まずいつものように劇場にたどり着くまで。
「象」と違い、今回は道路がすいていて超楽チンでした。自宅を出てからきっかり1時間で地下駐車場に到着。
前回見つけた西宮北口駅の阪急ベーカリー&カフェで軽く昼食。二人合わせて約1,000円。CP高いです。
再び劇場に戻り、開場まで待ちました。前回はギリギリの時間で焦りまくりでしたが、今回は余裕ありすぎ(笑)。
会場には愛華みれ、若村麻由美、熊谷真美への花が。
今回の席はB列でオペラ要らず。まあなんとも舞台が近いですね〜♪。頑張ってパソコンでゲットした甲斐がありました。
今回の「頭痛肩こり樋口一葉」はこまつ座のお盆恒例の演目だそうですが、まさにそのとおりの話でした。しかもこの芝居は、こまつ座の旗揚げ公演での演目で、それが今回の第100回記念公演でも上演されるということで、こまつ座にとってはとくに意義のある芝居なのでしょうね。
でもまあなんといっても役者が豪華。
「樋口一葉」こと「夏子」を小泉今日子、その母「樋口多喜」を三田和代、幽霊の「花蛍」を若村麻由美、多喜が乳母だった縁で樋口家と縁のある元旗本の養女「稲葉鑛」を愛華みれ、一葉の旧友「中野八重」を熊谷真美、妹の「樋口邦子」を深谷美歩とそうそうたる顔ぶれ。このメンバーで井上ひさしの脚本となれば面白くないわけがありませんね。
後日調べてみたら、この「頭痛肩こり‥」は宝塚のOGがよく出演しています。古くは上月晃や安奈淳が、最近では杜けあきが「稲葉鑛」を演じています。さらに大鳥れいが八重をやるなどしていますね。
さて芝居の感想ですが、さすがに井上ひさし、見ごたえ十分。面白おかしく、しかも悲しい。そして明治という時代の一面をよく描いています。
今回のお話は、一度だけ例外がありますが、基本は24歳で夭逝した樋口一葉の生涯を、樋口家の盂蘭盆会に集まる5人の女たちと1人?の幽霊の会話で構成した伝記ものです。
一葉の両親は、百姓でありながら訳あって故郷を出奔し、苦労の末ようやく八丁堀同心の身分を手に入れたものの、世は明治維新となってご破算。
でもなんとか東京府の下級吏員の身分にありつき、満4歳から9歳までの一葉は幸せだったといいます。
でも兄弟の相次ぐ不幸と退職後の父親の家業の失敗などで一家は零落。
そして父の死後、さらに家計は窮迫し、戸主となった樋口家の長女・夏子(樋口一葉)は、生活を支えるため苦闘します。そんなギリギリの生活を送る一葉と多喜と邦子の1日を、毎年7月16日の盂蘭盆会だけ切り取って見せています。
幕が上がるとセットはいたってシンプルで、4本の柱と仏壇、あとは文机程度があるだけ。ゆかたの子供たちが提灯を持って
盆の歌を歌いながら踊るところから始まります。女優のみなさんの怪演ぶりが面白いです。
以下は、こまつ座 「the座」No.75より 稽古場風景です
個々の女優の感想ですが、まずNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の小泉今日子から。
ドラマの人気を当て込んでの起用と言ったら言い過ぎかもしれませんが、結果としてはしんどかったですね。
まず気になったのはセリフ。テレビでは気にならなかったのですが、彼女がこんなに舌足らずの声だったとは。そしてセリフが何度もすべって言い直したりし緊張が途切れたり。
まあセリフがつかえたのは今回他の俳優さんでもありましたが、主役なので目立ちましたね。
それと表情の変化のダイナミックレンジ(笑)が意外に狭く、感情が十分表現できていないと思いました。ちよっと残念でした。
話題性では客が呼べるでしょうが、劇全体の完成度からすると起用は疑問ですね。観ながら、去年の「サド侯爵夫人」の蒼井優を思い出しました。
それに対して貫禄を見せたのが三田和代。余裕の演技でした。
世間体を気にして、あれこれ娘たちに指図するうるさい母親役を好演していました。そんな多喜が、最後で新盆に仏となって帰ってきて「世間体など気にしちゃダメだよ」と生き残った邦子に叫ぶのは万感胸に迫りますね。
とにかくこの人の存在感はさすがでした。
次は期待の愛華みれです。
最近の彼女は、病気治療の影響か現役時代よりふっくらしていますが、元気なのがまず何より。
そして舞台では、落ちぶれたとはいえ世が世ならお姫様の稲葉鑛をよく演じていました。零落しても気品は隠せず、でもそんな彼女が借金を頼みにまわる姿に、明治という世相の一端がよく表現されていましたね。しっとりとした演技が魅力的でした。
