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宝塚月組公演「『All for One』~ダルタニアンと太陽王~」の遅すぎる感想です

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ようやく三銃士の感想です。もう鮮度落ちまくり、とっくに賞味期限切れですが、日々薄れ行く私の記憶をとどめるためにのみ(殴)、書いています。なので、今でもまだ興味がおありでしたらどうぞご覧ください。ネタバレは少ないと思いますが、舞台を未見の方はスルーが吉です。

今回、先行予約でチケットを取るときに、演目が「三銃士」と聞いて、真っ先に思い浮かべたのは、NHKの人形劇でした。

ご覧になられた方も多いと思いますが、脚色・脚本を三谷幸喜さんが担当して、『連続人形活劇 新・三銃士』として2009年10月12日からNHK教育テレビで、また、2010年4月4日からNHK総合テレビでも放送された名作!!です。
私が見たのは総合テレビで日曜日に再放送されたほうでした。
はじめは夕食の食器などを片付けながら、カウンター越しにテレビの画面をチラ見&台詞を聞き流していました。でも子供向けとは到底思えない台詞のやり取りと、人形のキャラクタの魅力で、いつのまにか画面に引き込まれていって、やがて毎回楽しみにして見るようになりました。

とくに気に入ったのがミレディ。

赤毛のスレンダーな美女ですが、かなり性悪です。
でもだいたい善人より悪人のほうが魅力があるし(殴)、話が進むにつれ、結構可哀そうな身の上であることもわかってきて、一番感情移入してしまった人物でした。戸田恵子さんの声がまた良かった。でも最後は処刑されてしまって大ガッカリ。(笑) 

なので、てっきり宝塚版では、だれがミレディをやるのだろうかと期待していたのですが、こちらは三銃士とはいってもまったく別の話で、ミレディのミの字もなし。(笑)
「三銃士」といっても、「異説・三銃士」or「三銃士異聞」、「三銃士外伝」みたいな作品です。

(しかしいつも思う基本的な疑問としては、使うのは剣ばかりなのになぜに「三銃士」?(笑))
それとAll for One じゃなくてTous pour un, un pour tousのほうが良かったのではとも思ったり。(長いけど(笑))

しかし、期待にそぐわず、小池先生は手練れ。とにかく話がぶっ飛んでいます。
事前情報なしに劇場に行った私は、半ばあきれながら、でもあまりのタガのはずれっぷりに感心しながら観ていました。

でも面白い。
はじめは「直虎」にヒントをもらった話かと思っていたら、途中からさらに話が飛躍して、まあ自由奔放というか荒唐無稽というかデタラメというか(殴)、でも月組+専科メンバーの絶妙な配役&好演で、こちらもいつのまにかドップリ話に引き込まれていました。

それと、ギャグが絶妙で、客席は爆笑の連続。

ぶっ飛んだ話とは言ってもそこは小池作品で、ロミジュリみたいな場面とか、スカピンみたいな香りが漂う場面とか、巧みな構成で展開がうまいです。

まあ全体には軽い話なので、面白いけど帰りの車中ではストーリー自体はあまり話題にならず、もっぱら月組メンバー、とくに愛希れいかの演技が話の中心でした。

ということで個別に簡単な感想です。いつもの通り敬称略。画像はナウオンの画面撮りです。参考までに。

まず珠城りょうのダルタニアン。

この人は舞台映えがしますね。強そうで、でもやさしそうで、クセがない。(殴)
三銃士を率いるリーダーシップもあり、適役です。それと、今回の作品のウリでもある剣さばきがダイナミックで、タカラヅカの殺陣の場面でいつも感じるハラハラ感(笑)が少ないのも(皆無とは言いませんが)良かったです。





歌も余裕でこなし、安定した歌唱力で聴かせます。ナウオンなどでも話のリードがうまくて、すっかりトップが板についています。

↓壁ドン!!


でも、今回の公演で一番目立っていたのはやはり国王ルイ14世に扮する愛希れいか。
これまでもこの人には驚かされ続けでしたが、今回もまさに水を得た魚。



ルイ14世が実は女性だったみたいなトンデモ話でも、この人が過去の経験を生かした無理のない男の声で演じるともっともらしくなり、途中で素の女性になるところではすっかりかわいらしい女性に変わるなど、メリハリの利いた演技には改めて感心しまくりでした。小池先生も演出家冥利に尽きるといったところです。

これまでのタカラヅカの歴史で、長く娘トップを続けている人を見ると、もういい加減に辞めたらと思ったりしますが、この人は別で、次はどんな役を演じてくれるかと楽しみになります。ナウオンなどで見ていると珠城りょうとも相性のいいコンビぶりで、こちらも見ていて安心。(笑)

アラミスの美弥るりかもおいしい役で(私は「三銃士」ならミレディはこの人がベストと思っていましたが)、目立っていました。でもやはり派手な美貌で、いつも私は、この人が退団して俗世間に戻ったらどんなふうだろうと妄想してしまったり。(笑)




残るアトスの宇月颯、ポルトスの暁千星も個性が際立つ好配役でした。
アトスはヒゲがよく似合っていましたが、はじめは誰かわからなかった。^^;
でもこの人が加わって三銃士のアンサンブルが絶妙で、月組も歌ウマが多いなと感心しながら観ていました。やや遅咲きでもいい役にめぐあえてよかったです。やはり宇月颯のような中堅の実力派は大事にしなくては。

アトスのポルトスは童顔なのに大酒のみの力持ち。岩を投げたり(発泡スチロールっぽくて重そうには見えづらいけど^^;)して頑張っていました。


敵役は王家乗っ取りを狙うマザラン枢機卿の一樹千尋。


この人、今回も登場するだけで存在感が舞台に充満、いかにも老獪で権謀術数をめぐらす腹黒い役そのものでしたが(笑)、私の印象としてはそんなに悪いことをしていないですね。

悪逆非道な暴政で、民衆に塗炭の苦しみをなめさせる、みたいなエピソードはなくて、王権をめぐる陰謀話が中心。なので、まあこのぐらいならどの国の歴史にもゴロゴロしてそうなので、ちょっと悪人度が低いのではと思いながら観ていました。(笑)

でも舞台では、やはり余人をもっては代えがたい円熟の演技でした。

そのマザラン一派の護衛隊長・ベルナルド役が月城かなと。
この人もまたおいしい役で目立っていました。黒ずくめの衣装に酷薄さがただよう美貌が良く似合い、口数も少ない直情径行のアブナイ武闘派ですが、愛希ルイをめぐる珠城ダルタニアンとの恋争いの場面では、まじめな顔で言った一言がバカ受け。客席は大爆笑でした。結構純情で、愛すべきところもある人物です。
でもこの人、もう月組にしっかり溶け込んで、大きなポジションを得ていますね。大成の予感で、次の公演も楽しみです。

あと、今回も沙央くらまがモンパンシェ公爵夫人として目立つ役をもらっていました。

かなりの老嬢(殴)でも目を引く美人で、コミカルな演技も全く不自然さがなくて、小池先生の登用がバッチリ当たっていました。フィナーレのショーでも出番が多くて大活躍。ついオペラで追ってしまいました。


考えてみれば、今の宝塚でこういう役のできる女役があまりいませんね。
専科に行って良かったですね。
これまで何度も言っていますが、男役経験者のほうがいい意味で表現に強さがあって、女役でも演技に厚みが出る感じがします。
今後も女役中心でお願いしたいです。(殴)

風間柚乃のジョルジュは、出ました!おなじみ貴種流離譚!みたいな役どころ。でも全く私は知らない人だったので、ヨメさんにアレ誰?と聞いたら、さすがに彼女はスカステでチェックずみでした。
かなりの抜擢のようで、今後の注目株ですね。素朴なたたずまいで、役によく合っていました。

最後はショーが付いていて、これがかなり長く内容も濃く、見ごたえがありお得感タップリ。

美弥るりかをはじめ三銃士ももちろん、月城かなともカッコ良くて、舞台映えしました。


先に言ったように今回も沙央くらまの出番が多くてちょっとびっくりでしたが、センスのいいきれいな衣装で美貌が生きて、女役の魅力全開。この路線、結構気に入りました。

というわけで、一本物として期待通りの(ストーリーは全く意外でしたが)内容の濃い作品で、暑さを吹き飛ばす楽しい舞台でした。一度しか観られなかったのが残念でした。

というわけでなんとかアップしましたが、もう今週の木曜は宙組観劇。^^;
今度はもう少しタイムリーに書ければと思いますが、どうなりますやら。

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最後にお詫びです。m(__)m
昨年来、当ブログにコメントいただいていたあみさんをはじめみなさん、せっかく投稿いただいていたのに先日まで気づかず、大変申し訳ありませんでした。
これまであまりコメントを頂くことがないのでついチェックがおろそかになり、反省しています。

今後は定期的にチェックするように致しますので、どうかご容赦いただきますようお願い申し上げます。

宝塚宙組公演『神々の土地』&『クラシカル ビジュー』の観劇メモ その1

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先日、宙組公演『神々の土地』&『クラシカル ビジュー』を観てきました。
朝夏まなと&伶美うららの退団公演となる今回の舞台、二人が主演した名作「翼ある人びと」と同じ脚本・演出家の作とあって、大いに期待しながら劇場に向かいました。今回も大した渋滞もなく、9時30分には駐車場へ。

観劇の前日、ヨメさんとスカステのナウオンステージを見て事前学習。(笑)
でもこの番組、ネタバレに極度に配慮して、話の中身がよくわからないように作られています。(笑)「娘トップ不在」ということで、いつもは披露される娘トップの苦労話みたいなのもナシ。
なので、結局どんな話かよくわからないまま、7列上手側端の席で開演を待ちました。
当日は凪七瑠海さんや壱城あずささんたちもご観劇でした。

という、どうでもいい前置きはこのくらいにして、いつものとおり、薄味かつ極めて個人的な、独断と偏見満載の感想です。ネタバレもあるので、未見の方はスルーしたほうが、今後の観劇の感激(殴)は大でしょう。

(今回は大作の予感がしたので(笑)、先行販売で2回分のチケットをなんとか確保。なので、とりあえず「感想その1」となる予定です(笑))

以下敬称略。画像はナウオンの画面撮りなので、参考程度にご覧ください。

で、いきなり感想の結論ですが、まあなんとも凄いものを観てしまった。

幕が下りてしばらく茫然自失。そしてヨメさんと顔を見合わせて、お互い「すごいね」の一言だけ。
「絶対チケットを2回分取って!!」というヨメさんの指示は大正解でしたね。

「今まで観てきた宝塚の作品でもトップクラスの完成度。」とは、長年のタカラヅカ・ウォッチャー・ヨメさん談です。

そのとおりで、本当にこんな高密度の脚本を、二本物の時間的制約の中で書き上げるとは大した力量です。
恐れ入りました。

構成も、プロローグの皇帝暗殺から、二人の出会いの雪原の場面、そして最後にまた雪原の別れの場面、そしてドミトリーのモノローグで始まる洒落たエピローグとよく考えられていて、泣かせどころもタップリでした。

それと、キャスティングも絶妙。「翼ある人びと」のあの大感動を、さらに大きな舞台設定で再び味わえるとは望外の喜びでした。今回も台詞がよく練られていて、とくに主演二人の情感あふれるやり取りは深く心に沁みました。沈黙さえ雄弁な演出が見事でした。

ただ、<ミュージカル・プレイ「神々の土地」~ロマノフたちの黄昏~>といってもあまりミュージカルらしくなくて歌は少なく、台詞中心の舞台でした。でもそのおかげで話の展開はよくわかり、複雑な人間関係と社会背景も理解しやすかったです。ヒロインに配慮したのでしょうか?(殴)

一回目の観劇なので、簡単に(二回目も簡単だったりして(殴))役ごとの感想です。

まずドミトリー役の朝夏まなとから。

主人公ドミトリーは、農民たちの悲惨な生活の上に胡坐をかいて、贅沢の限りを尽くし、爛熟・腐敗したロマノフ一族をはじめとする皇族・貴族たちとは違って、ロシアの現状を憂う青年貴族という設定です。

ロシアを覆う深刻な政治危機に深く憂慮し苦悩する一方、大公妃イリナ(イレーネ)への慕情を持ち続け、やがて局面打開のため立ち上るという、純粋で多感なドミトリーを、抑えた演技で見事に演じていました。



凛々しくて爽やかで優しさもあって、しかも愚直なまでに誠実というまさに理想の主人公。

前作のブラームスで感じた、台詞や動作の隅々にまで細やかな心理描写が込められていて、抑制のきいた演技なのに強く伝わってきます。もうしょっぱなから感情移入しまくりです。
演出が冴えていました。

しかしまあ、「翼~」といい今回の作品といい、朝夏まなとと伶美うららのコンビの魅力をこれでもかと見せてくれて、先に触れた二回の雪原の場面など、この世のものとは思えない美しさ。(笑)







朝夏まなとが、この上田先生渾身のオリジナル作品で退団することになって、本当に良かったですね。

余談ですが、はじめのほうの雪原に登場する大鹿が、小道具さんの大変な力作でした。一回しか使われないのにリアルな作りの鹿で、もったいない。(笑)
逆に雪合戦が「エアー雪合戦(殴)」なのがプチ残念。



次は大公妃イリナ(イレーネ)の伶美うらら。
この人、トップ就任もかなわず退団と聞いて残念に思っていましたが、こんなドンデン返しが待っていたとは。まるで9回裏・ツーアウトで満塁サヨナラホームランです。(殴)

もう文句なしのトップ娘役。


伶美うららは、スカステで見た「キャパ」や、大劇場で観た「王家~」ではキャラクタと役が合っていない感じでしたが、上田久美子の二作品ではまさに水を得た魚!

