Fといっしょに観る予定だった最後の手持ちチケットが、新国立劇場公演の「1984」でした。
彼女が倒れる4日前の、1月12日に先行販売で買いました。
その後、5月になればひょっとしてFは行けるようになっているかもと、淡い期待を込めて処分していなかったのですが、やはりまだ無理でした。
なので、3月の「シャンハイムーン」以来2か月ぶりに、また今回も、ボランティアとして元同僚のYさんに頼んで代わりに観てもらいました。
またまた平日に貴重な休暇をとってもらって、本当に申し訳なかったのですが。
この日も阪神高速は交通量が少なく、1時間余りで劇場地下駐車場に到着、とまではよかったのですが、バックで入れる際に後部バンパー左角を壁に擦ってしまって縦6cm幅7mmの傷がついてしまうミス!
まあ自分で修理できる程度の損傷だったのがせめてもの慰め。(その後なんとか目立たないように修復しました)
そして打ち合わせ通りの時間に合流できました。
で、舞台の話ですが、今回の話は、ご存じジョージ・オーウェルの小説「1984」がもとになっています。
ジョージ・オーウェルの主観的な意図はどうであれ、この小説は、発表と同時に冷戦下の米英社会で「反共のバイブル」ともてはやされるようになりました。
それを今なぜ舞台化する?という違和感が否めず、現代の世界では映画「スノーデン」や、ウィキリークスなどが暴露している、米の諜報機関の大規模な盗聴・監視の実態を暴くほうが切実な課題じゃないかと思いながらの観劇でした。
ちょっと私のほうが、政治主義的に過敏なっているのかもしれませんが、学生時代に「カタロニア賛歌」を読んで以来、ジョージ・オーウェルと聞くと、反射的に否定的な思いのほうが強く出てきます。
それなら買わなかったら良かったじゃないかと言われそうですが(笑)、なにしろ井上芳雄&ともさかりえですからね。
これは買わない手はないでしょとFに言われて、ポチっていたのです。席はB列下手側。
ということで観劇の超簡単な感想です。以下いつもの通り敬称略。
セットは凝っていたし、プロジェクターを多用した演出も面白く、なにより井上芳雄をはじめ出演者全員の力演で見ごたえがありました。
急逝した大杉漣の代役を務めた新農直隆も、負けず劣らずの演技で頑張っていました。
大杉漣を彷彿とさせる立ち姿やセリフで、以前この劇場で観た、同じ新国立劇場公演の「象」の場面を重ねながら観ていました。
でもやはり劇の主題に違和感があって、ずっと空振り感に付きまとわれていました。
そのせいで、出演者の熱演にもかかわらず、誰にも感情移入できないのも残念でした。
井上芳雄とともに目当てにしていたともさかりえは、「たとえば野に咲く花のように」の好演で期待していましたが、今回はどうにもしどころのない役で、勿体なかったですね。残念でした。
ということで、たびたび睡魔が襲ってきましたが、誘った私が寝ていたのでは申し訳ないので、カクッとするたびに、必死になって観ている風を演技。(殴) Yさんは私と違って、しっかり観てくれていました。
終わって、やはり皆さんも同感だったのか、私が見まわした範囲ではスタンディングはなかったですね。
でもそのあとのアフタートークが面白かった!
これだけで観た甲斐がありました。(殴)
劇場の担当スタッフが進行役でしたが、井上芳雄が、重苦しい舞台の余韻を吹き飛ばす軽妙洒脱なトークを披露して、すぐ客席も大ウケ。
とくに面白かったのは、進行役が話題を振ろうと、つい
「こんな話ですが、演じられてどう感じましたか?」と口を滑らせたのに対して、
すかさず井上芳雄が、
「こんな話!! 聞きましたかみなさん、こんな話っていっていますよ!こんな話って!」
と突込みを入れたので客席は大爆笑。舞台上の出演者も笑い転げていました。
終わって、ロビーでYさんの感想を聞いて、お礼を言うのもそこそこにお別れして、病院に向かいました。
幸い道も空いていて、3時50分に病院に到着。
ベッドに行くとちょうど検温中で、37.6度と高め。
倒れてからFは、ずっと体温調節がうまくできず、微温が続いています。早速観劇の感想を話しましたが、この日は眠そうで、最初はあまり反応しませんでした。
でもいろいろ話しかけたあと、
「今回は行けなかったけど、8月の『大人のけんかが終わるまで』は必ず行こうね、チケット買ったからね、行けるようにリハビリ頑張ろうね」
と言うと、じっと私の顔を見てくれました。パンフレットも見てくれました。
実際のところ私には、現在の彼女の正確な意識の覚醒状況はわかりませんが、以前と違って、この日のように私の話に合わせて視線を動かしたり、表情を変えたりする日は確実に多くなっています。
そうした、良い反応をしてくれる日と、そうでない日を例えたら、濃く立ち込めている霧が時折晴れて、景色が垣間見える、といったような感じでしょうか。
PTのリハビリがない土・日はもちろん、月曜から金曜の間も、私がFの手足を持って動かすリハビリをやっています。
おかげで手足の関節の可動範囲が広がってきているのがわかります。リハビリの合間に聞かせるICレコーダーには、日替わりの私の声だけでなく、音楽もさらに種類を増やして入れていますが、これもよく聞いてくれています。
でもFが、自分で手足を動かしたり、言葉を発したり出来るようになるのは、まだ先のことでしょう。
今は焦る気持ちを何とか抑えて、それらのリハビリがきっかけとなって、意識の覚醒状態が劇的に好転してくれるように祈りながら、毎日病院に通っています。
でも、もうすぐ6月になります。
まもなく、今の病院の入院期限が終わります。
また別の施設を見つけないといけないのですが、候補となる施設は近くになく、さらに遠くになってしまいそうなのがつらいです。
彼女が倒れる4日前の、1月12日に先行販売で買いました。
その後、5月になればひょっとしてFは行けるようになっているかもと、淡い期待を込めて処分していなかったのですが、やはりまだ無理でした。
なので、3月の「シャンハイムーン」以来2か月ぶりに、また今回も、ボランティアとして元同僚のYさんに頼んで代わりに観てもらいました。
またまた平日に貴重な休暇をとってもらって、本当に申し訳なかったのですが。
この日も阪神高速は交通量が少なく、1時間余りで劇場地下駐車場に到着、とまではよかったのですが、バックで入れる際に後部バンパー左角を壁に擦ってしまって縦6cm幅7mmの傷がついてしまうミス!
