祈るばかりです。

ながらくこのブログは放置状態にしていましたが、看護師さんたちの勇気のある応援に力を得て、なんとか更新していこうと思うようになりました。

気まぐれな更新になるかと思いますが、お暇なときに来ていただければありがたいです。

どうかよろしくお願いします。

主治医は代わりましたが、容体は深刻でした。

今日1月21日に病室に行くと、すぐ「主治医からお話があります」と看護師長が呼びに来ました。

交代の件ですね。

詰所に行くと、主治医の医師から、「今回主治医を交代することになりました」とだけ告げられました。

私も「いろいろお世話になりました」と言って頭を下げました。

それだけで交代は終わり。私に取ったら極めてあっけないものでした。

また病室に戻ったらしばらくして、今度は副看護部長が、新しく主治医となった院長とともに病室にきて、これから現状について説明したいとのこと。

一緒に1階に降りて、診察室で説明を聞きました。

しかしFの状態は極めて悪いものでした。予想以上に文代の状態は深刻で、愕然としました。

インフルエンザは今日昼の検査でマイナスとなったのですが、肺炎が悪化していて、見せられたレントゲン写真では、両肺が全面的に白くなり、昨日より悪化していました。

血液検査の結果も悪く、ベッドサイドのモニターで血圧や酸素濃度、呼吸数や脈拍数を見て楽観的になっていた私は、頭から冷水を浴びせられた感じでした。

病室に戻ってもFがかわいそうで、しばらくの間顔が見られませんでした。

ともあれ、これ以上肺炎が悪化しないように、新主治医はあれこれテキパキと指示を出して、少しでも状態が改善するように手を尽くしてくれています。

また前の主治医と違って、看護師の意見にもよく耳を傾けてくれている様子が少し見ていただけでわかり、また私たち患者の家族にもわかりやすく医療内容を説明してくれるのがうれしいです。


でも、太い酸素チューブを鼻に入れられて、いくつもの点滴を体に注入されて、病魔と闘っている痛々しいFの姿を見ていると、つい涙が出てきます。

でも、この病院の看護師さんたちには頭が下がるばかりです。

今日も、交代を申し出るよう勧めてくれたI看護師さんが巡回に来て、
「主治医の交代が遅くなって申し訳ありません。もっと早く代わっているべきなのに、私が出勤したらまだ元のままだったのでびっくりして、看護師長と副看護部長に『なんでまだなのですか!ご主人の気持ちを考えたらすぐにでも交代するべきです』と言ってやっと交代になりました、本当に遅くなって申し訳ありません」
と謝ってくれました。その時詰所に居合わせた看護師さんたちも、また同じように口添えしてくれたそうです。

もちろん私も前主治医と話すのは苦痛でしたが、一患者のことで、看護師さんたちが職場の上司にそんなことを言ってくれるとは考えもしませんでした。

I看護師さんはふだんから快活に患者と接してくれて好感の持てる人ですが、これまでほとんど親しく話す機会がなかったので、その彼女からこんな裏話を聞くとは本当に意外でした。

更に、「明日は私が夜勤ですから」と笑顔で元気づけてくれて、ただただ感謝するばかりでした。

幸い今日の夜勤の看護師さんも、私が心から信頼している気心の知れた看護師さんの一人です。

こんなギリギリの状況では、看護師さんの温かい気持ちが本当に心に沁みます。


今夜はスーパームーン。

病院の窓からも、大きく見事な満月が見えています。

Fが入院するまでは、雨戸を閉めながら私が、「きれいなお月さんが出ているよ」と声をかけると、「どれどれ」と言いながらFも入ったばかりのベッドから出てきてくれて、よく一緒に肩を並べて見入ったものです。

月を見上げながら、何とか持ちこたえてくれて、また一緒に月を眺められる夜が戻ってきてくれたらと願うばかりです。  (2019-01-21)



主治医から、覚悟を求められましたが‥ でもなんとか頑張ってほしい!

1月24日は、とうとう初めて病院で一夜を過ごしました。

通常患者の家族が、病室のベッドで寝るのは許可が下りないのですが、Fの状態を考慮して、特別にOKをいただきました。

当夜は、夜勤の看護師さんやヘルパーさん、夜間通用口の守衛さんに至るまで、みんな温かく気遣ってくれました。

とくに二人の看護師さんは、本当に心のこもった仕事をしてくれました。

でもその夜のFは、人工呼吸器の設定と、乱れた自発呼吸が合わず、連続投与されている鎮静剤でもそれを抑えられず、はじめは断続的に鳴っていた気管内圧力過多を告げるアラームが、午前4時ごろから鳴りっ放しになりました。