これまでの彼女の集大成といえる、魅力満載の舞台でした。彼女も「翼~」に続くこの作品で再度本領発揮で、本当に良かったです。

史実がベースの舞台でも、この「大公妃イリナ」は創作された人物(「大公女マーリア」の体験などが参考にされていますね)ですが、しっかりとした人物像はさすがです。

気品ある美貌と、抑揚のきいたしかも情感にあふれた演技、低く抑えた声でもよく通る台詞など、非の打ちどころのない大公妃イリナでした。
センスのいい色彩とデザインの豪華な衣装が良く似合い、今のタカラヅカでこんな着こなしが出来る娘役が他にどれだけいるだろうかと思わせるぐらいで、シックな髪形もピッタリでした。


でもあくまでも非トップなので、プログラム(久しぶりに買ってしまった^^;)はその他大勢(殴)扱いですが、実質文句なしのトップ娘役なのでよしとしましょう。
くりかえしになりますが、とにかく私たちは再び「翼~」以来の気品に満ちた麗姿と演技がタップリ観られて、大満足でした。

続いてフェリックス・ユスポフ役の真風涼帆です。
この人物は貴族の生活を享受しながら、反面ロシアの現状についても醒めた目で見ていて、
ラスプーチン暗殺と皇帝一家を排除するクーデター計画を企てて、ドミトリーにも加担するよう持ち掛けたりします。こんな一筋縄ではいかない、したたかな人物を真風はのびのびと演じていました。二番手によく回ってくるおいしい役です。


個人的には、プロローグのニューヨークの場面で、
「人間は生活に必要な量以上に食物を手に入れるようになってから、文化や芸術を手に入れた」みたいなことを言ってから、「ニューヨーカーやボルシェビキどもには文化や芸術はわからない」と続けるところがツボでした。(私はロシアン・アバンギャルドの芸術とその時代が大好きですが)

太古の昔、生産力の発展とともに「階級」分化が発生し、フェリックスもまた、その支配階級の一員として、優雅な生活を築いてきたことを反省するどころか、革命後もあっけらかんと居直る姿に、反語的な表現ながら作者の歴史観が垣間見えた気がして、面白かったです。

怪僧ラスプーチン役は愛月ひかる。
今回も、ナウオンなどでの、おっとりとした話しぶりからは想像もできない怪僧ラスプーチンを体当たりで演じていました。






見始めてすぐに、絶品だったルキーニを思い出しました。

今回も鬼気迫る演技で、断末魔の形相もすごい。実際の暗殺の詳細は不明とのことですが、一説では、毒を盛られ、銃弾数発を撃ち込まれても死なず、最後は川に投げ込まれて絶命したとか。舞台でもしぶといです。(笑)

ドミトリーの婚約者オリガは星風まどか。


役としては、小さい時から王族の一員として、蝶よ花よ(古いなぁ)と大切に育てられた世間知らずな王女様ですが、時代に翻弄される(←これまた陳腐な表現ですが(殴))境遇をよく体現していました。
タカラヅカ事情に疎い私なので、ナウオンで見たとき「なんでこの人が次期娘役トップ?」と思ったのですが、歌、物凄くうまいです。納得でした。

夫とともにラスプーチンに誑かされる皇后アレクサンドルは、凛城きら。
はじめ、あれこんな女役さんいた?と思いながら見ていましたが、凛城きらとわかってびっくり&納得。やはりマリア皇太后と張り合うには、この配役でないとね。(笑) 
でも女役が良く似合っていてきれいで(よく考えたら変な話ですが)、見とれました。

その敵役となるマリア皇太后が寿つかさ。


冒頭に暗殺されるセルゲイ大公との二役というビックリの配役でしたが、ゾフィーばりの男っぷり(笑)はなかなかのものです。

最初は男役そのままの発声に違和感を感じたりしましたが、そこが演出家の計算だったのでしょうね。いい役で存在感タップリでした。

そしてジナイーダの純矢ちとせ。


冒頭、ドミトリーを送る舞踏会で、この人が狂言回し的に、これから始まる芝居の初期設定(笑)みたいな説明を兼ねた会話をしてくれて、登場人物や時代背景がよくわかって助かりました。(笑)

いつも感じることですが、なぜか私はこの人が舞台に現れるとホッとしたりします。(笑) 歌も演技も好みです。

あと目立つ役だったのは、コンスタンチン役の澄輝さやとと、瀬音リサのジプシーの踊り子ラッダ。
二人の関係が、当時の世情の一面を切り取っています。瀬音リサの野性的な強さのある歌とダンスが目立っていました。昔なら矢代鴻さんの十八番みたいな役ですね。


桜木みなとは急進的なボルシェビキのリーダー・ソバール。




革命の闘士として、頑張っていました。レーニンを信奉する急進的なボリシェビキですが、宝塚でレーニン主義者が見られるとは。初めてじゃないかな。でも姉も死んでしまうし、まあ過酷なツアーリの体制下ではリアルな話ですが、みんなほんとによく死んでしまいます。(笑)

最初と最後に出てくる農夫・イワン役が風馬翔。
出てくるのは最初と最後の短い場面で、ドミトリーと交わす台詞も多くないのですが、二人の台詞の行間に漂う情感が、場面を味わい深いものにしていました。幕間の休憩でヨメさんも、「あの農夫、誰かな、うまいね~」と褒めていました。まったく同感でした。


「クラシカルビジュー」は、宝石がテーマのショーでした。

私は結構きれいなしっとりした場面が多くて気に入りましたが、ヨメさんの感想は「普通」。

まあ確かに、最近の良作のショーと比べたらあまり新味はないですが、私は朝夏まなとと伶美うららのルビーの場面でのデュエットが見られただけで大満足。伶美うららの真紅のドレスを眼に刻み込みました。(笑)




真風涼帆が王冠を盗もうとする場面も美しい!




ショーでも愛月ひかるは驚きの太神官。

トップ交代も順調で、


真風もはやトップの風格が漂い始めていました




今回はショーでも、最初はそれほどサヨナラ公演という感じはせず、終盤の[継がれる輝き]から、トップ継承をモチーフとした演出に変わり、純矢ちとせがジュピターを歌いだして舞台はサヨナラモード全開となりました。

朝夏まなとは黒燕尾もバッチリで、ダンサーとしても存分にその力量を見せてくれました。










フィナーレのエトワールはもちろん星風まどか。申し分ない歌で、娘役新トップとしての力量を披露してくれました。

芝居のほうはサヨナラ公演臭のまったくしない作品だったので、ショーになってから最後のパレードで、ようやく、ああこれで朝夏まなとの最後の舞台になるのかという感慨がわいてきました。誰でもいつかは退団するとはいえ、やっぱり惜しまれます。

というわけで、第一回目の観劇の感想はおしまいです。

今週また大劇場に行きますが、今度はもう少し、主演二人以外の人物にも目を向けられる余裕がありそうです。いつとは言えませんが(殴)、また感想をアップしたら、覗いていただければ嬉しいです。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


↓おまけです。最後のナウオンの収録後、恒例の花束贈呈です。






こまつ座第119回公演『円生と志ん生』の観劇メモ

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兵庫芸文センターで、久しぶりにこまつ座第119回公演『円生と志ん生』を観て来ました。今回はその感想です。とはいってももう一か月以上も前のお話です。

順番からすれば、「神々~」のその2のはずでしたが、何を書こうか考えているうちに大劇場公演も東京公演も終わり、その間に今回の『円生と志ん生』が入って、その後星組を観て、さらにまたまた兵庫芸文センターで「オーランドー」を観て、10月26日にはドラマシティで「パジャマゲーム」と、観劇だけでも在庫の山。(殴)

その間に、2回万博公園に行き、ついでに民博の「よみがえれ! シーボルト‥」展と「カナダ先住民‥」展も観て、馬見丘陵公園にも3回足を運び、美術展も万葉文化館の美人画展で眼の保養のあと、兵庫県立美術館で「大エルミタージュ展」、11月5日には和泉市立久保惣記念美術館で「ピカソと日本美術 - 線描の魅力 -」、同じく12日は松柏美術館で「松園・松篁・淳之三代展」を観るなど、まったく貧乏暇なしです。(笑)

さらにその合間を縫って、増殖した(殴)ドローンを飛ばしに行くなど、もう体力の限界をはるかに超えて疲労困憊。おまけに、昔の職場の事業記念誌への寄稿依頼も安請け合いして、気ばかり焦る日々が続いていました。

ということで、いったんすべてリセットすることにして(ヲイ!)^^;、とりあえずこまつ座の『円生と志ん生』の感想から、在庫整理開始です。よろしければお付き合いください。

当日は、幸い阪神高速の渋滞もなく快走。一時間で地下駐車場に到着しました。
まず近くの「グラッチェ○○○○」で腹ごしらえ。ここは値段が手ごろで他に店もないのでよく利用しますが、店舗が車椅子に全く優しくないのが難点。店内に入るには車椅子を片手で押しつつ、重い二枚のドアを次々に開けて店内に入るという、近頃珍しい多重バリアー(笑)の店です。しかも最近メニューが大幅に整理され、気に入っていたものが無くなったのも残念。

トイレも済ませてロビーに戻ると、劇場入り口横に一つ花がだけありました。大空ゆうひさん(いつのまに祐飛から変わったのかな)への花でした。

まあ今回は彼女の姿を拝むというのも観劇の動機だったり。

この公演は12年前に初演、その2年後に再演されてから10年ぶりの再々演ということになります。

演出はこまつ座の常連となった鵜山仁。最近この人の演出作品とは縁があって、こまつ座では「芭蕉通夜舟」「イーハトーボの劇列車」、こまつ座以外では「トロイラスとクレシダ」や「幽霊」などを観ていますが、「トロイラス‥」と「幽霊」はよくわからない話だったので、やはり井上ひさしの脚本のほうが私などにもわかりやすくて好みです。

それはさておき、話は日本の敗色濃厚な1945年の満州が舞台です。
日本本土では空襲が続き、落語では食えなくなった円生と志ん生が、満州で関東軍の慰問をやれば白いご飯は食べ放題、酒も飲み放題という美味い話に飛びつき、1945年に渡ったものの、すぐに敗戦で避難民となり、あちこち流浪の末、ロシア国境近くの大連で足止めを食らって、600日間苦難の生活を送るというお話です。

筋としてはかなり地味な話で、しかも前半はテンポが遅く、時折睡魔が襲ってきましたが、休憩をはさんで後半は俄然面白くなりました。
ということで主な役ごとに感想です。いつものとおり敬称略です。


まずラサール石井の志ん生です。初めて舞台でお目にかかりましたが、飄々とした演技でかつ台詞は明瞭、風貌が志ん生そのもの。(笑) 
かなり自堕落というか、行き当たりばったりの「宵越しの金は持たない」的な志ん生を等身大に演じていました。大したものです。

一方、大森博史演じる円生のほうは、志ん生とは違って何事にもしっかり計算が行き届いた実務家的な人物です。ところが意外にも落語は、心に沁みる人情噺が得意という面白い人物です。この対照的な二人の掛け合いが見せ場になっていました。

その二人の周りに登場する20人の女たちは、みなそれぞれに不幸を背負っています。当時の満州に生きて死んでいったそうした女性たちを、大空ゆうひ・前田亜季・太田緑ロランス・池谷のぶえが一人五役を演じていました。

私たちの今回の観劇の目的は『Familia -4月25日誕生の日-』以来久しぶりにお目にかかる大空ゆうひ。
期待通りのしっかりした演技でしたが、少し残念だったのは、演じるのが教頭先生や修道院のテレジア院長など、かなり年長の女性なので、ちょっと勿体ない感あり。

オルテンシアほか4役の前田亜季の舞台は初めてですが、来年観劇予定の「TERROR テロ」にも出演するということで、楽しみにしていました。終わってみれば期待通りで、個性の全く違う5人の女性を好演していました。この人、8年前に「きらめく星座」に出ていたとのことですが、私たちが観た深谷美歩(良かったです!!)版の小笠原みさをとはまた違ったみさをを観てみたかったですね。

そして、マルガリタほか4役の太田緑ロランス。
海の夫人」のボレッテ役では、社会に出て自己実現したいと願いながら叶わず、半ば人生に諦観して生きる女性役をしっとりと演じていましたが、今回は全く違う役でした。(笑)
とにかく眼の力がすごい。(笑) 女優陣の中で一番目立っていました。頑張っているのが嫌味にならず、役の演じ分けが鮮やかで演技の幅が広いです。

たとえば野に咲く花のように」でも生活感に溢れた女性をリアルに演じていた池谷のぶえも同様にベルナデッタほか4役をこなし、それぞれ年齢も設定も全く違う人物を演じていて、その変わりようを観るのが楽しかったですね。途中で、これも池谷のぶえ?と驚いたことが何度もありました。いい仕事をしています。

音楽はこまつ座の芝居に欠かせない朴勝哲のピアノ演奏。「焼肉ドラゴン」のアコーディオン弾きも良かったですが、今回もリチャード・ロジャースの三曲をはじめ劇中歌の伴奏や転換音楽などで大活躍でした。

今回の舞台は、敗戦後の落語家二人の外地での足止め生活を描いた地味な感じのテーマなので、観終えて高揚感に包まれて帰途に就く、みたいにはなりませんでしたが、対照的な芸風の二人の噺家の、ほとんど紹介されてこなかった大連での生活を、井上ひさしが丁寧に舞台化したことには感心しました。

もっとこまつ座の舞台を観たいのですが、最近関西に来ないことが多くて残念です。



兵庫芸文センターの使用不可の車椅子昇降機のナゾ

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今回、偶然ですが、兵庫芸文センターが身障者には全く苛酷な施設だということがわかりました。

