一週間以上も前の観劇でしたが、某日脚立に上っていてバランスを崩して(ドジ)、股関節あたりの筋肉を痛めてしばらく歩行も困難になるなどのゴタゴタで、感想をまとめるのに時間がかかってしまいました。なので鮮度がかなり落ちた感想になりますが、ご了承ください。m(__)m
3月30日、夜来の春の嵐もようやく峠を過ぎた11時20分ごろ、家を出ました。
途中少し渋滞があったものの、およそ1時間で劇場駐車場へ。今回は前のようなエレベーターでの驚きの邂逅もなく(笑)、そのまま開場前の劇場入り口に行きました。
今回は結構男性客が多く、全体に年齢層が高めなのは原作故のことでしょうか。
この芝居の初演は2010年秋で、脚本は木内宏昌、演出は熊林弘高です。上演時間は途中15分の休憩を挟んで2時間25分。
出演は、前回と同じ佐藤オリエ/中嶋しゅう/麻実れい/満島真之介/中島朋子の5人です。豪華です。
でもプログラム↓は500円。(笑)まあ本当に小冊子(B6サイズです)なので価格は妥当なところ。ただし、中身は濃くて読み応えがありました。
今回のジャン・コクトーの戯曲をベースとした『おそるべき親たち』は、戦前にフランスで初演され、1948年には映画化されたとか。上記プログラムによればコクトーは初演の2年前の1936年に来日しているそうで、そのとき彼は、天皇のために一命を擲つことも辞さない国民性に日本の国運を感じたとのことです。洞察力が鋭いですね。実際日本はその5年後に絶望的な戦争に突入していきます。
さて舞台の感想など。
照明を落としたうす暗い舞台上に一段上がった丸い舞台があり、その上にはただいくつかクッションと布切れが置かれただけ。あとは2か所にろうそくなどが置かれています。他は椅子程度で超シンプルです。カーテンや幕も一切なくて、始まる前から舞台が丸見えでした。この丸い小舞台は劇中時折ゆっくり回転します。
開演時間になって、舞台上に母親イヴォンヌ(麻実れい)が出てきて、けだるそうにクッションに身を横たえたりしていますが、客席の照明はついたままです。その間音楽も台詞も一切なし。明るい客席には遅れて次々に入ってくる観客の姿がはっきり見えているので、「あれ、進行はどうなっているのかな」と思いながら舞台を見ていました。
すると、上手側客席前方に女性の劇場スタッフが出てきて、いきなり事務的ないつもの注意アナウンスを始めたので一気に緊張がほぐれました。その説明の間にイヴォンヌは姿を消しました。アナウンスが終わってやっと客席の照明は消え、ようやく芝居が始まりました。意表を突く幕開きです。
今回の芝居、公演のテーマに即しているのか、全体に暗い照明設定になっています。それは公演パンフレットやプログラムの写真にも共通で、すべてが暗いです。衣装も同様で、全員が黒っぽい服を着ていました。
話は、イヴォンヌ(麻実れい)が溺愛する一人息子のミシェル(満島真之介)に恋人ができたところから始まります。
で、子離れのできていないイヴォンヌは当然その交際に錯乱状態になり、反対します。途方に暮れたミシェルは、同居する母親の姉レオ(佐藤オリエ)のすすめで、父ジョルジュ(中嶋しゅう)に相談します。しかし息子から恋人の名をきいたジョルジュは絶句。なんとミシェルの恋人マドレーヌ(中嶋朋子)は彼の愛人でした。
これだけでも十分にややこしいですが、さらに叔母のレオは、昔ジョルジュと婚約していたのを妹イヴォンヌに取られ、それでも密かに彼を愛しながら同居していて、隙あらば彼を我が物にしようと考えています。とりあえず純真なのはミシェルだけですね。(笑)
佐藤オリエのレオは、よくある堅実で控えめで貞淑な役かと思っていたら、
そんな一家が、それぞれ下心をもってマドレーヌの家を訪問することになります。ここまでが一幕。全体が後半の展開に向けた伏線になっています。
舞台が始まってすぐにわかりますが、5人の役者のアンサンブルは大したもので、それぞれの役柄が際立っていて、持ち味を生かした見事な台詞バトルが展開されていました。
そして15分の休憩となります。ここまで観てきてずっと緊張しっぱなしだったので、この休憩の「弛緩タイム」はありがたかったですね。(笑)
ここから出演者に沿っての感想です。