ほとんど寝られないまま夜が明けて、午前中も何度かベッドでウトウトしてしまいました。夜勤の大変さを垣間見た感じでした。

昼になって外来の診察を終えた主治医から、現状について説明がありました。

やはり依然としてFはきわめて深刻な状態でした。

私は、アラームは鳴っていたものの、ベッドサイドモニターではずっと酸素濃度が80%後半の表示だったので、それほどまでとは思っていませんでした。

でも主治医の説明では、肺の機能は極端に低下していて呼吸不全状態で、動脈血の酸素濃度は危険なレベルと言われました。

それで、主治医から最後の方法として、筋弛緩剤で一時的に自発呼吸を止めて、効率的に人工呼吸器で酸素を送り込む措置が提案され、同意することにしました。

もうこれしか選択の余地がないという感じで、それでもうまく改善される保証はできないとのことでした。

同意後、すぐにスタッフに筋弛緩剤を注入するよう指示が出されました。

これをしても、肺の炎症は収まっていないので、危機的な状態には変わりはないが、一方で前から継続している、いろんな抗生剤による治療を継続して、少しでも状態が改善できるよう全力を挙げるという説明で主治医の話は終わりました。

そして最後に、もうそろそろ覚悟してほしいとも言われました。残念ですが、私もそう思わざるを得ない状況でした。

ただ、医師の説明は真摯でかつていねいで、素人の私でも納得できるものでした。


それで、25日からは、出来るだけFのそばに居ようと、朝から病院に通うことにしました。

その後は自発呼吸の影響がなくなって、Fの呼吸は、ずっと呼吸器の設定どおり毎分22回で安定していました。


ところが今日27日は、朝から呼吸数が設定の倍以上の40後半になっていて、午後2時にはそれが60にもなって、とうとうアラームが鳴り出しました。
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日曜とあって詰所にスタッフはおらず、間近でアラームを聞きながら、私はパニックになりました。


焦っても仕方がないので、とりあえず、褥瘡防止用のクッションの位置を変えてみました。24日に泊まった時それで一時呼吸数が減少したからです。

するとすぐ呼吸数が30以下になり、さらに20台後半に下がってきました。うれしくて脱力しました。

その時丁度いいタイミングで看護師さんが来てくれ、事情を説明して痰の吸引を頼みました。ていねいに吸引してくれました。

効果はてきめんで、すぐ呼吸は22で安定して、それ以後5時間以上過ぎた今も、そのまま推移しています。本当にホッとしました。
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恐らく日曜でスタッフが少ないため痰の吸引間隔が開いて痰がたまり、さらに褥瘡防止の体交のクッション位置が関係して、呼吸器から入りにくい体勢になっていたのでしょう。

いつもこれで対処できるかわかりませんが、試す方法が一つでも見つかって、少し安心しました。

昨日、仕事で帰国できないと伝えてきた娘から、やりくりしてなんとか水曜には帰れるとのメールが届きました。心強いです。

それまでもってくれたらと切に願うばかりです。


Fを応援するかのように、昨日、もう我が家の庭の梅が咲き出しました。


がんばれ、F!!


◇ 悲しい‥ ◇

どこにも出かけない日は怖いです。

一日黙って一人でいると、考えるのはFのこと。

去年1月16日から今年2月1日までの入院の間、果たして私はベストを尽くしたのだろうか、Fの想い・願いに十分応えられていたのだろうかと一日中自問してしまいます。

でも、その答はいつまでたっても見つかりません。

今も眼に焼き付いているのは、彼女の目頭から耳の方に流れた涙が乾いた跡。

毎日病院に行って、まず私がしていたことは、それをきれいに拭いてあげることでした。

拭きながらいつも考えていました。

何を嘆いていたのか。

何が辛かったのか。

声を出せず、身動きもできなくなってしまった我が身を嘆いていたのだろうかと。

元気な時でも人一倍寂しがりやの彼女でした。
毎日通ったとはいえ、最後の2週間を除けば、1日せいぜい4~5時間程度、1日のわずか5分の1から6分の1ぐらいしか一緒に居てやらなかったことが悔やまれます。
一人の間、病室でどんなに寂しく心細かったかと思うと、涙が止まらなくなります。

さらに、50年近くも一緒に暮らしていながら、彼女と過ごした日々のディテールが、時とともにぼやけ始めていることが悔しいです。

今日も、彼女を失った虚ろさに押しつぶされそうな1日でした。

永らくブログは放置状態でしたが、なんとか再開したいと思います。とりとめのない日々のことを、思いつくままに書いていくことになりますが、よろしければ見ていただければ幸いです。