というのは、6日前の11月24日に、ヨメさんがデイケアからの帰宅時に玄関前でまさかの転倒。

幸い骨折等はなかったものの、麻痺側の足を打撲し、転倒時の恐怖もあって全く杖歩行が出来なくなってしまいました。それで現在はデイケア等で外出する時は、車椅子ごと送迎車に乗るという状態になってしまったのですが、問題は先行予約でゲットした観劇チケットです。

直近ではまず数日後に、兵庫芸文センターでの観劇予定が入っています。

なのでヨメさんは、二日前に劇場に電話を入れて、最近阪急中ホール上手側の階段通路に設置された車椅子昇降機を利用したいと依頼しました。

これですね↓


ところが、なんとこの昇降機、1か月前までに予約してもらわないとご利用できませんと担当者(女性です)にキッパリ断られたのです。

しかし、どこの世界に、計画して転倒する者がいるでしょうか。

今回の転倒までヨメさんは、兵庫芸文センターでの観劇のときは、毎回舞台下手側の長い階段通路を、手すりを頼りに一段一段下ってなんとか客席にたどり着いていました。

それができなくなったので昇降機を使いたいといったのに、「急に言われてもできません、これは劇場の方針です」との宣告。それなら元の席(最前部付近の良席です)は諦めるので、車椅子のまま観劇できる場所に変えてほしいと頼むと、これまた「全席完売なので席はありません」と全く取り付く島がありません。

しかし同センターのホームページには、
「各ホール車椅子のままでもご鑑賞いただけるスペースがございます。詳しくは、芸術文化センターチケットオフィス(0798-68-0255)までお問い合わせください。また、ご来場の際には、スタッフに声をおかけください。」と書かれています。
「スペース」であって「座席」ではありません。

それではどうしたらいいのかとヨメさんがすがる思いで聞いたら、ようやく何度目かの電話で、車椅子で行ける席を用意するとの返事がありました。なんとか見られるようにはなったのですが、やはりスッキリしませんね。
ちなみに、こちらで手持ちの席はどうなるのかと聞くと、即座に「売ります」とのこと。商売にはきわめて熱心です。

しかしね、みなさん。

1か月前までに事前予約しないと使えない車椅子昇降機っておかしいと思われませんか?

これでは、私たちのように、観劇直前に歩行困難になったら、まったく使えない設備です。

まるで、デパートでエレベーターに乗ろうとしたら「このエレベーターは事前予約が必要です」といわれたような気分でした。

この一件のあと、宝塚大劇場と梅芸、ドラマシティでも観劇予定のチケットがあるので、不安になったヨメさんが、それぞれの劇場に事情を話して障がい者席を使いたいと連絡したら、どの劇場も、極めて柔軟かつ懇切丁寧に応対してくれて、すべてOK。
一安心でした。

兵庫芸文センターの担当者はみなさん言葉遣いは丁寧ですが、絵にかいたような慇懃無礼さで、木で鼻を括ったような返事ばかりで、とにかく昇降機の使用を断ろうという意図が丸ミエでした。

設備があるのになんで使えないのかと、ヨメさんが理由を聞いたら、動かすための人手がないとバッサリでした。

道理で、同センターの劇場であまり車椅子のお客さんを見かけないはずだと二人とも納得でした。

いったいどういうシステムになっているのでしょうか。

もう過去のものと思っていた地方公共団体の、官僚的で硬直した劇場運営の実態を見せつけられた思いで、本当にガッカリでした。


兵庫芸文センターで『ダディ・ロング・レッグズ 足ながおじさんより』を観て思ったこと

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兵庫芸文センターで「あしながおじさん」を観て来ました。
ヨメさんは依然歩行困難で、初めてのフル車椅子観劇 (泣) 。
前回、「1か月前に予約が必要」という奇々怪々な車椅子昇降機のナゾについて書きましたが、今回の観劇でナゾは解けたかな?

当日は快晴でした。

レンタルした二種類の可搬式スロープを駆使して自宅内外の階段を次々にクリアしながら(笑)、電動アシスト車椅子で(帰宅時はスロープ急登になるので)、兵庫芸文センターに向け出発。幸い車が少なく、順調に阪急中ホールにたどり着きました。

手持ちのチケットを「U列」のチケットと交換してから、指定された席に行くと、そこはなんとホームページ上では「車椅子スペース」のはずの場所。
そのスペースにズラリとパイプ椅子を並べ、「U列」席として販売するという、なりふり構わぬ商魂に脱帽です。(笑) 
私の席は横を通る人に触れるほどの壁間際で、座っていても全く落ち着けない場所でした。

席に着いてから、念のため一か月前に予約が必要という車椅子昇降機の現状を確かめに行ったら、昇降機は階段最下部に折りたたんだ状態で置かれていました。


カナダのギャラベンタ社の車椅子階段昇降機アルティラという製品で、取扱業者のサイトでは「点灯したボタンを押していただくだけで初めての方でも迷わないでやさしく操作できます。」「障害物検知装置、緊急時手動停止装置や落下防止装置で、挟み込みや車いすの転落を防ぎ、リフト使用者と歩行者の安全を守ります。」と書かれています。世界各国で25,000台も使われている信頼性・安全性に定評のある商品とのことです。
↓兵庫芸文センターのサイトより


これを動かすのに、どうして「1か月前の予約が必要」だったり、「新たに人手が必要」だったり、「点検が必要」(いずれもセンター担当者談)だったりするのでしょうか。

ただこの劇場は、もともと車椅子トイレの配置とか、その内部が狭小で転回もできないなどいろんな点でバリア・アリーで、アクセシビリティへの配慮とは無縁の建築です。

急勾配な座席の配置のため、通路が変則的な階段になっていたり、平らな最前列付近の席も通路幅が狭く、車椅子の通行は不可能です。
なので、大部分の車椅子利用者にとっては、昇降機を使ってまで階段を下りる意味があまりないのですね。

結局、このホールで昇降機を使うのは、階段歩行は無理だが、平坦な前方席での杖歩行が可能な人限定になってしまいます。
(今回私は、彼女の脇を抱えて、階段下入口から席まで移動するつもりでした。)

こうしたことで、結果的に昇降機の利用者は限られ、芸文センターとしては「宝の持ち腐れ」状態のお荷物と考えるようになったのでしょうね。

なので、世間の手前ホームページにいろいろ書いていても、実際は「1か月前までの予約制」で稼働を制限して定期点検費用をカットし(恐らく都度点検契約に変えたのでしょう)、「車椅子スペース」にもパイプ椅子を並べて一般客に販売し、「売れ残っていたら車椅子の方でもOKね」みたいな、今時レアな対応をするようになったのでしょう。多分これがナゾの答えかと。でも本当は、いつでも障がい者が使えるように備えておくのが真のアクセシビリティだと思うのですが。

という愚痴話(感想より長いです^^;)はこれぐらいにして、『ダディ・ロング・レッグズ 足ながおじさんより』の簡単で薄~い感想です。いつものとおり敬称略。画像は当日購入したパンフレットから。ネタバレはなし。(笑)

今回はご存知のように二人芝居です。でも普段から観劇の選択権は私にないので、劇場で初めて知った次第でした。(殴)


芝居が始まってもしばらくは、最後列になった身の不運を嘆く気分(まだ言うか)が支配していましたが、始まったらまあ朗読劇みたいなものなので、この席でもいいかと納得しながら双眼鏡多用で観劇開始。(笑)

舞台装置は、18歳の少女ジルーシャ(坂本真綾)が暮らす孤児院の一室と、ジャーヴィス・ペンドルトン(井上芳雄)の書斎が隣り合わせになった凝ったものです。このセットがよく出来ていて、つい書架に並ぶ本の背表紙や、酒瓶のラベルなどのディテールを観察してしまったり。音楽は三人の演奏家の生演奏。

冒頭からしばらくは孤児院に暮らす坂本真綾のジルーシャの一人舞台です。

ここで院長の口真似をするところで、口調がガラッと変わったのには感心しました。長年のキャリアが生きていますね。

その後ジャーヴィス・ペンドルトンの井上芳雄が登場。


舞台で観るのは『パッション』以来で久しぶりですが、やはり歌も演技は大したもので存在感十分。何より歌がすごい。ド迫力の朗々たる歌で、坂本真綾の歌が、特に高音部がかな~り心もとない感じだったので、彼が歌い始めたらホッとしました。
私としては、新妻聖子がこのジルーシャをやってくれたら、ジャーヴィスと完璧にバランスがとれるのではと妄想しながら観ていました。

しかし単調になりがちな話なのに、よく出来た舞台だったので脚本は誰かと幕間にパンフレットを見たら、ジョン・ケアード。特に手紙を読むところで書き手と読み手をうまくミックスさせて飽きさせない演出が手練れでした。

ジルーシャの手紙の内容が、赤毛のアンのように、饒舌だが機知に富んでいるのも、睡魔を払うのに(殴)効果的でした。

まあ手紙のやり取りだけの展開なので、集中し続けないと睡魔は避けられず、私はなんとか最後まで持ちこたえましたが、前方席ではあちこちで舟を漕ぐお姿が見受けられました。(笑)

で最後のハッピーエンドの場面。
これまたうまく観客の気分を盛り上げていって、既知の結末でも全く陳腐にならなかったのには感心しました。
そして最後は全員がスタンディングとなって、熱演をねぎらいました。
ヨメさんも「いろいろあったけど観てよかった!」と喜んでいました。とくに井上芳雄の歌唱力には大絶賛モード。私も全く同感でした。


さて次は大劇場での雪組観劇ですが、こちらは完全バリアーフリー対応なので安心です。

でも感想はいつになりますやら。(殴)

宝塚雪組公演『ひかりふる路~革命家マクシミリアン・ロベスピエール~』と『SUPER VOYAGER!』を観て思ったこと

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12月7日に、宝塚大劇場で『ひかりふる路~革命家マクシミリアン・ロベスピエール~』とレビュー「SUPER VOYAGER!」を観てきました。
といっても、もう大劇場の千秋楽も終わって、鮮度堕ちすぎ。(笑)
で当日は、既報の通り(殴)、11月にヨメさんが転倒し、それ以降歩行困難になっていたので、久しぶりに補助席でのフル車椅子観劇となりました。でも客席が一望できたりするので新鮮だったり。

今回の主人公はロベスピエール!!

まあタカラヅカのフランス革命史も変われば変わったものですね。

これまでタカラヅカでのロベスピエールの描き方は、スカピンのような、凡俗・凡百のステレオタイプな「冷酷非道の独裁者」・「恐怖政治の元凶」的人物評が横行してきましたが、ここに来てようやく正当な評価が試みられて、手がけた生田大和氏と、その企画を通した歌劇団に感無量です。(遠い目)^^;

私はずっと前から、ジャコバン派とロベスピエールがどう評価されているかで、フランス革命を扱った評論や舞台、文学作品を評価する基準としてきましたが、まさかタカラヅカの舞台でそれを検証できるとは。

以前の『1789 -バスティーユの恋人たち-』も民衆の視点から革命を描いている点で新しさがありましたが、タカラヅカオリジナル作品でロベスピエールを主人公に据えたのは今回が初めてでしょうね。長生きはするものです。(笑)

というわけで、観劇の日を心待ちにしていました。

で観終えての感想ですが、期待通り見ごたえのある作品で、大満足でした。

以下、いつものとおり淡白で独善的な感想で敬称略です。
珍しく結構ネタバレありなので、未見の方はここでお帰りになられたほうが吉です。
(画像はスカステのナウオンからキャプチャーしているので不鮮明です。)

まず、作品に貫かれたフランス革命の評価と、そのベースにある歴史観は期待以上で、さらにそれを体現した望海風斗と真彩希帆の歌がすごい!!
そして全曲フランク・ワイルドホーン作というのも豪華です。口ずさみながら帰宅、とまでは行かないけど(殴)、さすがに耳に馴染むいい曲ばかり。

「ひかりふる路‥」の時代設定は、タカラヅカの作品でいえば先の「1789‥」に連続する時期。
ギロチンの刃を象徴するかのような斜めの線が際立つ幕が上がって、タレーラン(夏美よう)と、
マノン・ロラン夫人(彩凪翔)が狂言回し的に登場。



その後、舞台は1792年末から93年初めにかけての、ジャコバン派とジロンド派の間でルイ16世の処遇を巡る対立が激化していた国民公会の議事堂に変わります。

ちなみにこの劇で一番印象的だったのは、タレーランの
「歴史は生き残った者が書く」という台詞。この一言が、作者の主人公への思いを言い表しているようで、心にグサッときました。


サンキュロット(パリを中心とした都市下層民と労働者の急進派)の支持を背景に、ロベスピエールが「国王はその存在自体が罪である」と演説し(史実ではサン・ジュストが演説したのですが(殴))、93年1月にルイ16世が断頭台に送られるところから物語は始まります。

話はかなり歴史に忠実に展開していきます。

ということで、役ごとの感想です。

まずマクシミリアン・ロベスピエール役の望海風斗から。


プログラムの解説にもあるように、ロベスピエールは誠実で私心なく清廉の人で、民衆の熱狂的な支持を集め、不倶戴天の敵・マリー=アンヌ(真彩希帆)すら恋に落ちるほど魅力的な人物。そんなロベスピエールを望海風斗はストレートに演じていてぴったりの役でした。



主題歌「ひかりふる路」を歌いだしたら舞台はたちまち望海ワールド(笑)。


演技と歌のバランスが良くて、立ち姿も堂々としていて、大劇場お披露目公演なのにすでに風格すら漂っていて見惚れました。

ただ、2本物の制約から、脚本にはロベスピエールの生い立ちや経歴、人となりを紹介するエピソードがほとんどないのが残念。これがあれば感情移入しやすいだろうにと思いました。