ただ、プチ残念なのがセリフで、やや内にこもってしまって前に出てこなかったですね。でも劇中の歌の場面ではしみじみと聞かせてくれて印象的でした。歌う回数も多くてよかったです。
ずっと元気に活躍してほしいですね。
熊谷真美はバッチリの適役。
とくに前半より、後半、苦界に身を沈めてからの開き直った「八重」が本領発揮(笑)でよかったですね。
前半観ていて、あまりしどころがなくもったいないなと思っていましたが、女郎になってから見違えるように表情が豊かになって生き生きとしています。まったく「八重」が乗り移っています。
この人、最初の「井上ひさし体験」だった「黙阿弥オペラ」での熱演にびっくりでしたが、その後も「藪原検校」などこまつ座の芝居で好演していて、なじみの役者さんになってきていました。
セリフでひときわ目立っていたのが、妹「邦子」役の深谷美歩。
すっきり明快で耳に心地よく聞こえるセリフがまず印象的。それと、抑えた中にも芯の通った安定した演技が光っていました。姉を慕い、世間体を優先して家計を顧みない母・多喜にも辛抱強く従う邦子を自然体で好演。
芝居の最後の場面で、迷わず母親の霊が戻って来れるようにと、ただ一人で新盆が終わるまで借家にとどまっていた邦子が、柳行李を持ち、一家の仏の入った重そうな仏壇を背負って借家を立ち去るシーンは、近年とみに緩みがちな私たちの涙腺をしたたかに刺激してくれました。
この健気な妹の心情を背中で見事に演じた彼女に、客席から惜しみない拍手が湧きおこりました。
おいしい役でしたね。
さて最後は「花蛍」の若村麻由美。
この人、幽霊なのにものすごくきれい(この世のものとは思われないとはこのことです^^;)で、あでやか。憑りつかれたいと思うほど(笑)。しかも情にもろく根がやさしい。生前松大国楼のお抱え女郎として人気を博したのは当然ですね。
彼女が最初登場した時、舞台の雰囲気は一変しましたね。幽霊が出てきたらパッと華やぐ舞台。シュールな世界です(笑)。
真っ白の、ガーゼのような柔らかそうな軽い生地で作られた女郎の衣装をまとい、軽々とした身のこなしで、生前はさぞやと思わせるいい女ぶり。
そして自分を自害に追い込んだ張本人が見つけられないため成仏できず、あの世とこの世を彷徨い続ける「花蛍」を妖しく演じています。
姿形もさることながら、なによりセリフがすっきり・はっきり。
やはり基礎トレーニングの差でしょうか、どんな小さい声でもよく耳に入ってきます。この人もNHKの「純と愛」で話題になりましたが、舞台俳優としての力量は大したものですね。
この「花蛍」に、井上ひさしはこの芝居のモチーフとなる明治という時代を語らせています。
花蛍は、自分を死に追いやった恨みの相手を探し出したものの、その相手の事情の背後にまた別のやむに已まれぬ事情があり、そのまた背後に‥と追い続けたら、最後には皇后までたどり着いて、その皇后も列強から包囲され維新の激動にさいなまれる天皇によって追い込まれて‥となって、最後には明治という時代そのものに行き着いたというものです。
自分で戒名を作り、自分を押し殺しながら生活のために必死な一葉にはすでに死が憑りついていて、だからこそ一葉だけに「花蛍」が見えます。この一葉と花蛍のユーモラスなやり取りと、生きられない世間を必死にたくましく生きようとする明治の女たちの姿に井上ひさしのまなざしがよく伝わってきました。
この時代を作者は「世間」といい、「世間とは絡み合った網のようなもの」で、「その網の中では女は生きることができない」と劇中で言わせています。なので盆の礼に来る死者となった女たちのほうが、生きている女たちより明るく屈託がありません。
井上ひさしの「明治」を描いた作品ではなんといっても「黙阿弥オペラ」が傑作ですね。でもこちらのほうは男の明治ですが、これもまた時代というものをよく描いていました。この2つを観ることで、作者の明治という時代の歴史観を垣間見ることができました。
現代日本を覆う時代錯誤の偏狭なナショナリズム。私はその原点をさかのぼっていったら「明治維新」に行き着きましたが、井上ひさしなら現在の日本についてどう考えたでしょうか。
そんなことを思いながら劇場を後にしました。
今回も「面白うて やがて悲しき ひさしかな」という感想ですね。
未見の方、機会があればぜひご覧ください。小難しいことは抜きにして、芝居の面白さが圧倒的です。
つぎのひさしワールドは「それからのブンとフン」かな。