まず、ミシェルの恋に動揺するイヴォンヌ役の麻実れい。もう喜怒哀楽・緩急自在の感情表現で余裕シャクシャクの演技ですね。前回の公演で読売演劇大賞最優秀女優賞受賞をしたのも当然ですね。全体に地味な色合いの衣装ですが、二幕目の殴り込み時の勝負衣装(笑)は王侯貴族なみの豪華さで、それを完全に着こなしていたのはさすがでした。
麻実れいは今回も華やかで艶っぽいです。息子との危険な関係を露骨に見せつけるアブない演出(本人の発案とのことです)を嫌らしさを感じさせずに演じていました。
麻実れいといえば、最近スカステの100周年記念に関連したインタビュー番組が放映されていました。番組では彼女も珍しく多弁でしたが(笑)、やはり宝塚時代の思い出ではモックとのコンビについてが一番らしく、いろいろ語っていました。
彼女はふだんはおっとりとした話し方で、退団後の一時期、神田明神の境内で遊んでいた子供時代の話を耳タコ(笑)で聞かされたりしたので、あまり器用そうに見えなかったのですが、いったん舞台に立つと豹変、『サラ』みたいな膨大なセリフの難しい舞台でも難なくこなしていたのを観て、役者としての実力に驚かされてきました。
何をしても麻実れいそのものなのに(笑)、それが邪魔になるどころか逆に役の魅力を大きく引き立てているのですからすごいです。
息子の恋人が自分の愛人だと知って焦りまくるジョルジュ役の中嶋しゅう。父であり・夫であり・昔の彼女に想われていて・息子の彼女を愛人にしている・ややこしいがあまり生活力のない中年男の狼狽ぶりが面白いです。
ただ、全篇を通して、女性陣のド迫力に押されっぱなしで、その存在は薄いですね。この芝居、コメディには程遠いドロドロした人間関係のもつれあう深刻な劇ですが、それでもところどころでコミカルな演出が散りばめられていて、ひんぱんに客席から笑いが起こるのは井上ひさしの作品に一脈通じるものがありますね。
イヴォンヌの姉レオは佐藤オリエです。このレオという役、最初のうちは他の芝居でもよくありがちな、主役を陰日向なく支える、堅実で貞淑でどんなシチュエーションでも沈着冷静で賢明な脇役のように見えました。実際レオは、23年もの間、生活力のない妹夫婦を支える家政婦役を務めてきました。しかし実は深謀遠慮、その生涯をかけた復讐計画を実行に移すという役です。
プログラム掲載の稽古風景から 暗いですね↓
舞台の進行とともに、地味なのは見かけだけで、実際は今回の芝居を主導する仕掛け役的な存在であることが次第に分かってきます。ちょっとセリフがかすれ気味のようでしたが、演技は細かな感情表現が読み取れて説得力がありました。さすがに大したものです。「恐るべきレオ」でした。
息子ミシェル役の満島真之介は前回の公演が初舞台だったそうですが、2度目とあって全く危なげなく、セリフもしっかりしていました。ただ、上記の通りで今回の話は女たち3人のほうがアグレッシブなので損をしていますね。まあただのマザコンともいえなくもないですが。(殴)
観劇しながらどこかで見たなと思っていたら、以前に「祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜」 蜷川バージョンでお目にかかっていたのを思い出しました。そういえばこの時も三姉妹のインパクトが大きくてあまり印象に残らなかったですね。(笑)
感想が最後になりましたが、マドレーヌを演じる中嶋朋子もよかったですね。今回最初に舞台上に出てきた彼女を見たときは、その役とはやや年齢的なズレを感じましたが(殴)、そのギャップは演技力で補正して、次第に役年齢に似合ったように見せていた(笑)のはさすがでした。
今回の公演はどの役も感情移入しにくい(笑)のですが、それでもマドレーヌはまだノーマルな部分が残っているキャラクタでしたね。
この芝居、導入部からしばらくは痴話喧嘩を濃縮したような筋書(笑)で、これでずっと引っ張られるのかと思っていたら、二幕目から話は大きく流れが変わり、最後は衝撃の大逆転。
プログラム掲載の稽古風景から これも暗いです↓
その途中で繰り広げられるイヴォンヌとミシェルの尋常ではないスキンシップや、やたらに多いミシェルとマドレーヌのじゃれあいながらのキスシーンがけっこう生々しいです。役者さんも大変です。(笑)
そして最後はスパッと切れのいい結末。
これが逆に余韻たっぷりで、満足の観劇となりました。