◇ 久しぶりのスパーダ ◇

ボランティアを終え、途中近所のスーパーで食料品を買ってから帰宅。

ガレージでスパーダをみて、久しぶりに乗ってみようと思い立ちました。

なぜ乗っていなかったかというと、指の関節炎のせい。とくに最近は左親指の第一関節が痛い。数年前から両手の指の軟骨がすり減ってなくなっていて、1年前には最後に残っていた親指の関節の軟骨までなくなってしまいました。

でも、病院で鎮痛剤を処方してもらっているので、日常生活は問題ないのですが、頻繁に重いクラッチレバーの操作が必要なスパーダは無理だろうと乗るのを諦めていました。(涙)

でも今日、ひょっとして乗れるかな?と思ってレバーを握ってみたら、なんとOKそう。痛くない!😄

しかし走り出したら、快調なはずのエンジンがまさかの片肺状態。ただこれは少し走れば回復するので、かまわずそのままブーブー回して走っていたらすぐ復調し、いつものジェットコースターの走り。(※あくまで個人の感想です)

久しぶりにコーナーを次々にクリアする快感に浸れました。

最後まで痛みもなく走れて大満足。

走ったのは、電動マウンテンバイクでよく走っている、裏山から奈良との県境の山中を経由して25号線を経て帰宅する12kmのコース。

たまには連れ出してやらねばと思った30分のミニツーリングでした。

ところで写真の背景のセイタカアワダチソウ、以前は住宅地の空き地などでよく見かけましたが、最近見かけなくなりましたね。撮影場所は里山の一角です。

なんでも繁殖規模が大きいため、土地の肥料成分を急速に消費してしまい、生育地が縮小するのも早いとのことです。

花粉症の原因というのもブタクサと混同した誤解だそうです。

栄枯盛衰は世の習い、諸行無常を感じます。

◇公立福生病院透析中止事件のこと◇


雨宮処凛さんが公立福生病院透析中止事件についてわかりやすく書いていると友人が教えてくれました。

確かに書かれていることは論理的で明快でした。でも、それでもなお、何かモヤモヤとしたものが残っていました。

そのモヤモヤは、どうして担当医が、途中から患者が透析再開を望むようになったのに、その声を無視し続けられたのか、苦しむのを見ながら頑として透析再開を拒否し続けられたのはなぜか。

彼の「確信」はどこからきているのか。

担当看護師も、医師の指示に従ったとはいえ、ありえないほど大量の鎮静剤を投与し、その結果患者の死を早めたのに、その後も平然と自分の行為を正当化できているのはなぜか。

ここが理解できなかったのです。

今日もずっとこれまでに入手したいろんな資料を見ながら考えていて、ようやくひとつ答えらしいものが見えてきました。

担当した医師と看護師は、「人工透析患者は助からない終末期の患者。人工透析は患者の負担になるだけで、無意味で無駄。ただ延命しているだけ」と考えていた。人工透析は治療などではなく、いずれ来る死を先送りしているだけだと。
だから今回患者が人工透析をやめると「意志表示」した(実は誘導した)のは極めて合理的で理性的な判断で正しい、これは最大限「尊重」しよう、そうするのが自分たちの唯一無二の使命だと彼らは考えた。

この「確信」に支えられていたからこそ、透析中止で苦しみ喘ぐ患者が必死で透析再開を訴えても、せっかくの「賢明な判断・意思表示」が呼吸困難や苦しさなどで揺らぐことがあってはならない、だから鎮静剤で楽にしてあげようと大量投与して、死に至らしめた。

これらはあくまで「人道的」で正しい行為だった。

根本的に間違っている「確信」ですが、こう思っていたから最後までブレずにあんな酷いことができたのでしょう。

つまり「地獄への道は『善意』で敷き詰められていた」。

さらに恐ろしいのは、学会がそれを追認し合理化し、普遍化しようとしていることです。「生」を切り捨て、「死」を美化する風潮があらゆるところに存在している今の日本社会を象徴する事件だと思います。

◇ 今日の出来心は‥ ◇

スマホを換えて、それに付いてきたイヤホンでHUAWEI NMカード(128GB!)に入れたMP3を聴いていました。

でも音がやはり物足りない。で、調べたらさすがに今時は便利なものがありますね。
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フルワイヤレスで音質もよく、おまけにケースごとスマホ同様ワイヤレス充電できて、電話がかかってきたらハンズフリーで電話の応答ができるイヤホン!
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Bluetoothも距離が離れてもよく飛んで(これはスマホのBluetoothチップがいいからかな)、全く途切れない。

それで5,000円しないというから恐れ入ります。

更に、聴き始めたら、スマホの音楽再生アプリが自動的にカシオのプロトレックでコントロールできるようになるというのも、便利というか、めんどくさいというか。(殴)

Bluetoothのデイジーチェーンです。

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