情熱をもって革命に没入したものの、革命の進行とともに内部での対立抗争も激化し、外国の干渉やサンキュロットの蜂起、反革命の争乱などで、革命自体その雲行きも怪しくなってきて、やがてロベスピエールも懊悩し始めます。そのあたりの揺れる心情もよく表現されていました。

そして、相手役のマリー=アンヌ役は真彩希帆。


ロベスピエールを追ってパリに出てきて、


隙あらばと狙って近づきます。






架空の人物ですが、作者はモデルとして、ロベスピエールの盟友ジャン=ポール・マラーを暗殺したシャルロット・コルデと、ロベスピエール暗殺未遂犯セシル・ルノーという二人の女性をベースに造形したといっています。敵役が恋仲になるというよくあるパターンですが、怨念が次第に愛に変わる過程をうまく演じていて、期待通りの歌と相まって、安心して観ていられました。
(マリー=アンヌという名前はマリー・アントワネットみたいで面白いですが、私はマリアンヌかと思っていました。)
この人は『幕末太陽傳』の「おひさ」&『Dramatic”S”!』の「絵画の女A」で初めてお目にかかりましたが、やはり今回も演技と歌は大したもの。どちらかというと庶民顔ですが(殴)、これぞ娘トップ!な歌唱力と演技で、望海風斗と絶妙のバランスのコンビでした。

二人に続く役どころとしては、まずジョルジュ・ジャック・ダントン役の彩風咲奈と、




ロベスピエールの盟友サン・ジュストを演じた朝美絢、




そしてこの公演で退団する専科の沙央くらまが演じるデムーランが目立っていましたが、


私は先に触れた彩凪演じる大年増なマノン・ロラン夫人がインパクトがあって面白かった。



歴史的に夫より有名で、実質ジロンド派の黒幕だったことを考えれば、彩凪の登用は当たりでした。
(しかし今回の公演は、ショーでのまさかのエトワールなど、沙央くらまへの大厚遇が目立っていましたね。)

さらに妄想すると、私的にはサン・ジュストは美弥るりかもいいかなと思ったり。(笑)

デムーランは、実際にはバスティーユ襲撃前に蜂起を呼びかけたりと、フランス革命史上有名な人物ですが、時間の都合でそれらは割愛。
というわけで、今回の舞台、これまで黒い役の筆頭みたいに扱われてきたロベスピエールにスポットにライトを当てた点で画期的でしたが、やはり2本立ての限界で、劇中で十分彼の歴史的な役割とか、人物像が展開されていないのが勿体ない。

結局ロベスピエールは、絶対王政の打倒後に顕在化してきたブルジョアジーとサンキュロットの決定的な対立、その反映としてのジャコバン派とジロンド派との絶え間ない対立抗争、そしてオーストリア・プロイセン・イギリス・スペイン・オランダ等の絶え間ない武力介入の重圧で危機的な情勢にあって、自分の立場に確信が持てなくなったのでしょう。
私としては、彼はブルジョアジーと決別して、サンキュロットとパリコミューンの民衆とともに最後まで革命を進めるべきだったと思いますが、それは今だからこそ言える話ですね。

最後は「王家‥」みたいな場面になって、二人は天上へ旅立ちます。

しかし、タカラヅカが描くフランス革命は、砂糖菓子のような甘~い「ベルバラ」から、露骨なイギリスの反革命的干渉の「スカーレット・ピンパーネル」(笑)とか、民衆の蜂起そのものの「1789‥」、革命の後日談みたいな「アンドレア・シェニエ」(そういえば望海風斗がパンジュ侯爵を好演していましたね)、そして革命の終盤にボナパッて登場した「眠らない男ナポレオン」、そして今回の「ひかりふる路」と、まあ多彩というか、無節操というか(殴)、懐が深いです。

今回観劇しながら、視界360度の劇場で、これらの作品を時間軸を統一して上演したら面白いだろうなと妄想していました。

さてショーのほうは、新トップ「望海風斗」をそのまんまタイトル化した「SUPER VOYAGER! -希望の海へ- 」。
構成も「希望の海」から「風に舞う雪」、「北斗七星」とわかりやすい!(笑)

どれも洒落た場面で楽しめましたが、とくに良かったのが第4章の風のささやき。(歳がばれる(笑))
曲に乗って、サントロペで繰り広げられる望海のマフィア=アランと昔の恋人マリアンヌ(マリー=アンヌの生まれ変わり?(笑))の朝美絢、彩凪のジョルジュ(ヒモですね)の古典的な三角関係。
でも朝美絢が色っぽくて、それを見ながら歌うクラブ歌手の女に扮した沙央の歌が大健闘で、なかなかお目にかかれない設定にビックリでした。

いつも言っていますが、男役のほうが、色っぽい大人の女をやらせたらうまいですね。

真彩希帆も“BIG DIPPER”の場面では、名曲「ビギン・ザ・ビギン」を歌うなど、聴かせてくれました。


客席降りもタップリで盛り上がりました。(私たちは補助席でウラヤマシー!でしたが)
カラフルでテンポがよくて、メリハリのある場面転換が魅力。


そして第7章で船出となって、どこかで見たような船のセット(殴)にのって航海に旅立ちます。










ここでも退団する沙央くらまが一場面をもらって頑張っていました。
先に書きましたが、パレードのエトワールも沙央が務めるなど大活躍でした。歌劇団の温情がこれでもかと伝わってきます。

第9章の「希望の海へ」のカゲソロの桜庭舞もよかったですね。

今回の歌劇の名にふさわしい歌ウマなトップコンビの魅力いっぱいの新生雪組公演、大満足でした。
おすすめです。


今回もご覧いただき、ありがとうございました。


今年最初の観劇は『不滅の棘』でした。 よかったです!!

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昨年最後の観劇は兵庫芸文センターでの『ペールギュント』。その翌日、一人で大掃除を頑張ったのが祟ったのか、正月早々から風邪を引き、2・3・4・5日まで絶不調。
ようやく6日ごろからなんとかましになって、8日のシアタードラマシティでの「不滅の棘」は無事観劇できて、やっと新年らしいスタートとなりました。
ということで、大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。M(__)m

今年も気まぐれ更新なブログになると思いますが(殴)、お暇なときにご覧いただければ幸いです。

で、いきなりですが、『不滅の棘』の感想です。いつものとおり敬称略。
(画像はスカステのニュース画像をキャプチャーしたものです)
15年前の初演は観ていませんが、ヨメさんは以前にスカステで放映されたのを見ていて、春野寿美礼がピッタリの役で、舞台装置も衣装も斬新、なにより木村信司の脚本・演出を絶賛していました。
でも私はそれも見ていないので(^^;、今回は(今回もか)、全く予備知識のないままでの観劇でした。

結論としては、何と言っても主演の愛月ひかるが光って(殴)いました。
舞台映えのする大柄な立ち姿に、真っ白な衣装が良く似合っていて、絵にかいたような偉丈夫。(笑)
白いマントを翻してさっそうとカレル橋に登場すると、それだけで絵になります。




しかし、彼女にはいい意味で裏切られっぱなしですね。

最初の衝撃はルキーニ。
それまでスカステのナウオンとかで話している様子を見て感じていた、色白でおっとりと話す控えめな印象から、彼女にはとてもじゃないが、ルキーニみたいなルナティックでファナティックで、エキセントリックでパセティックな((殴)しつこい!)テロリスト&アナーキストな役は無理で、これは大ミスキャストだろうと思っていました。

ところが、終わってみれば近年ではベスト!なルキーニ(あくまで個人の感想です)。本当に驚かされました。

そして去年のラスプーチン。鬼気迫る怪僧ぶりで、こんな役ができるのかとまたまた驚かされました。

そして止めが今回の『不滅の棘』。

不老不死の主人公・エリイ/エロール・マックスウェルを演じたことで、また新たな魅力が見られました。もともと春野寿美礼の宛書みたいな感じの役なので、これの再演は難しいだろうと思っていたのに、またまた独自の魅力ある役作りがされていて、感心しました。


初演では、かなり魔界の住人みたいな人間離れした主人公でしたが(ヨメさん談)、今回の愛月バージョンのような、人間臭い主人公も、意に反して永遠の命を与えられてしまった苦悩と絶望、虚無がよく体現されていて、よかったと思いました。




でもこの後、11日に「ポーの一族」を観て、今年のタカラヅカは「不老不死」特集かと笑ってしまいましたが。
ともあれ、今回の観劇で私たちは愛月ひかるを再々再評価で、今後に大いに期待したいです。

スカステのインタビューでは「歌が苦手なので、歌が課題です」とか言っていましたが、実際に観てみたら十分な歌で破綻がなく、これもうれしい驚きでした。まあルキーニでもラスプーチンでも歌が弱いとは思わなかったのですが。

その相手役・フリーダ・プルス/フリーダ・ムハを演じるのは遥羽らら。

今回初めてお目にかかりましたが、二人のフリーダをうまく演じていて、愛月とのバランスも良く、いい組み合わせでした。





歌も力がありましたが、フリーダがカレル橋で「私は~あなたを~愛しています~」と歌うところはまるでアムネリス。(笑)
と思って調べたら、実際に2015年の「王家に‥」の新公でアムネリスをやっていましたね。それで今回の登用となったのでしょうか。
役としては1933年のフリーダ・プルスのショートカットが印象的で、カッコ良かった。今後注目したい人です。


弁護士アルベルトは澄輝さやとが演じていますが、初演では瀬奈じゅんで、アルベルトは初演のほうが存在感があったとヨメさんの談。でも頑張っていました。

プルス男爵未亡人タチアナ(純矢ちとせ)の息子ハンスは留依蒔世です。初演ではこの役を彩吹真央が演じていたとのことで、初演は豪華メンバーですね。どちらかというと童顔ですが、劇中ではアルコール依存症で常軌を逸した人物を力の入った演技で演じ切っていました。


ハンスの妹クリスティーナは華妃まいあ。初演が東野あすかというのも納得の、よく伸びる美声で聴かせてくれました。


未亡人タチアナの純矢ちとせはベテランらしい余裕の舞台。

ただ私たちが見たときは少し台詞をかんだ場面がありましたが、まあまだ2回目だったので無理もないかな。それより今回は少しほっそりした感じが気になりました。
もう少しふくよかな方がいいのにと思ったり。
でもこの人や、カメリア役の美風舞良が出てくるとグッと舞台が安定しますね。

舞台装置はシンボリックな形で、シンプルかつ斬新で洗練されていました。


何度も使われるカレル橋もよく出来ていて、多数の引き出しのある傾いた壁のようなセットも面白い。


死なない・死ねない・終わりのない生を生きねばならない、ということが如何に残酷なことかという主題を浮かび上がらせる印象的な舞台でした。それと、甲斐正人の音楽も耳になじむいい曲ばかりで、この才能がのちの『王家に‥』の大成功に結実したというのもよくわかりました。

あとインパクトがあったのは第6場の巨大な卵のセット。

どういう風に割れるのか興味津々でした。(笑)
中から現れた美女!もインパクトありで、演出家の遊び心全開ですね。でも卵、本当によく出来ていたなあ。


先に触れたように、次に大劇場で観た『ポーの一族』も同じようなテーマですが、考えさせるということでは『不滅の棘』のほうがストレートで分かりやすかったと思います。

というわけで、いい作品からスタートを切れてラッキーでした。次は『ポーの一族』ですが、それまでにアップしなければいけないネタが溜まりすぎているので、頑張らないと‥。(^^;


ヨメさんが病院に緊急搬送されました その1

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ヨメさんが14年ぶりに脳卒中を再発してしまいました。


2018年1月16日(火)の朝、私はいつものとおり、ヨメさん(以下Fとします)の乗ったデイケアサービスの送迎車を見送って、久しぶりの好天なので、新年初のドローン空撮に出かけて、正午丁度に帰宅しました。

家に入ると同時に電話が鳴り、また何かの勧誘かと思っていると「Fさまがデイケアサービス中に呂律が回らなくなって倒れ、こちらに緊急搬送されました。」という連絡。


青天の霹靂とはこのことです。


すぐ病院に駆けつけました。14年前と同じ病院です。

FはHCUのベッドに横たわって目を閉じていました。

でも声をかけると薄目を開け、同時に心拍数と血圧が跳ね上がったので、聞こえているようにも見えました。

担当医の説明では、脳内出血の再発で、今回は右側の出血なので、健全だった左半身側も麻痺する恐れが高いということでした。

聞いているうちにどっと絶望感が押し寄せてきて、何も考えられなくなりました。


14年間頑張って、杖歩行で市内循環バスに乗って近くの駅に行ったり、右手が使えなくなっても、左手で絵手紙がきれいに描けるようになったり、言語機能もまったく障害が感じられない状態になっていたFでした。


でも、そんな努力がいっぺんにご破算になってしまったかと思うと、一挙に涙腺がゆるんできました。


それを必死にこらえて、藁をもつかむような気持で、担当医の説明を受けました。

担当医の先生は驚くほど若く、でも丁寧にわかりやすく答えてくれて、信頼できそうで一安心でした。

パソコンのCTの画像を使っての説明で、今後の手術としては二つあり、一つは前回同様、出血を外から吸引するもので、もう一つは頭蓋骨を開けて出血を除去し、止血処理をするというもの。

出血が止まっていたら前者、続いていたら後者になるということで、とりあえず明日再度CTを撮り、出血の状態を見て判断するということでした。

14年前で電子カルテのデータがないというので、私が前回は24cc出血したうち、21ccを吸引してもらったと言ったら、そうだとすると出血の量は現段階でも前回より多いとのこと。

とにかくすぐにでもCTを撮って、出血の状態を確認してほしいところですが、見極めにはある程度時間の経過が必要なので、明日撮るということなのでしょうね。

そのほかいろいろ説明を受けてから、入院に必要なものを提供してもらうため「手ぶらで入院」サービスの契約をしてから、とりあえずデイケアの荷物や衣類を持っていったん帰宅しました。