「象」と違い、今回は道路がすいていて超楽チンでした。自宅を出てからきっかり1時間で地下駐車場に到着。
前回見つけた西宮北口駅の阪急ベーカリー&カフェで軽く昼食。二人合わせて約1,000円。CP高いです。
再び劇場に戻り、開場まで待ちました。前回はギリギリの時間で焦りまくりでしたが、今回は余裕ありすぎ(笑)。
会場には愛華みれ、若村麻由美、熊谷真美への花が。
今回の席はB列でオペラ要らず。まあなんとも舞台が近いですね〜♪。頑張ってパソコンでゲットした甲斐がありました。
今回の「頭痛肩こり樋口一葉」はこまつ座のお盆恒例の演目だそうですが、まさにそのとおりの話でした。しかもこの芝居は、こまつ座の旗揚げ公演での演目で、それが今回の第100回記念公演でも上演されるということで、こまつ座にとってはとくに意義のある芝居なのでしょうね。
でもまあなんといっても役者が豪華。
「樋口一葉」こと「夏子」を小泉今日子、その母「樋口多喜」を三田和代、幽霊の「花蛍」を若村麻由美、多喜が乳母だった縁で樋口家と縁のある元旗本の養女「稲葉鑛」を愛華みれ、一葉の旧友「中野八重」を熊谷真美、妹の「樋口邦子」を深谷美歩とそうそうたる顔ぶれ。このメンバーで井上ひさしの脚本となれば面白くないわけがありませんね。
後日調べてみたら、この「頭痛肩こり‥」は宝塚のOGがよく出演しています。古くは上月晃や安奈淳が、最近では杜けあきが「稲葉鑛」を演じています。さらに大鳥れいが八重をやるなどしていますね。
さて芝居の感想ですが、さすがに井上ひさし、見ごたえ十分。面白おかしく、しかも悲しい。そして明治という時代の一面をよく描いています。
今回のお話は、一度だけ例外がありますが、基本は24歳で夭逝した樋口一葉の生涯を、樋口家の盂蘭盆会に集まる5人の女たちと1人?の幽霊の会話で構成した伝記ものです。
一葉の両親は、百姓でありながら訳あって故郷を出奔し、苦労の末ようやく八丁堀同心の身分を手に入れたものの、世は明治維新となってご破算。
でもなんとか東京府の下級吏員の身分にありつき、満4歳から9歳までの一葉は幸せだったといいます。
でも兄弟の相次ぐ不幸と退職後の父親の家業の失敗などで一家は零落。
そして父の死後、さらに家計は窮迫し、戸主となった樋口家の長女・夏子(樋口一葉)は、生活を支えるため苦闘します。そんなギリギリの生活を送る一葉と多喜と邦子の1日を、毎年7月16日の盂蘭盆会だけ切り取って見せています。
幕が上がるとセットはいたってシンプルで、4本の柱と仏壇、あとは文机程度があるだけ。ゆかたの子供たちが提灯を持って
盆の歌を歌いながら踊るところから始まります。女優のみなさんの怪演ぶりが面白いです。
以下は、こまつ座 「the座」No.75より 稽古場風景です
個々の女優の感想ですが、まずNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の小泉今日子から。
ドラマの人気を当て込んでの起用と言ったら言い過ぎかもしれませんが、結果としてはしんどかったですね。
まず気になったのはセリフ。テレビでは気にならなかったのですが、彼女がこんなに舌足らずの声だったとは。そしてセリフが何度もすべって言い直したりし緊張が途切れたり。
まあセリフがつかえたのは今回他の俳優さんでもありましたが、主役なので目立ちましたね。
それと表情の変化のダイナミックレンジ(笑)が意外に狭く、感情が十分表現できていないと思いました。ちよっと残念でした。
話題性では客が呼べるでしょうが、劇全体の完成度からすると起用は疑問ですね。観ながら、去年の「サド侯爵夫人」の蒼井優を思い出しました。
それに対して貫禄を見せたのが三田和代。余裕の演技でした。
世間体を気にして、あれこれ娘たちに指図するうるさい母親役を好演していました。そんな多喜が、最後で新盆に仏となって帰ってきて「世間体など気にしちゃダメだよ」と生き残った邦子に叫ぶのは万感胸に迫りますね。
とにかくこの人の存在感はさすがでした。
次は期待の愛華みれです。
最近の彼女は、病気治療の影響か現役時代よりふっくらしていますが、元気なのがまず何より。
そして舞台では、落ちぶれたとはいえ世が世ならお姫様の稲葉鑛をよく演じていました。零落しても気品は隠せず、でもそんな彼女が借金を頼みにまわる姿に、明治という世相の一端がよく表現されていましたね。しっとりとした演技が魅力的でした。