題名から連想した観る前の気の重さがいい意味で裏切られた内容の濃い舞台でした。未見の方は、機会があればぜひご覧ください。
おすすめです。
3月30日、夜来の春の嵐もようやく峠を過ぎた11時20分ごろ、家を出ました。
途中少し渋滞があったものの、およそ1時間で劇場駐車場へ。今回は前のようなエレベーターでの驚きの邂逅もなく(笑)、そのまま開場前の劇場入り口に行きました。
今回は結構男性客が多く、全体に年齢層が高めなのは原作故のことでしょうか。
この芝居の初演は2010年秋で、脚本は木内宏昌、演出は熊林弘高です。上演時間は途中15分の休憩を挟んで2時間25分。
出演は、前回と同じ佐藤オリエ/中嶋しゅう/麻実れい/満島真之介/中島朋子の5人です。豪華です。
でもプログラム↓は500円。(笑)まあ本当に小冊子(B6サイズです)なので価格は妥当なところ。ただし、中身は濃くて読み応えがありました。
今回のジャン・コクトーの戯曲をベースとした『おそるべき親たち』は、戦前にフランスで初演され、1948年には映画化されたとか。上記プログラムによればコクトーは初演の2年前の1936年に来日しているそうで、そのとき彼は、天皇のために一命を擲つことも辞さない国民性に日本の国運を感じたとのことです。洞察力が鋭いですね。実際日本はその5年後に絶望的な戦争に突入していきます。
さて舞台の感想など。
照明を落としたうす暗い舞台上に一段上がった丸い舞台があり、その上にはただいくつかクッションと布切れが置かれただけ。あとは2か所にろうそくなどが置かれています。他は椅子程度で超シンプルです。カーテンや幕も一切なくて、始まる前から舞台が丸見えでした。この丸い小舞台は劇中時折ゆっくり回転します。
開演時間になって、舞台上に母親イヴォンヌ(麻実れい)が出てきて、けだるそうにクッションに身を横たえたりしていますが、客席の照明はついたままです。その間音楽も台詞も一切なし。明るい客席には遅れて次々に入ってくる観客の姿がはっきり見えているので、「あれ、進行はどうなっているのかな」と思いながら舞台を見ていました。
すると、上手側客席前方に女性の劇場スタッフが出てきて、いきなり事務的ないつもの注意アナウンスを始めたので一気に緊張がほぐれました。その説明の間にイヴォンヌは姿を消しました。アナウンスが終わってやっと客席の照明は消え、ようやく芝居が始まりました。意表を突く幕開きです。
今回の芝居、公演のテーマに即しているのか、全体に暗い照明設定になっています。それは公演パンフレットやプログラムの写真にも共通で、すべてが暗いです。衣装も同様で、全員が黒っぽい服を着ていました。
話は、イヴォンヌ(麻実れい)が溺愛する一人息子のミシェル(満島真之介)に恋人ができたところから始まります。
で、子離れのできていないイヴォンヌは当然その交際に錯乱状態になり、反対します。途方に暮れたミシェルは、同居する母親の姉レオ(佐藤オリエ)のすすめで、父ジョルジュ(中嶋しゅう)に相談します。しかし息子から恋人の名をきいたジョルジュは絶句。なんとミシェルの恋人マドレーヌ(中嶋朋子)は彼の愛人でした。
これだけでも十分にややこしいですが、さらに叔母のレオは、昔ジョルジュと婚約していたのを妹イヴォンヌに取られ、それでも密かに彼を愛しながら同居していて、隙あらば彼を我が物にしようと考えています。とりあえず純真なのはミシェルだけですね。(笑)
佐藤オリエのレオは、よくある堅実で控えめで貞淑な役かと思っていたら、
そんな一家が、それぞれ下心をもってマドレーヌの家を訪問することになります。ここまでが一幕。全体が後半の展開に向けた伏線になっています。
舞台が始まってすぐにわかりますが、5人の役者のアンサンブルは大したもので、それぞれの役柄が際立っていて、持ち味を生かした見事な台詞バトルが展開されていました。
そして15分の休憩となります。ここまで観てきてずっと緊張しっぱなしだったので、この休憩の「弛緩タイム」はありがたかったですね。(笑)
ここから出演者に沿っての感想です。
まず、ミシェルの恋に動揺するイヴォンヌ役の麻実れい。もう喜怒哀楽・緩急自在の感情表現で余裕シャクシャクの演技ですね。前回の公演で読売演劇大賞最優秀女優賞受賞をしたのも当然ですね。全体に地味な色合いの衣装ですが、二幕目の殴り込み時の勝負衣装(笑)は王侯貴族なみの豪華さで、それを完全に着こなしていたのはさすがでした。