自宅で、Fの一番の近親者である弟夫婦に電話して概要を知らせた後、病院から依頼された、現在処方されている薬の明細と「お薬手帳」を探しました。

Fがいつも使っているバッグを見たらすぐ見つかりましたが、バッグの中のいろんなものを見ているだけでまた涙です。


夕方、明細と薬の手帳をもって再度病院へ行きましたが、薬の現物も必要とのことで、明日それは届けることにしました。

そのあとFの様子を見ましたが、呼びかけてもあまり反応がないのが気がかりでした。



まあ倒れた直後で、鎮静剤も投与されているし、出血の影響もあるのだろうと自分に言い聞かせながら帰宅。

ようやく、朝食以外何も口にしていなかったことに気づいて、冷ごはんと冷凍のおかずをレンジで温めて食べようとしても、まったく食欲なし。

かくてはならじと、なんとかお茶漬けで流し込みました。

そのおかずもFが観劇とかで帰宅が遅くなったときのために買ってあったものなので、それを見たらまた辛くなってきます。

なんとかすべて片付けてから、Fの衣類と私の着替えたもの等を洗濯機に入れ、朝仕上がるようにタイマーをセット。

イギリスにいる娘にとりあえず状況をメールで知らせて、慌ただしかった1日の終わり。

いつもより早くベッドに入りましたが、やはり寝られず。いろんなことがとりとめもなく浮かび、長い長い夜になってしまいました。

でももっとつらいのはFです。


Fさん、また前のように、私もがんばるからね。   (続く)



ヨメさんが病院に緊急搬送されました その2

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1月17日(水)

Fの緊急入院から2日目です。

殆ど寝ていなくても、気持ちが高ぶっているのか眠くなく、毎朝Fが作ってくれていたのと同じ朝食を作って食べ(思い出してまた辛いですが)、とりあえず近く会う予定だった友人たちに会えない旨の簡単なメールを送りました。

イギリスにいる娘から、メールの返事がきました。驚いていましたが、まだ帰らなくてもいいと返事しました。

危篤状態というわけではないし、彼女も近く職場が変わることになり、何かと多忙なことが分かっていたからです。

そのあと、前日交わした約束どおり、朝10時に病棟に行きました。

担当医の先生はもう待ってくれていて、2回目のCTスキャンの結果、まだ出血が止まっていない!ので、明日18日の朝9時30分から開頭手術をするといわれました。

大ショックでした。

そして手術の概要の説明を受け、必要な同意書と申告書を書きました。


その後ベッドサイドに行っても、前回14年前と違ってFの意識の状態は芳しくありません。前回はこの時点でもう話せていました。

でも声をかけると心拍数と血圧が跳ね上がり、目の前にかざした手を追うような眼の動きもあるので、わかっているのかなとも思ったり。

時々目頭に涙が溜まったりするので、悲しいという感情が湧いてきているのか、それとも状態がよほどきついのかなとも思って、また辛くなります。

しばらく声をかけたり見守ってから、いったん帰宅することにしました。

途中Fが倒れたデイケア施設に寄って、預かってもらっていた電動アシスト車椅子と洗面道具などを受け取り、自宅近くのコンビニで昼食用の菓子パンとサンドイッチ、夕食用の麻婆丼を買って自宅へ。

お昼ですが、全然食欲はありません。それでも、なんとか菓子パンを牛乳で流し込むように食べて昼食としました。

この時点で、ガス給湯機が壊れている!ことに気づきました。

何度かON・OFFを繰り返しても治らないので、すぐ業者に連絡。

夕方5時ごろ点検に来てもらうことになりました。

まさに泣きっ面にハチ。

その後、2月に予定していた兵庫芸文センターでの2回の観劇のため事前予約していた、例の車椅子昇降機をキャンセル。

続いて、同じく2月の梅芸での黒蜥蜴観劇のため確保していた車いす席もキャンセル。

宝塚も、月組公演のチケットを買っていましたが、これはFの知人に譲り、代わりに観てもらうことにしました。

「2月は久しぶりに観劇月間やね」とうれしそうに話していたので、本当に悲しいです。

残ったチケットは仲介サイトで売却することにして、本人確認の更新手続きをしました。

それと、今週木曜日に開催される月一の花アレンジ講習も出席できない旨先生にメールしました。

詳しい容態を知らせなかったので、単なる体調不良と思ったのか、先生から「もう材料を手配済みなので、引き取ってほしい」といわれ、「材料代はお支払いするので、花は処分してほしい」と伝えました。

そのあと、朝持っていくのを忘れていたFの服用中の薬の現物をもって病院へ行きました。

しかしFは依然として反応はあまりありません。

見ているとますます辛くなるので、1時間足らず話しかけたり手足に触れたりした後、帰宅しました。

夕食に、コンビニの麻婆丼を温めて食べ始めましたが、まったく味がわかりません。でもなんとか食べ終えたら、大阪ガスの代理店のサービス担当者が来てくれました。

しばらく点検していましたが、給湯はできるが再加熱用のボイラーが壊れているので取り換えが必要とのことです。

前回の交換から15年ぐらい使ったかなというタイミングの故障。

やはりタイマーが設定されているような気がします。

とりあえず給湯機能は使えるので、なんとか風呂は入れるし、洗面や調理はできるが、やはり追い炊きできないと困るので、見積もりを依頼しました。

そのあと、どうしてもFが気になるので、7時過ぎにまた病院へ。

8時までベッドサイドから、Fに声をかけたり体に触れたりしていました。

声をかけるとすぐ心拍数と血圧が高くなるので、何らかの形で反応しているようでうれしいのですが、数値が高くなるのは気になるし、痰がたまりやすくなっているのか、ゼイゼイと苦しそうなので、安静させようと一時間で切り上げて帰宅しました。

自動給湯できないので不便ですが、とりあえず風呂に入ることにしました。西洋式のバスのように、その都度湯を抜くことになりますが、3日ぶりの風呂で、体は休まりました。

風呂を出てから、明日のゴミ回収に出すため、家中のゴミを集めましたが、そんな日常の雑事でさえ、Fと交わしていた会話が思い出されて辛くなります。

寝る前に牛乳を温めて飲み、洗濯機から洗濯物を出していつもの通り干してから、ファンヒーターのタイマーをセットしてベッドに。

明日の手術が無事に終わるようにと願いながら寝ました。


ヨメさんが病院に緊急搬送されました その3

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1月18日(木) 晴れ まだ気温は高め。

今日も、いつもより1時間早く早く目が覚めました。ベッドサイドのパソコンでメールチェックしたら、娘から帰国便の詳細が送られてきていました。

グラスゴー発のKLMで明日午前に到着とのこと。

ゴミ出しのあと、Fが毎日作ってくれていたものと同じ朝食を作って食べました。

この日はしっかり食べられたので、一安心。

Mavic Proのバッテリーがモバイル電源として使えることを思い出して充電し、それとデジカメとパソコン、モバイルルーターを持参して、アドレスで病院に向かいました。

8時50分に病院に着き、手術前のFの傍に行きました。写真も撮り、声をかけて励ましても依然反応はありません。

心拍数と血圧は安定していました。何度か薄目を開けたので、また声をかけたり眼の前に手をかざしたりしましたが、やはり反応してくれません。

9時30分ジャストに、Fは手術室に移送されていきました。

それまでHCUで見かけた看護師とは別格の、いかにも経験豊富そうな年配の看護師2人と、それより若いがこれまたベテランらしく落ち着いた雰囲気の看護師が4人、そして担当の先生というものものしい体制でした。あと麻酔医もついて全身麻酔での手術です。

出ていく際に、看護師さんや先生がこちらに軽く会釈してくれたのが、心に沁みました。

その後、待合室で待機。

所要時間は2時間と聞いていました。

その間に、これまでの経過を整理してメモすることにしましたが、わずか2日前のことなのに、もう忘れていることや、記憶が前後していることが多いのに気づかされました。

Fの弟夫婦にもメールして、午後2時に病院に来てもらうことにしましたが、手術の経過を11時半にメールしたら、これから出るとの返事。HCUの待合室にいることを伝えました。

12時半を過ぎてもFはまだ手術中で、少し不安になってきましたが、それから10分過ぎた12時40分に看護師から、「手術は終わりました。まもなく戻ってきます」と告げられました。

一気に脱力。


しばらくして先生が出てきて、待合室で手術中の写真を使いながら手術内容を説明してくれました。

血腫を取り除いたので、それが圧迫していた周辺の脳の盛り上がりもなくなっている様子がよくわかりました。

止血剤も1種類だけで済んだとのこと。

でも急に麻酔を切ると血圧が急上昇する危険があるので、今日は麻酔は続けて、明日CTで確認しながら徐々に麻酔を切っていくとのことです。
[↓これは麻酔システムでしょうか?]


Fは、麻酔の影響で心拍数も血圧も低くなっていました。


でも手術前のゼイゼイという呼吸音は消えたので、こちらも気が楽になりました。

説明が終わってすぐに、弟夫婦も到着し、初めて病室で見舞ってもらいました。

そして院内の食堂に移動して、先生から聞いた手術内容を伝えました。

軽く昼食を取った後、少し話をして二人と別れました。その後私もいったん帰宅し、ガレージで走行中気になった前ブレーキの鳴きを点検して、パッドピン固定用のダルマピンが抜けているのに気づき、ゾッとしました。

でも道具箱やパーツボックスを探してもピンの在庫がないので、とりあえず釘をまげて固定。異状なく作動することを確認してから、帰国する娘のベッドを整えて、4時すぎにまたアドレスで病院に向かいました。

途中病院近くの、前にアドレスの後輪タイヤを交換したショップで前輪タイヤの交換も依頼し、ついでにパッドピン固定用に割ピンを分けてもらい、病院へ。


病室で様子を見ましたが、Fの様子に変化はなく、麻酔がきいてよく寝ていました。本当にほっとしました。

でも、右側頭部の開頭跡のホッチキスが痛々しいです。

それらをデジカメに収めたあと、帰途につきました。途中病院横のスーパーにより、夕食用に寿司と安かったマウントレーニアや茶漬けを買って帰宅。

寿司は久しぶりでおいしかったです。味がわかる余裕が出てきたことがうれしかった。

でも、いつも二人であれこれ話しながら夕食を取っていたことに比べたらあまりにも寂しく、また涙がこぼれそうになって必死にこらえました。

食べ終えて、手術が無事終わったので気が緩み、やっと気持ちにも余裕が出てきました。


しかしメールをチェックしたら、娘が乗る予定のKLM便が、アムステルダム付近の嵐でキャンセルになったとのこと。

でも続いてエミレーツ航空のドバイ経由便に振り替えとなって、明日の夕方5:45には帰国できるとのメールが来ました。

これならFを見舞ってから関空に迎えに行けそうです。

夜、いつもFが利用していた訪問マッサージのUさんから電話。

これまでの経過を説明したら本当に驚いていました。

当然ですね。

倒れる前日にも来てくれて、タカラヅカ情報や最近観た公演の感想などを楽しそうに二人で話し合っていましたからね。

その場で、月組公演を代わりに観に行ってくれるよう頼んだら、快諾してくれました。


それにしても、今日も長い1日でした。昨夜と違って少しおそめの11時に就寝しました。

ヨメさんが病院に緊急搬送されました その4

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1月19日(金) 気温は12度の予報 晴れ

やはりまだ気持ちが高ぶっているせいか、午前3時過ぎに目が覚めてしまいました。
寝られないので、Fの古いhpのノートパソコンの置き換え用に購入しながら、彼女がまだ使えるから勿体ないと言って使っていなかったDellの新パソコンをベッドでのメールチェックに使うため、4時ごろまでWindows10の更新作業。

そのうち眠くなってきてベッドに入り、6時半ごろまた目が覚め、その後もウトウトしていたら、結局いつもの時間になりました。

今日も寒波が緩んで暖かな朝で助かりました。

娘はなんとか定刻通りにグラスゴーを飛び立ったようです。
ドバイ経由と大回りですが、今日の夕方には着くとのこと。

朝食後、大阪ガスに電話して、給湯器交換の見積もりと契約のため午後1~2時の間に来てもらうことにしました。

その後病院に行きましたが、HCUの面会時間は12時から21時までと言われ、また家に戻る羽目に。
これまで、手術やその事前説明で午前9時とか10時に病院に行っていたので、てっきり面会時間も10時からと思い込んでいました。

すごすごと帰って、時間つぶしも兼ねてアドレスに割ピンを付けていると、阪急・キッチンエールの宅配便が来ました。
先週の水曜日にFと二人でカタログを見ながら注文した品物です。

おかげで食料品のストックは豊富になりましたが、Fの好物のきんつばを見てまた悲しくなったり。

それにしても、家中のあらゆるものにFの元気な時の記憶が張り付いていて、何を見ても辛くなります。

居間の、元気に16日朝出かけた時そのままのベッドや、ベッド脇にかかった服、倒れた時に身に着けていたバッグや装具を見るたびに、涙が出そうになります。

今は前のようには動けなくても、意思疎通さえできればと願うばかりです。

1時半に、ガス工事の見積もりのため担当者がやって来ました。工事費込みで39万円!出費が痛いです。
来週ぐらいに工事予定で、午前中には済ませるとのこと。

そのあと、病院に行き、Fに会いました。麻酔は切られていましたが、血圧は正常とのことでした。


昨日に比べて眼の周りが黒ずんで見えるのが気になりましたが、看護師の話では疲れでしょうとのことでした。

最初の10分間はFに声をかけても反応がなく、心拍数(100程度)や血圧(130ぐらい)も変わらなかったのですが、ずっと耳元で名前を呼び続けていたら、突然パッと眼を開けて、心拍数は150、血圧も170ぐらいに跳ね上がってアラームが鳴りました。