まあ自分で修理できる程度の損傷だったのがせめてもの慰め。(その後なんとか目立たないように修復しました)
そして打ち合わせ通りの時間に合流できました。
で、舞台の話ですが、今回の話は、ご存じジョージ・オーウェルの小説「1984」がもとになっています。
ジョージ・オーウェルの主観的な意図はどうであれ、この小説は、発表と同時に冷戦下の米英社会で「反共のバイブル」ともてはやされるようになりました。
それを今なぜ舞台化する?という違和感が否めず、現代の世界では映画「スノーデン」や、ウィキリークスなどが暴露している、米の諜報機関の大規模な盗聴・監視の実態を暴くほうが切実な課題じゃないかと思いながらの観劇でした。
ちょっと私のほうが、政治主義的に過敏なっているのかもしれませんが、学生時代に「カタロニア賛歌」を読んで以来、ジョージ・オーウェルと聞くと、反射的に否定的な思いのほうが強く出てきます。
それなら買わなかったら良かったじゃないかと言われそうですが(笑)、なにしろ井上芳雄&ともさかりえですからね。
これは買わない手はないでしょとFに言われて、ポチっていたのです。席はB列下手側。
ということで観劇の超簡単な感想です。以下いつもの通り敬称略。
セットは凝っていたし、プロジェクターを多用した演出も面白く、なにより井上芳雄をはじめ出演者全員の力演で見ごたえがありました。
急逝した大杉漣の代役を務めた新農直隆も、負けず劣らずの演技で頑張っていました。
大杉漣を彷彿とさせる立ち姿やセリフで、以前この劇場で観た、同じ新国立劇場公演の「象」の場面を重ねながら観ていました。
でもやはり劇の主題に違和感があって、ずっと空振り感に付きまとわれていました。
そのせいで、出演者の熱演にもかかわらず、誰にも感情移入できないのも残念でした。
井上芳雄とともに目当てにしていたともさかりえは、「たとえば野に咲く花のように」の好演で期待していましたが、今回はどうにもしどころのない役で、勿体なかったですね。残念でした。
ということで、たびたび睡魔が襲ってきましたが、誘った私が寝ていたのでは申し訳ないので、カクッとするたびに、必死になって観ている風を演技。(殴) Yさんは私と違って、しっかり観てくれていました。
終わって、やはり皆さんも同感だったのか、私が見まわした範囲ではスタンディングはなかったですね。
でもそのあとのアフタートークが面白かった!
これだけで観た甲斐がありました。(殴)
劇場の担当スタッフが進行役でしたが、井上芳雄が、重苦しい舞台の余韻を吹き飛ばす軽妙洒脱なトークを披露して、すぐ客席も大ウケ。
とくに面白かったのは、進行役が話題を振ろうと、つい
「こんな話ですが、演じられてどう感じましたか?」と口を滑らせたのに対して、
すかさず井上芳雄が、
「こんな話!! 聞きましたかみなさん、こんな話っていっていますよ!こんな話って!」
と突込みを入れたので客席は大爆笑。舞台上の出演者も笑い転げていました。
終わって、ロビーでYさんの感想を聞いて、お礼を言うのもそこそこにお別れして、病院に向かいました。
幸い道も空いていて、3時50分に病院に到着。
ベッドに行くとちょうど検温中で、37.6度と高め。
倒れてからFは、ずっと体温調節がうまくできず、微温が続いています。早速観劇の感想を話しましたが、この日は眠そうで、最初はあまり反応しませんでした。
でもいろいろ話しかけたあと、
「今回は行けなかったけど、8月の『大人のけんかが終わるまで』は必ず行こうね、チケット買ったからね、行けるようにリハビリ頑張ろうね」
と言うと、じっと私の顔を見てくれました。パンフレットも見てくれました。
実際のところ私には、現在の彼女の正確な意識の覚醒状況はわかりませんが、以前と違って、この日のように私の話に合わせて視線を動かしたり、表情を変えたりする日は確実に多くなっています。
そうした、良い反応をしてくれる日と、そうでない日を例えたら、濃く立ち込めている霧が時折晴れて、景色が垣間見える、といったような感じでしょうか。
PTのリハビリがない土・日はもちろん、月曜から金曜の間も、私がFの手足を持って動かすリハビリをやっています。
おかげで手足の関節の可動範囲が広がってきているのがわかります。リハビリの合間に聞かせるICレコーダーには、日替わりの私の声だけでなく、音楽もさらに種類を増やして入れていますが、これもよく聞いてくれています。
でもFが、自分で手足を動かしたり、言葉を発したり出来るようになるのは、まだ先のことでしょう。
今は焦る気持ちを何とか抑えて、それらのリハビリがきっかけとなって、意識の覚醒状態が劇的に好転してくれるように祈りながら、毎日病院に通っています。
でも、もうすぐ6月になります。
まもなく、今の病院の入院期限が終わります。
また別の施設を見つけないといけないのですが、候補となる施設は近くになく、さらに遠くになってしまいそうなのがつらいです。