ただ、プチ残念なのがセリフで、やや内にこもってしまって前に出てこなかったですね。でも劇中の歌の場面ではしみじみと聞かせてくれて印象的でした。歌う回数も多くてよかったです。
ずっと元気に活躍してほしいですね。
熊谷真美はバッチリの適役。
とくに前半より、後半、苦界に身を沈めてからの開き直った「八重」が本領発揮(笑)でよかったですね。
前半観ていて、あまりしどころがなくもったいないなと思っていましたが、女郎になってから見違えるように表情が豊かになって生き生きとしています。まったく「八重」が乗り移っています。
この人、最初の「井上ひさし体験」だった「黙阿弥オペラ」での熱演にびっくりでしたが、その後も「藪原検校」などこまつ座の芝居で好演していて、なじみの役者さんになってきていました。
セリフでひときわ目立っていたのが、妹「邦子」役の深谷美歩。
すっきり明快で耳に心地よく聞こえるセリフがまず印象的。それと、抑えた中にも芯の通った安定した演技が光っていました。姉を慕い、世間体を優先して家計を顧みない母・多喜にも辛抱強く従う邦子を自然体で好演。
芝居の最後の場面で、迷わず母親の霊が戻って来れるようにと、ただ一人で新盆が終わるまで借家にとどまっていた邦子が、柳行李を持ち、一家の仏の入った重そうな仏壇を背負って借家を立ち去るシーンは、近年とみに緩みがちな私たちの涙腺をしたたかに刺激してくれました。
この健気な妹の心情を背中で見事に演じた彼女に、客席から惜しみない拍手が湧きおこりました。
おいしい役でしたね。
さて最後は「花蛍」の若村麻由美。
この人、幽霊なのにものすごくきれい(この世のものとは思われないとはこのことです^^;)で、あでやか。憑りつかれたいと思うほど(笑)。しかも情にもろく根がやさしい。生前松大国楼のお抱え女郎として人気を博したのは当然ですね。
彼女が最初登場した時、舞台の雰囲気は一変しましたね。幽霊が出てきたらパッと華やぐ舞台。シュールな世界です(笑)。
真っ白の、ガーゼのような柔らかそうな軽い生地で作られた女郎の衣装をまとい、軽々とした身のこなしで、生前はさぞやと思わせるいい女ぶり。
そして自分を自害に追い込んだ張本人が見つけられないため成仏できず、あの世とこの世を彷徨い続ける「花蛍」を妖しく演じています。
姿形もさることながら、なによりセリフがすっきり・はっきり。
やはり基礎トレーニングの差でしょうか、どんな小さい声でもよく耳に入ってきます。この人もNHKの「純と愛」で話題になりましたが、舞台俳優としての力量は大したものですね。
この「花蛍」に、井上ひさしはこの芝居のモチーフとなる明治という時代を語らせています。
花蛍は、自分を死に追いやった恨みの相手を探し出したものの、その相手の事情の背後にまた別のやむに已まれぬ事情があり、そのまた背後に‥と追い続けたら、最後には皇后までたどり着いて、その皇后も列強から包囲され維新の激動にさいなまれる天皇によって追い込まれて‥となって、最後には明治という時代そのものに行き着いたというものです。
自分で戒名を作り、自分を押し殺しながら生活のために必死な一葉にはすでに死が憑りついていて、だからこそ一葉だけに「花蛍」が見えます。この一葉と花蛍のユーモラスなやり取りと、生きられない世間を必死にたくましく生きようとする明治の女たちの姿に井上ひさしのまなざしがよく伝わってきました。
この時代を作者は「世間」といい、「世間とは絡み合った網のようなもの」で、「その網の中では女は生きることができない」と劇中で言わせています。なので盆の礼に来る死者となった女たちのほうが、生きている女たちより明るく屈託がありません。
井上ひさしの「明治」を描いた作品ではなんといっても「黙阿弥オペラ」が傑作ですね。でもこちらのほうは男の明治ですが、これもまた時代というものをよく描いていました。この2つを観ることで、作者の明治という時代の歴史観を垣間見ることができました。
現代日本を覆う時代錯誤の偏狭なナショナリズム。私はその原点をさかのぼっていったら「明治維新」に行き着きましたが、井上ひさしなら現在の日本についてどう考えたでしょうか。
そんなことを思いながら劇場を後にしました。
今回も「面白うて やがて悲しき ひさしかな」という感想ですね。
未見の方、機会があればぜひご覧ください。小難しいことは抜きにして、芝居の面白さが圧倒的です。
つぎのひさしワールドは「それからのブンとフン」かな。