「K(娘です)が帰ってくるから」とか「Uさん(訪問マッサージの先生です)も電話をくれたよ」とか言ったのでわかったのでしょうか。

明らかに反応しているように思えましたが、興奮させると悪影響があるのではと心配になり、来合わせた看護師さんに声をかけました。

彼女も、反応はいいけど、確かに心拍数や血圧が上がるのも心配ですねといいながら笑っていたので、それほど心配しなくてもいいのかと思ったり。

とにかく反応してくれたように見えたのがうれしかったですね。

しばらくいた後、娘を迎えに、2時50分に関空に向かいました。
阪和道はガラ空きで、3時40分に到着、駐車場は混んでいて、5Fにようやく駐車。

飛行機の到着時間は16:55の予定がすでに7分遅れの表示に変わっていました。

待つ間にパソコンで記録を書いたりしていましたが、結局5時19分に到着し、同40分ぐらいにようやく娘が出てきました。
ドバイ経由で16時間ぐらいかかったそうですが元気そうでした。

空港から帰宅途中、病院に立ち寄りました。

Fは寝ていて、今回は呼びかけにはまったく反応せず。手術の影響で右の顔面が腫れて、痛々しい姿でした。

10分ぐらいいたあと、帰宅。

新聞受けには、Fが、タカラヅカの無料Web予約サービスが無くなったのを契機に入った宝塚web会員カードの不在連絡票が入っていました。

運命の皮肉を感じながら再配達日時の変更手続きをしました。

このカードが役に立ちますようにと願わざるを得ませんでした。

そのあと、娘が、イギリスから持ち帰った野菜を、今日届いたキッチンエールの長崎チャンポンに足してくれたのを食べました。
満腹です。

空港で待っている間にも、久しぶりに空腹を感じてうれしくなりました。

娘は10時過ぎにベッドに行きました。

今日も長い1日でしたが、手術後の経過も安定していて、Fが少し反応してくれたのが大きな励みになりました。

入院から二週間がすぎました

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よく1月行く・2月逃げる・3月去るといいますが、私にとってはこの1月は本当に長かったです。

でも娘が帰ってきた19日からは、一人であれこれ思い悩むことも少なくなって楽でした。

娘は勤務先が2月から変わるので、その事務手続きと、現在の家の処分と、新しい勤務地周辺での家の購入などで多忙な時期なので、無理して帰ってこなくてもいいと伝えていましたが、やはりFの容態と手術後が心配なのか、19日に帰ってきてくれました。

私も帰らなくてもいいと言ったものの、家に一人でいれば頭の中はFのことばかり。

ほとんど寝られない夜が続いていたので、空港で顔を見たらやはりほっとしました。

その娘も、今日の朝、イギリスに戻っていきました。

でも現在は、一応一般病棟に移り、容態も安定してきたので、あとはどれだけリハビリで身体機能を確保できるかが焦点なので、また一人になっても十分やっていけそうです。

とはいえ、病院の面会開始時間の12時までに家事や雑事を済ませようと、食事の準備や洗濯、掃除などをしていると、不意にFの記憶がよみがえってきたりするので辛いですが。

Fが倒れた翌日に壊れたガス給湯暖房機の交換が、今日の午前中にやっと終わりました。

やはりシャワーでは寒かったので助かりますが、前に書いたように周期的に壊れるのはいかがなものかと思いますね。

(壊れたといえば、23日にはFのベッド近くで使っていた石油ファンヒーターも壊れて、買い替えが必要となったり。)


話は変わりますが、この二週間の間に、ガッカリしたことと、うれしいことがありました。

ガッカリは、Fが「ありがとう」とか「痛い」と言ったという理学療法士さんからの「朗報」でした。

1月23日にその話を聞いた時、到底信じられず、何度も確かめました。

でも、ちゃんとパソコンに記録されていますというので、信じないわけにはいきません。

でも、どう考えても、眼前のFの状態との落差が大き過ぎて、半信半疑どころか二信八疑。

その日は「うれしいけど信じられないなあ」と娘と話しながら帰宅しましたが、翌日病院に行ったら、やはりガセでした。

いつものようにFのベッドに行くと、昨日とは別の理学療法士が近づいてきて、私たちの顔を見るなり「会話したというのは他の患者さんの間違いでした。申し訳ありません」と平謝り。

その後も看護師さんが来て謝罪されたので、こちらも怒る気にもなれず。

娘も「やっぱりね。おかしいと思った」と行っていましたが、一時はひょっとしてとも思ったので、本当にガックリ。


一方うれしいことは、私たち夫婦の古くからの知人である某大学病院勤務の看護師さんが見舞いに来てくれたこと。

脳外科にも13年いたという彼女は、さすがに手慣れた感じでFに接してくれ、やさしく呼びかけたり、手や指をほぐしながら何度も呼びかけてくれました。普段見ることのないプロの姿になっていました。

見舞いのあと談話室で、Fさんはきっとリハビリでよくなりますよと言ってくれ、またこの病院は体制がきちんとしていて、よく見守ってくれているので安心ですよとも言ってくれました。

プロの目で病院をチェックしてくれたのがなによりでした。


30日の夕方看護師が来て、もう点滴は外して、今後は鼻からチューブで腸での栄養補給を始めるといってくれたので、また一歩前進となりました。

でも、私の呼びかけにあまり反応してくれないFの様子を見ていると、まだまだ道は険しいと思わざるを得ません。

担当の先生も、まだ手足は動かないし、目や耳も機能していないので、厳しい状況ですと言っていました。



その夜、帰宅するため駐車場に行き、ふと空を見上げたら、十三夜のきれいな月が輝いていました。

Fも月を見るのが好きで、私がきれいな月が出ているよというと、窓辺に来てよく見上げていました。

またいつの日か、肩を並べて月を眺められる日が戻ってくるだろうかと思いながら、帰途につきました。


帰宅したら、売りに出していた2月の3公演のチケットすべてに買い手がついたとのメールが入っていました。

翌日朝発送するため、準備をしましたが、これまた辛い作業でした。

でも、3月の1公演と5月の2公演のチケットは、まだ売らずに手元に置いておきます。

Fがまだいけなくても、私だけでも行ってみようかと思っているからです。


もう2月になります。

Fにとって、少しでも希望の見える月になってくれればと願うばかりです。



もう立春も間近ですが‥。

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最近かなり疲れがたまってきています。

なのでこちらの更新も遅れています。m(__)m

ということでこの三日間の話です。


1月31日(水)はかなり焦りました。

午後1時45分に病室へ行くと、Fはこれまで見たことがないほど息が荒く、手や額も驚くほど熱いのでビックリ。

来合わせた看護師さんに尋ねたら、38度後半ですというのでまたまたビックリ。

「解熱剤は?」と聞いても「それは先生のほうで判断されるので‥」と言葉を濁しました。

看護師さんにはこの程度は日常茶飯事でしょうが、私にとってはFはかなり深刻に見えて、心配になりました。

息が荒いのは口の中が乾燥していることもあるのでと、看護師さんはスポンジで口の中をぬぐって湿らせてくれましたが、やはり熱のほうが心配です。

でも看護師さんは、戻ってから担当の先生に私が来ていることを告げてくれたらしく、しばらくして先生が来て、手足がまだ動かないのでなかなかリハビリは進まないこと、点滴はやめて鼻から栄養補給することにしたが、嚥下障害があり飲み込んだりが出来ていないので、また点滴に戻すか検討中で、熱は軽い肺炎をおこしているのかもという説明でした。

よほど「それで解熱剤は?」と聞きたかったのですが言い出せないでいるうちに、先生は出ていきました。

でもすぐ看護師さんが来て、まず熱を計ってくれました。やはりまだ38.7度ありました。

そして解熱剤を注入してくれたので、ホッとしました。

一気に疲れてきて、休憩スペースで休憩。

しばらくしてFのところに戻ると、呼吸も穏やかになり、額や手に触れるとはっきり熱が下がっているのがわかりました。

言ってみるものですが、言わないとしてくれないのでは不安になりますね。

結局今日は、熱で体の負担が大きかったのか、Fは表情も硬く、ほとんど呼びかけに反応しませんでした。最近ずっとそういう状態が続いているので、このまま前より悪くなってしまうのではと心配しながら帰宅しました。


でも2月1日と2日のFは、よく反応してくれました。

でも1日にベッドに行って顔を見たときはドキッとしました。

Fは顔を左に向け、しっかりと眼を見開いて、じっと何かを考えているように見えました。右目の目頭には涙もたまっていました。

それで私は、ひょっとしたらFは自分おかれた今の状況がわかってきて、悲しんで泣いているようにも見えてショックでした。

もし泣いていたなら意識が戻ったということでもあり、喜ぶべきかもしれませんが、両麻痺の状態を知ったら絶望するしかないとすれば、戻らない方がいいのかと、私もわからなくなってきます。

でも、しばらくしたらFは目をつむって、ウトウトしていました。

その後も私が手の指や腕をほぐしながら呼びかけていると、眼を開いてこちらを見てくれました。

顔を認識しているとは言えませんが、デジカメの液晶画面を眼の前にかざして左右に動かすと、眼で追ってくれるので、明暗差のあるものはわかるようでした。

鼻チューブによる流動食での栄養補給も続けていました。

そして2月2日もFは、ICレコーダーで私の声を聞かせると、それまで閉じていた眼をパッと開いて、よく反応してくれました。



私もICレコーダーに録音する呼びかけの内容を変えることにし、それまでの名前をただ連呼するだけのものは止めて、Fがだんだん自身の状態を理解し始める時のことも考えて、新バージョンを追加することにしました。

その新バージョンは、今日は何月何日で、Fはいつどこで倒れて、手術して、それがうまくいって一般病棟に移り、今はどういう状態になっているかを説明し、締めくくりはリハビリで必ずよくなると励ます内容のものです。

これを午前中に録音し、聞かせることにしたのです。

もちろん、まだまだそれをFが理解しているとは思いませんが、聴きながら何かに反応しているのか時々目を開いたりするので、可能性を信じて、これからも聞かせていこうと思います。

あと、私の話ばかりではFも嫌だろうと、それまでの麻実れいや姿月あさとの歌に加えて、よく一緒に聞いていたサラ・ブライトマンの曲もたくさん追加録音しました。

麻実れいの歌では「うたかたの恋」、姿月あさとは激情のホセの歌によく反応してくれるように感じます。


今日は理学療法士からFのリハビリ計画についても説明がありましたが、見せてくれたチェックリストではすべて無反応という評価でガッカリしました。腕や手をさわると眼を開けたり、音や光にも反応しているのに評価はなくて残念でした。

でもリハビリはまだ予備段階で、時間も短いので、やはり私が根気よくいろいろ刺激を与えて働き掛けていくしかありませんね。


今日一番うれしかったのは、今日帰宅して、Fが最も信頼していた通所リハビリのD先生に倒れたことを手紙(とても電話では最後まで話せる自信がなかったので)で報告しようと、D先生の連絡先を探している最中に、当のD先生から電話があったことでした。

偶然とはいえ、名前を聞いた時は、びっくりしました。

D先生は、Fが来なくなったのは、去年11月にFが自宅玄関前で転倒したのが原因とばかり思っていたので、1月16日にまた脳出血を再発したと告げると本当に驚いていました。

実際Fも、転倒の影響はほとんど消えていて、2月にはD先生の施設に行けると楽しみにしていました。

D先生は、多忙にもかかわらず近いうちに必ず病院に行きますといってくれました。

私も自分の判断に自信があるわけではないので、ぜひ感想を聞かせてほしいと依頼したら快諾してくれました。

Fは、利用していた2カ所の通所リハの施設利用者に俳句の投句を呼びかけ、集めた句を掲載した同人紙のようなものを毎週それぞれの施設で発行していましたが、D先生の施設で投句してくれていた利用者のみなさんが、長く休んでいるFのことを親身に心配してくれていることも教えてくれました。

ありがたいことでした。


最近疲れと孤立感で、時々挫けそうになったりする私ですが、こういう話を聞くと明日もまたがんばろうという元気が湧いてきます。


今日で入院3週間。一進一退の日々です。

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2月に入って、もう立春も過ぎましたが、昨日今日はまた寒波の影響で、本当に寒いです。
それでも、玄関前の紅梅のつぼみも膨らんできて、季節はノロノロとした足取りでも、確実に動いているように見えます。

最近は疲れがたまってきて、今日も病院に行くのが遅れ、Fのベッドに着いたのは午後1時40分でした。

最近Fは、血腫を取る手術も癒えてきたので、それまでかぶっていた帽子が外され、ボサボサになった髪の毛が目立つ痛々しい姿になっていました。

でも今日は、Fの顔が、今まで見たことがないほど悲痛な表情になっていたので、一目見て胸を突かれました。

顔を左に向けて、眼を大きく見開いて、じっと一点を凝視しているかのような姿を見ていると、私にはFが自分の今の状況がよくわかっていて、それを嘆いているとしか思えませんでした。