麻実れいは今回も華やかで艶っぽいです。息子との危険な関係を露骨に見せつけるアブない演出(本人の発案とのことです)を嫌らしさを感じさせずに演じていました。
麻実れいといえば、最近スカステの100周年記念に関連したインタビュー番組が放映されていました。番組では彼女も珍しく多弁でしたが(笑)、やはり宝塚時代の思い出ではモックとのコンビについてが一番らしく、いろいろ語っていました。
彼女はふだんはおっとりとした話し方で、退団後の一時期、神田明神の境内で遊んでいた子供時代の話を耳タコ(笑)で聞かされたりしたので、あまり器用そうに見えなかったのですが、いったん舞台に立つと豹変、『サラ』みたいな膨大なセリフの難しい舞台でも難なくこなしていたのを観て、役者としての実力に驚かされてきました。
何をしても麻実れいそのものなのに(笑)、それが邪魔になるどころか逆に役の魅力を大きく引き立てているのですからすごいです。
息子の恋人が自分の愛人だと知って焦りまくるジョルジュ役の中嶋しゅう。父であり・夫であり・昔の彼女に想われていて・息子の彼女を愛人にしている・ややこしいがあまり生活力のない中年男の狼狽ぶりが面白いです。
ただ、全篇を通して、女性陣のド迫力に押されっぱなしで、その存在は薄いですね。この芝居、コメディには程遠いドロドロした人間関係のもつれあう深刻な劇ですが、それでもところどころでコミカルな演出が散りばめられていて、ひんぱんに客席から笑いが起こるのは井上ひさしの作品に一脈通じるものがありますね。
イヴォンヌの姉レオは佐藤オリエです。このレオという役、最初のうちは他の芝居でもよくありがちな、主役を陰日向なく支える、堅実で貞淑でどんなシチュエーションでも沈着冷静で賢明な脇役のように見えました。実際レオは、23年もの間、生活力のない妹夫婦を支える家政婦役を務めてきました。しかし実は深謀遠慮、その生涯をかけた復讐計画を実行に移すという役です。
プログラム掲載の稽古風景から 暗いですね↓
舞台の進行とともに、地味なのは見かけだけで、実際は今回の芝居を主導する仕掛け役的な存在であることが次第に分かってきます。ちょっとセリフがかすれ気味のようでしたが、演技は細かな感情表現が読み取れて説得力がありました。さすがに大したものです。「恐るべきレオ」でした。
息子ミシェル役の満島真之介は前回の公演が初舞台だったそうですが、2度目とあって全く危なげなく、セリフもしっかりしていました。ただ、上記の通りで今回の話は女たち3人のほうがアグレッシブなので損をしていますね。まあただのマザコンともいえなくもないですが。(殴)
観劇しながらどこかで見たなと思っていたら、以前に「祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜」 蜷川バージョンでお目にかかっていたのを思い出しました。そういえばこの時も三姉妹のインパクトが大きくてあまり印象に残らなかったですね。(笑)
感想が最後になりましたが、マドレーヌを演じる中嶋朋子もよかったですね。今回最初に舞台上に出てきた彼女を見たときは、その役とはやや年齢的なズレを感じましたが(殴)、そのギャップは演技力で補正して、次第に役年齢に似合ったように見せていた(笑)のはさすがでした。
今回の公演はどの役も感情移入しにくい(笑)のですが、それでもマドレーヌはまだノーマルな部分が残っているキャラクタでしたね。
この芝居、導入部からしばらくは痴話喧嘩を濃縮したような筋書(笑)で、これでずっと引っ張られるのかと思っていたら、二幕目から話は大きく流れが変わり、最後は衝撃の大逆転。
プログラム掲載の稽古風景から これも暗いです↓
その途中で繰り広げられるイヴォンヌとミシェルの尋常ではないスキンシップや、やたらに多いミシェルとマドレーヌのじゃれあいながらのキスシーンがけっこう生々しいです。役者さんも大変です。(笑)
そして最後はスパッと切れのいい結末。
これが逆に余韻たっぷりで、満足の観劇となりました。
題名から連想した観る前の気の重さがいい意味で裏切られた内容の濃い舞台でした。未見の方は、機会があればぜひご覧ください。
おすすめです。