ドキッとしました。

額や手に触れると熱もあり、痰を吸引しに来てくれた看護師さんに聞くと、37.1度とのことでした。

それでもFは、私が声をかけると眼を向けて、顔も少しこちらに向けてくれました。

でも眉間のしわは深く刻まれたままで、悲しそうな表情は変わらず。

私も、いつものようにICレコーダーで声を聞かせるような気にはとてもなれず、なんとか表情を和らげようと話し続けました。

やがて少し表情も緩んできて、私の問いかけにも瞬きでこたえてくれて、ようやくほっとしました。

数日前から、私が「聞こえているね、聞こえていたらパチッとして」というと、Fはパチッとしてくれるようになっていました。

初めは偶然かと思いましたが、普段はあまり瞬きをしないのに、私が問いかけるたびにパチッとしてくれるので、間違いなく理解できるようになっていると思います。

そう思ったもう一つの出来事は、前回のD先生からの電話のことを録音して2月3日に聞かせた時、先生の名前のところで突然Fが大きく眼を開き、息を荒げたからです。

でもそれは、自分の手足が前のように動かず、声も出せない状況を理解し始めたということでもあります。

それで、何か考え込んでいるような暗い表情になっていたのでしょう。

前回書きましたが、数日前にも、Fは顔を横に向けて、右の目頭には涙もためて、じっと凝視しているのを見て、ひょっとして理解し始めたのではないかなという恐れも感じたのですが。


いたたまれない気持ちで、私がFの手を取って慰めたり励ましたりしていたら、やがてFは疲れてきたのか眼を閉じて、ウトウトし始めました。

それでもまた不安になるのか、周期的に眼を見開いたりするので、「ずっと横にいるからね」「必ずよくなるからね」と声をかけ続けていたら、ようやく眼を閉じて眠ってくれました。

私も緊張がほぐれて一気に疲れがでて、休憩室へ移動しました。

40分ぐらいぼーっと休んでから、Fのところに戻ると、体の向きを変えてもらっていました。

まだうつらうつらしている様子でしたが、声をかけると眼を開いて、じっと見返してきました。

でも時折その眼をそらして、どこか遠くを見るような表情をしたりするので、意識が戻ってきたという嬉しさの一方で、どうしたら絶望からFを救えるのかがわからない私の無力さを痛感していました。

Fはまだ、眼の前に手をかざしても追わない時もあるので、視覚はまだ十分戻ってきたわけでもなさそうですが、耳は間違いなく聞こえていて、私の話す言葉も理解できつつあるようです。何か話そうとするのかウーウーと声をだす時もあります。

そうだとすると、もう単に一方的に呼びかけるだけでは不十分ですね。

どのようにしたら、Fの今の気持ちをケアできるのか、恐怖や悲観を和らげて、リハビリへと心を切り替えてもらうにはどうすればいいのかが問題になってきます。

私にはまだその方法は見つかりません。

でも、Fはやさしさとともに極めて理性的な女性です。手探りででも、Fにさらに寄り添って、辛くてもなんとか自分で乗り越えていってくれるように、支えていく方法を見つけたいと思います。

午後6時になって、ようやくFは、いつもの穏やかな顔になって眠り始めました。

しばらく目を開けないか見守ってから、私は駐車場に向かいました。


早く春の日差しと温もりが、Fの心にも訪れるようにと願わずにはいられない1日でした。







1か月が過ぎて、でもまだ春は見えません。

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Fはずっと微熱が続いています。

微熱といっても38度以上、時には38.7度もあったりします。

もっと気がかりなのは、やはり意識が戻ってくる兆候がまだ感じられないこと。

手足は動かないし、声も出せない状態です。

熱があまりなくて調子のいい時は、顔の前でスマホの画面など明るいものを左右に動かすと、眼で追ってくれますが、まだ見えているとはいえません。

聴覚も、声によく反応するときとそうでないときがあり、聞こえていても本当に意味を理解しているかどうかはわかりません。

以前HCUにいた時、私や娘が声をかけると心拍数や血圧の数値が上がったので、わかってくれていると思っていましたが、一般病棟に移った最近は、そんな反応も確認できず、自信が無くなりました。

ICレコーダーの音声で働きかけても、反応するときとしないときがあって、一様ではありません。

ただ、右の腕や手のひら、二の腕を撫でるとはっきり反応します。

ウトウトしていても触るとパッと眼を開けるので、感じていることは間違いありません。

14年前の、左側の脳出血の時は、右半身は全く無反応でした。

それと比べたら、今回は右側の出血なのに左手や足が反応しているので、完全に脳とのつながりが切れたわけではないと思っています。

でも1か月を過ぎた今、それ以上の進展がないので、それもただの希望にすぎないのかとぐらついてきます。

そして今日、いつもの時間に病室に行ったら、担当の先生に改まった様子で「お話しがあります」と声をかけられました。

ドキッとしました。絶対いい話なわけはありません。

避けるわけにはいかないので、まさに「俎板の上の鯉」の心境で先生のもとに行きました。

胃瘻手術の打診でした。

Fは以前から、自分の父親が、Fと同じ病気(というか、Fが父親から遺伝性の高血圧体質を受け継いでいたのですが)で長期間寝たきりになっていたのを見て、胃瘻と人工呼吸での延命は絶対嫌だといっていました。

私もそれは知っていたので、先生からその話を切り出されたときは本当にショックでした。このまま咀嚼機能が回復しなければいつかは来るとは思っていましたが、まさかこんなに早く?とも思いました。

先生は栄養摂取の方法として、もちろん現在のように鼻からチューブで胃に流動食を流し込む方法を続けることも可能だが、先のことを考えると胃瘻も検討してほしいということでした。

そして、今回胃瘻の検討をお願いするのは、(Fが嫌がっていたような)消極的な延命治療の一環としてではなく、今後もリハビリも継続するし、口から食物や水分を取れるようになったら胃瘻もやめられるので、積極策として考えてほしいとのことでした。

また現在の鼻のチューブでの栄養摂取は、チューブが口から食道を通って胃に入っているので本人の負担にもなっているということもわかりました。

そして先生は、今後も病院としてリハビリを続けるが、それでも身体機能に改善がなく、口からの栄養摂取が不可能であった場合、自宅での介護や施設での介護いずれを選択するにしても、鼻からのチューブより胃瘻のほうが安全に容易に介護できるといって、話を終えました。

最後に、まだ少し時間があるので、これからいろいろ相談されてから結論を出してほしいといわれました。

先生の説明はよくわかりました。

でも、そうはいっても、やはりこれは難しい話です。

私はまだこれからよくなってくれるだろうと淡い期待を抱いていた矢先だったので、厳しい現実に直面して、また落ち込んでしまいました。

病室に戻ってFの寝顔を見たら、最近とみに弱くなっている涙腺が一気に崩壊しそうになりました。



こんな私たちにも、いつかは春がやってくるのでしょうか。


初めて、車椅子のリハビリをしてもらいました

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昨日の2月16日、病室に行くと、Fは体を起こされて、鼻チューブから流動食を入れてもらっていました。

でもその姿勢は極端に左に傾いていて、首が直角に左下を向いて、苦しそうに眼を開けていました。

見かねてなんとか枕の位置を調整し、姿勢を起こしてやると、楽になったのか、ウトウトし始めました。

鼻チューブはそれまでの左から右に変えてもらっていました。

しばらく見守っていたら、私も眠くなってきたので、休憩室に行きました。

しばらく休んでからパソコンで日記を書き始めたら、「こんにちは」という思いがけない声。

驚いて顔を上げたら、Fが週二回利用していた訪問マッサージのU先生でした。

直接病室に行ったが、リハビリ中だったのでこちらに来たとのことでした。

U先生とFとはもう10年以上のお付き合いです。

Fは、週二回のマッサージ中に、U先生と宝塚やミュージカルの感想を語り合えるのを楽しみにしていました。

なので私も、もし病院に面会にきてもらえたら、Fにもいい刺激になるのではと淡い期待をしていました。


U先生は、Fが倒れる前日の1月15日にも訪問マッサージに来てくれて、Fの元気な姿を見ていただけに、まさかのFの姿に驚いていました。

その場で入院からの経過などを説明していたら、なんとFがリクライニングの車椅子で休憩室(広いスペースを利用してリハビリにも使用しています)に来たのでびっくり。

担当の男性の理学療法士さん二人がついてくれていて、「今ちょうど熱が下がっていたので、やってみました」とのこと。

急いで傍に行って声をかけ、U先生にも声掛けをお願いしました。

彼女は、

「Fさん、Uです。Uです。Fさん、わかりますか。早く良くなって、また私を呼んでくださいね。ずっと待っていますからね」

とやさしく呼び掛けてくれました。

ただFは、車椅子に乗せられている違和感のほうが強いのか、眼を開けていたものの、あまり反応しませんでした。

その場で理学療法士が血圧を測ってくれましたが、100を切っていて安定していました。

とにかく私は、入院以来初めて、ベッドで横たわっている姿以外のFが見られて大感激でした。

理学療法士さんはしばらくFの様子を慎重に見ていましたが、「今日は初めてなので、このくらいにします」といって、まもなく病室に戻っていきました。

リハビリが終わったのを見計らって二人で病室に戻りました。Fは穏やかな顔をしていました。

またU先生が声をかけてくれました。

今度は、Fも呼びかけにはっきり答えてくれて、眼を開けました。

うれしかったです。

心のこもったFへの呼びかけに私まで癒された思いでした。

帰り際にU先生は、「この病院の近くにも仕事で来るので、またお顔を見に伺います」ともいってくれました。


まだ言葉も出ないし、手足も動かないし、眼で見えているのかどうかも正直わかりません。

でもこの日、私がFに呼びかけているのを見て、理学療法士さんは「Fさんは間違いなくご主人の声には反応していますよ、わかっていますよ」と言ってくれました。

そして、車椅子のリハビリも、これからもっとやっていきますといってくれました。

ありがたかったです。

帰る前にもう一度Fの名前を呼ぶと、はっきり眼を開けてくれました。また、玄関わきの梅が咲いたよと言った時も、眼を大きく開きました。

そのあと、ICレコーダーで音楽や私の声を聞かせていたら、ウトウトし始めました。寝入ったのを見てから、私も帰ることにしました。


なかなか進展が見られず塞ぎがちになっていたのですが、この日ばかりは、まだまだ先と思っていた車椅子体験と、U先生の面会に励まされました。

帰宅して、途中のスーパーで買った小松菜に人参と椎茸、厚揚げを加えて煮物を作り(Fと一緒に作っていた我が家の定番の一つです)、作り置きしてあった具沢山の味噌汁と、同じく粉吹き南瓜、Fがキッチンエールに注文していた冷凍のレンコン饅頭と、レタスとトマト、ハムのサラダで夕食にしました。

久しぶりに気持ちよく食べることができました。


ここ数日の大阪は、寒波の影響もなく暖かい日が続いています。

玄関のプランターでは、Fが通所リハでもらってきたバイモが大きく伸びてきて、庭のコデマリの若葉の芽も顔を出しました。

行きつ戻りつしながらも、季節は間違いなく進んでいるようです。

観たかったもの

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週一回日曜日と決めている我が家の掃除中、Fが使用していた電動ベッドの横の、小物入れの小さいタンスの上に、演劇関係のパンフレットが置いてあるのを見つけました。

Fが観劇するつもりで置いていたのでしょう。

パンフレットは公演日程順に並べてビニール袋に入れてありました。

一番上にあったのが「マタ・ハリ」。柚希礼音のミュージカルですね。


梅芸メインホールでは1月21日から28日までの公演ということで、もう日はなかったのですが、Fはよくチケット仲介サイトを見ていたので、いいチケットがないか物色していたのでしょう。

その下にあったのが、轟悠主演のシアター・ドラマシティ公演の「ドクトル・ジバゴ」。


裏を見たら、公演日程の「2月8日(木)12:00」のところを緑のマーカーで囲っていました。観る気満々でした。

これもひそかにチケットを探していたのでしょうね。

以前、たまたまリーズナブルなチケットが売りに出ていたので、手に入れて観たのが同じ轟悠の「第二章」で、それが予想以上に良かったので、また観たくなったのでしょう。

でもこの2枚のパンフレットのことは、私は全く知りませんでした。まあいつものことで、チケットを見つけ、私に買う手配を頼むというパターンで、日程はすべてFが決めていましたからね。

その下にあったパンフレットが、梅芸では4月の公演になる花總まりの「Romale ~ロマを生き抜いた女 カルメン」でした。

このパンフレットは私も見ていました。彼女が私に見せながら、「絶対観るからね」と何度も言っていましたから。

その中に、来年の公演になる「マリー・アントワネット」のパンフも挟み込んでありましたが、これは初めて見ました。やはりFにとって、花總まりは別格の存在でした。


その下にあったのが、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」。早霧せいなの退団後初の主演ミュージカルですね。


Fの早霧せいなの評価は、「歌はちょっと微妙だけど、演技力は抜群!」と高評価でしたから、当然観るつもりだったのでしょう。5月19日からの公演日程で、一般発売日が2月17日、そう、昨日でした。

ミュージカルで歌が‥‥というのもどうかとは思いますが。(殴)

そして次は、朝夏まなとの「マイ・フェア・レディ」。


Wキャストながら、退団後の初舞台(かな?)なので、私にパンフレットを見せながら、なんとかチケットが手に入らないかなと言っていました。

一番下にあったのが、「タイタニック」でした。霧やんと安寿ミラが出るので観ようと思ったのでしょう。



パンフレットの中には、もう終わってしまった公演もあります。

でも、Fのその時の気持ちを考えると捨てられませんでした。


残る公演のうちの一つでも、Fと観に行けるようになればと思いながら、パンフレットを元の位置に戻しました。

私の手元に、Fが楽しみにしていた兵庫芸文センターの3月公演のチケットがあります。

2枚とも処分するか、1枚残して私だけでも観てくるか、先延ばしにしてきた決断の期限が迫っています。

ヨメさんが病院に緊急搬送されました その2

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1月17日(水)

Fの緊急入院から2日目です。

殆ど寝ていなくても、気持ちが高ぶっているのか眠くなく、毎朝Fが作ってくれていたのと同じ朝食を作って食べ(思い出してまた辛いですが)、とりあえず近く会う予定だった友人たちに会えない旨の簡単なメールを送りました。

イギリスにいる娘から、メールの返事がきました。驚いていましたが、まだ帰らなくてもいいと返事しました。

危篤状態というわけではないし、彼女も近く職場が変わることになり、何かと多忙なことが分かっていたからです。

そのあと、前日交わした約束どおり、朝10時に病棟に行きました。

担当医の先生はもう待ってくれていて、2回目のCTスキャンの結果、まだ出血が止まっていない!ので、明日18日の朝9時30分から開頭手術をするといわれました。

大ショックでした。

そして手術の概要の説明を受け、必要な同意書と申告書を書きました。


その後ベッドサイドに行っても、前回14年前と違ってFの意識の状態は芳しくありません。前回はこの時点でもう話せていました。

でも声をかけると心拍数と血圧が跳ね上がり、目の前にかざした手を追うような眼の動きもあるので、わかっているのかなとも思ったり。

時々目頭に涙が溜まったりするので、悲しいという感情が湧いてきているのか、それとも状態がよほどきついのかなとも思って、また辛くなります。

しばらく声をかけたり見守ってから、いったん帰宅することにしました。

途中Fが倒れたデイケア施設に寄って、預かってもらっていた電動アシスト車椅子と洗面道具などを受け取り、自宅近くのコンビニで昼食用の菓子パンとサンドイッチ、夕食用の麻婆丼を買って自宅へ。

お昼ですが、全然食欲はありません。それでも、なんとか菓子パンを牛乳で流し込むように食べて昼食としました。

この時点で、ガス給湯機が壊れている!ことに気づきました。

何度かON・OFFを繰り返しても治らないので、すぐ業者に連絡。

夕方5時ごろ点検に来てもらうことになりました。

まさに泣きっ面にハチ。

その後、2月に予定していた兵庫芸文センターでの2回の観劇のため事前予約していた、例の車椅子昇降機をキャンセル。

続いて、同じく2月の梅芸での黒蜥蜴観劇のため確保していた車いす席もキャンセル。

宝塚も、月組公演のチケットを買っていましたが、これはFの知人に譲り、代わりに観てもらうことにしました。

「2月は久しぶりに観劇月間やね」とうれしそうに話していたので、本当に悲しいです。

残ったチケットは仲介サイトで売却することにして、本人確認の更新手続きをしました。

それと、今週木曜日に開催される月一の花アレンジ講習も出席できない旨先生にメールしました。

詳しい容態を知らせなかったので、単なる体調不良と思ったのか、先生から「もう材料を手配済みなので、引き取ってほしい」といわれ、「材料代はお支払いするので、花は処分してほしい」と伝えました。

そのあと、朝持っていくのを忘れていたFの服用中の薬の現物をもって病院へ行きました。

しかしFは依然として反応はあまりありません。

見ているとますます辛くなるので、1時間足らず話しかけたり手足に触れたりした後、帰宅しました。

夕食に、コンビニの麻婆丼を温めて食べ始めましたが、まったく味がわかりません。でもなんとか食べ終えたら、大阪ガスの代理店のサービス担当者が来てくれました。

しばらく点検していましたが、給湯はできるが再加熱用のボイラーが壊れているので取り換えが必要とのことです。

前回の交換から15年ぐらい使ったかなというタイミングの故障。

やはりタイマーが設定されているような気がします。

とりあえず給湯機能は使えるので、なんとか風呂は入れるし、洗面や調理はできるが、やはり追い炊きできないと困るので、見積もりを依頼しました。

そのあと、どうしてもFが気になるので、7時過ぎにまた病院へ。

8時までベッドサイドから、Fに声をかけたり体に触れたりしていました。

声をかけるとすぐ心拍数と血圧が高くなるので、何らかの形で反応しているようでうれしいのですが、数値が高くなるのは気になるし、痰がたまりやすくなっているのか、ゼイゼイと苦しそうなので、安静させようと一時間で切り上げて帰宅しました。

自動給湯できないので不便ですが、とりあえず風呂に入ることにしました。西洋式のバスのように、その都度湯を抜くことになりますが、3日ぶりの風呂で、体は休まりました。

風呂を出てから、明日のゴミ回収に出すため、家中のゴミを集めましたが、そんな日常の雑事でさえ、Fと交わしていた会話が思い出されて辛くなります。

寝る前に牛乳を温めて飲み、洗濯機から洗濯物を出していつもの通り干してから、ファンヒーターのタイマーをセットしてベッドに。

明日の手術が無事に終わるようにと願いながら寝ました。


ヨメさんが病院に緊急搬送されました その3

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1月18日(木) 晴れ まだ気温は高め。

今日も、いつもより1時間早く目が覚めました。ベッドサイドのパソコンでメールチェックしたら、娘から帰国便の詳細が送られてきていました。

グラスゴー発のKLMで明日午前に到着とのこと。

ゴミ出しのあと、Fが毎日作ってくれていたものと同じ朝食を作って食べました。

この日はしっかり食べられたので、一安心。

Mavic Proのバッテリーがモバイル電源として使えることを思い出して充電し、それとデジカメとパソコン、モバイルルーターを持参して、アドレスで病院に向かいました。

8時50分に病院に着き、手術前のFの傍に行きました。写真も撮り、声をかけて励ましても依然反応はありません。

心拍数と血圧は安定していました。何度か薄目を開けたので、また声をかけたり眼の前に手をかざしたりしましたが、やはり反応してくれません。

9時30分ジャストに、Fは手術室に移送されていきました。

それまでHCUで見かけた看護師とは別格の、いかにも経験豊富そうな年配の看護師2人と、それより若いがこれまたベテランらしく落ち着いた雰囲気の看護師が4人、そして担当の先生というものものしい体制でした。あと麻酔医もついて全身麻酔での手術です。

出ていく際に、看護師さんや先生がこちらに軽く会釈してくれたのが、心に沁みました。

その後、待合室で待機。

所要時間は2時間と聞いていました。

その間に、これまでの経過を整理してメモすることにしましたが、わずか2日前のことなのに、もう忘れていることや、記憶が前後していることが多いのに気づかされました。

Fの弟夫婦にもメールして、午後2時に病院に来てもらうことにしましたが、手術の経過を11時半にメールしたら、これから出るとの返事。HCUの待合室にいることを伝えました。

12時半を過ぎてもFはまだ手術中で、少し不安になってきましたが、それから10分過ぎた12時40分に看護師から、「手術は終わりました。まもなく戻ってきます」と告げられました。

一気に脱力。


しばらくして先生が出てきて、待合室で手術中の写真を使いながら手術内容を説明してくれました。

血腫を取り除いたので、それが圧迫していた周辺の脳の盛り上がりもなくなっている様子がよくわかりました。

止血剤も1種類だけで済んだとのこと。

でも急に麻酔を切ると血圧が急上昇する危険があるので、今日は麻酔は続けて、明日CTで確認しながら徐々に麻酔を切っていくとのことです。
[↓人工呼吸システムでした 1月27日訂正]


Fは、麻酔の影響で心拍数も血圧も低くなっていました。


でも手術前のゼイゼイという呼吸音は消えたので、こちらも気が楽になりました。

説明が終わってすぐに、弟夫婦も到着し、初めて病室で見舞ってもらいました。

そして院内の食堂に移動して、先生から聞いた手術内容を伝えました。

軽く昼食を取った後、少し話をして二人と別れました。その後私もいったん帰宅し、ガレージで走行中気になった前ブレーキの鳴きを点検して、パッドピン固定用のダルマピンが抜けているのに気づき、ゾッとしました。

でも道具箱やパーツボックスを探してもピンの在庫がないので、とりあえず釘をまげて固定。異状なく作動することを確認してから、帰国する娘のベッドを整えて、4時すぎにまたアドレスで病院に向かいました。

途中病院近くの、前にアドレスの後輪タイヤを交換したショップで前輪タイヤの交換も依頼し、ついでにパッドピン固定用に割ピンを分けてもらい、病院へ。


病室で様子を見ましたが、Fの様子に変化はなく、麻酔がきいてよく寝ていました。本当にほっとしました。

でも、右側頭部の開頭跡のホッチキスが痛々しいです。

それらをデジカメに収めたあと、帰途につきました。途中病院横のスーパーにより、夕食用に寿司と安かったマウントレーニアや茶漬けを買って帰宅。

寿司は久しぶりでおいしかったです。味がわかる余裕が出てきたことがうれしかった。

でも、いつも二人であれこれ話しながら夕食を取っていたことに比べたらあまりにも寂しく、また涙がこぼれそうになって必死にこらえました。

食べ終えて、手術が無事終わったので気が緩み、やっと気持ちにも余裕が出てきました。


しかしメールをチェックしたら、娘が乗る予定のKLM便が、アムステルダム付近の嵐でキャンセルになったとのこと。

でも続いてエミレーツ航空のドバイ経由便に振り替えとなって、明日の夕方5:45には帰国できるとのメールが来ました。

これならFを見舞ってから関空に迎えに行けそうです。

夜、いつもFが利用していた訪問マッサージのUさんから電話。

これまでの経過を説明したら本当に驚いていました。

当然ですね。

倒れる前日にも来てくれて、タカラヅカ情報や最近観た公演の感想などを楽しそうに二人で話し合っていましたからね。

その場で、月組公演を代わりに観に行ってくれるよう頼んだら、快諾してくれました。


それにしても、今日も長い1日でした。昨夜と違って少しおそめの11時に就寝しました。

ヨメさんが病院に緊急搬送されました その4

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1月19日(金) 気温は12度の予報 晴れ

やはりまだ気持ちが高ぶっているせいか、午前3時過ぎに目が覚めてしまいました。
寝られないので、Fの古いhpのノートパソコンの置き換え用に購入しながら、彼女がまだ使えるから勿体ないと言って使っていなかったDellの新パソコンをベッドでのメールチェックに使うため、4時ごろまでWindows10の更新作業。

そのうち眠くなってきてベッドに入り、6時半ごろまた目が覚め、その後もウトウトしていたら、結局いつもの時間になりました。

今日も寒波が緩んで暖かな朝で助かりました。

娘はなんとか定刻通りにグラスゴーを飛び立ったようです。
ドバイ経由と大回りですが、今日の夕方には着くとのこと。

朝食後、大阪ガスに電話して、給湯器交換の見積もりと契約のため午後1~2時の間に来てもらうことにしました。

その後病院に行きましたが、HCUの面会時間は12時から21時までと言われ、また家に戻る羽目に。
これまで、手術やその事前説明で午前9時とか10時に病院に行っていたので、てっきり面会時間も10時からと思い込んでいました。

すごすごと帰って、時間つぶしも兼ねてアドレスに割ピンを付けていると、阪急・キッチンエールの宅配便が来ました。
先週の水曜日にFと二人でカタログを見ながら注文した品物です。

おかげで食料品のストックは豊富になりましたが、Fの好物のきんつばを見てまた悲しくなったり。

それにしても、家中のあらゆるものにFの元気な時の記憶が張り付いていて、何を見ても辛くなります。

居間の、元気に16日朝出かけた時そのままのベッドや、ベッド脇にかかった服、倒れた時に身に着けていたバッグや装具を見るたびに、涙が出そうになります。

今は前のようには動けなくても、意思疎通さえできればと願うばかりです。

1時半に、ガス工事の見積もりのため担当者がやって来ました。工事費込みで39万円!出費が痛いです。
来週ぐらいに工事予定で、午前中には済ませるとのこと。

そのあと、病院に行き、Fに会いました。麻酔は切られていましたが、血圧は正常とのことでした。


昨日に比べて眼の周りが黒ずんで見えるのが気になりましたが、看護師の話では疲れでしょうとのことでした。

最初の10分間はFに声をかけても反応がなく、心拍数(100程度)や血圧(130ぐらい)も変わらなかったのですが、ずっと耳元で名前を呼び続けていたら、突然パッと眼を開けて、心拍数は150、血圧も170ぐらいに跳ね上がってアラームが鳴りました。

「K(娘です)が帰ってくるから」とか「Uさん(訪問マッサージの先生です)も電話をくれたよ」とか言ったのでわかったのでしょうか。

明らかに反応しているように思えましたが、興奮させると悪影響があるのではと心配になり、来合わせた看護師さんに声をかけました。

彼女も、反応はいいけど、確かに心拍数や血圧が上がるのも心配ですねといいながら笑っていたので、それほど心配しなくてもいいのかと思ったり。

とにかく反応してくれたように見えたのがうれしかったですね。

しばらくいた後、娘を迎えに、2時50分に関空に向かいました。
阪和道はガラ空きで、3時40分に到着、駐車場は混んでいて、5Fにようやく駐車。

飛行機の到着時間は16:55の予定がすでに7分遅れの表示に変わっていました。

待つ間にパソコンで記録を書いたりしていましたが、結局5時19分に到着し、同40分ぐらいにようやく娘が出てきました。
ドバイ経由で16時間ぐらいかかったそうですが元気そうでした。

空港から帰宅途中、病院に立ち寄りました。

Fは寝ていて、今回は呼びかけにはまったく反応せず。手術の影響で右の顔面が腫れて、痛々しい姿でした。

10分ぐらいいたあと、帰宅。

新聞受けには、Fが、タカラヅカの無料Web予約サービスが無くなったのを契機に入った宝塚web会員カードの不在連絡票が入っていました。

運命の皮肉を感じながら再配達日時の変更手続きをしました。

このカードが役に立ちますようにと願わざるを得ませんでした。

そのあと、娘が、イギリスから持ち帰った野菜を、今日届いたキッチンエールの長崎チャンポンに足してくれたのを食べました。
満腹です。

空港で待っている間にも、久しぶりに空腹を感じてうれしくなりました。

娘は10時過ぎにベッドに行きました。

今日も長い1日でしたが、手術後の経過も安定していて、Fが少し反応してくれたのが大きな励みになりました。

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