ようやく一年ぶりの更新です。
私の連れ合いのFは、昨年1月16日に、2度目の脳出血で急性期病院に緊急入院し、同年3月に療養型病院に転院して、それ以来現在も同じ病院で療養中です。
15年前に、初めて左脳内出血を発症した時とは違って、今回は右脳で、その出血量も多く、手足はもちろん言葉もまだ出ない状態です(たった一度、急性期病院で痰の吸引時に「痛い!もう!」と言ったと、たまたま居合わせて聞いた看護師さんと言語療法士さんが、後で私に知らせてくれましたが)。
ただ、私の呼びかけはわかるようで、面会に行って声をかけると、顔を向けてじっと見てくれたり、私の姿を眼で追ってくれたり、ベッドサイドに貼った写真や窓の外を指差すと眼を向けて見てくれます。
ICレコーダーに録音した私の話声や彼女の好きな音楽を聞かせると、表情を変えながら良く聞いています。
毎日面会に行って(さすがにあの台風が直撃した日だけは休みましたが)、腕の関節が固まらないように、PTさんやOTさんのマッサージとは別に、私がFの腕や足を持って動かして、そのあと「動かして」と声をかけると、最大20cm程度ですが、一生懸命腕の位置を探るような表情で、ゆっくりと腕を動かしてくれます。ただ毎日ではなく、ほとんど反応してくれないときもあります。
転院してきたとき、病院の相談員から、「痰の吸引程度では入院期間は3か月が限度です」と申し渡されていたのですが、幸か不幸か前の病院にいた時から、脳出血による体温調節機能の障害で体温が乱高下する状態が続いていたので、その対応が必要なことから入院が継続出来ていました。
そのまま越年して、暮れに娘夫婦も帰国してくれて、何度も一緒に見舞ってくれたりして、今後もこの状態が続くのかと思っていたら、偶然にも去年と同じ1月16日、今度はインフルエンザと誤嚥性肺炎を発症。
その数日前からこれまでにない39度の高熱が続いておかしいなと思っていたのですが、16日朝A型インフルエンザ発症と連絡を受けて愕然としました。おまけに肺炎まで併発しているとは。
11月にインフルエンザの予防注射はしていましたが、長期にわたる発熱で体重が極端に落ちていたので抵抗力がなく、すぐ危険な状態になってしまいました。
しかしあろうことか、肝心の病院の主治医は、あわてて詰所に駆け付けた私に対して、「ここは療養型病院なので体制が整わず、これ以上なにもできない」と耳を疑う無責任さ。さらに追い打ちをかけるように、今夜ももたないかもと言い放ちました。
あまりのことに私も怒り心頭、ここで何もできないなら転院させてくれと申し入れました。それで病院の相談員をはじめスタッフが手分けして周辺の病院に問い合わせましたが、最近のインフルエンザの急激な流行で、どこも満床状態で受け入れ不可。
その間もFは血圧が下がり、酸素吸入をしても酸素濃度が低下する一方で、私ももうダメかと絶望的になりました。
でもここからが、この病院の看護師さんたちのすごいところでした。
日ごろから率直に意思疎通ができて、気心も知れている看護師長をはじめ何人もの看護師さんたちが、私と主治医のやり取りを横で聞いていて、私が病室に引き上げた後、医師のあまりの無為無策・無責任な方針(といえるかどうか)に強く抗議してくれたそうです。
彼女たちは、「療養型といっても、やろうと思えばインフルエンザと肺炎なら急性期病院並みのことは出来ます、まず今の酸素マスクではダメで、早く人工呼吸器をつけるなどした上で積極的な対策をすべきです」といろいろ治療方法を提案してくれたそうです。
この事態に病院長も主治医に任せておけないと思ったのか、自らも加わって17日に人工呼吸器の挿管をしてくれ、ようやく安定して酸素が送れるようになりました。
色々な手当てのおかげで、すぐ呼吸数も酸素濃度も安定してきましたが、17日はまだ血圧は低いままでした。
18日にはやっと血圧も上がってきました。
この看護師さんたちの「反乱」の一部始終は、人工呼吸器の装着が終わった日の夕方、一番親しい看護師さんから「実は‥」と聞かされました。思いもよらないことで本当に感動しました。不覚にも思わず涙が出そうになりました。そればかりか、Kさんさえよければ主治医は代えられますよとも言ってくれました。
そのあとも、複数の看護師さんが、病室に来るたびに申し合わせたように「主治医は代えられますよ」と教えてくれ、もちろん即座に交代を申し入れることにしました。
私の意向を確認した看護師さんは、すぐ「私がこれから師長に伝えてきます」と詰所に行ってくれました。まもなく戻ってきた看護師さんは、「師長さんも『もっと早く言ってくれたらよかったのに』と言ってましたよ」と笑顔で教えてくれました。
でもそれは私のセリフですよね。
主治医の変更手続きは、窓口の看護師長から翌18日には病院に伝わり、詰所で主治医とのやり取りを横で聞いて腹を据えかねていた相談員氏も調整に動いてくれて、「この土・日は事務手続きができないので申し訳ないのですが、院長をはじめ法人のトップにも届いています。月曜には正式に決まるので、それまでお待ちください」とこちらが恐縮するほど迅速な対応でした。
現在はインフルエン<ザと肺炎の対症療法が効いて、Fの状態は次第に良くなってきて、今後は人工呼吸器の酸素濃度設定を徐々に下げていくということです。
当の主治医も後ろめたかったのか、17日午後になって高カロリー輸液の点滴を指示してくれました。
昨日今日と土日の手薄な態勢でも、看護師さんたちは何度もチェックにきてくれて、心強い限りです。
でも16日の夜は本当につらかったです。ちょうど1年前の1月16日のことを思い出したりして、深夜ベッドに入っても、ほとんど寝られませんでした。
冬至から約1か月過ぎて、今日の日没は5時15分。もう27分も遅くなっています。
まだ大寒ですが、今日は一足早く春を感じながら帰途に就きました。
なんとかこのまま、インフルエンザと肺炎を乗り越えてくれることを祈るばかりです。
ながらくこのブログは放置状態にしていましたが、看護師さんたちの勇気のある応援に力を得て、なんとか更新していこうと思うようになりました。
気まぐれな更新になるかと思いますが、お暇なときに来ていただければありがたいです。
どうかよろしくお願いします。
私の連れ合いのFは、昨年1月16日に、2度目の脳出血で急性期病院に緊急入院し、同年3月に療養型病院に転院して、それ以来現在も同じ病院で療養中です。
15年前に、初めて左脳内出血を発症した時とは違って、今回は右脳で、その出血量も多く、手足はもちろん言葉もまだ出ない状態です(たった一度、急性期病院で痰の吸引時に「痛い!もう!」と言ったと、たまたま居合わせて聞いた看護師さんと言語療法士さんが、後で私に知らせてくれましたが)。
ただ、私の呼びかけはわかるようで、面会に行って声をかけると、顔を向けてじっと見てくれたり、私の姿を眼で追ってくれたり、ベッドサイドに貼った写真や窓の外を指差すと眼を向けて見てくれます。
ICレコーダーに録音した私の話声や彼女の好きな音楽を聞かせると、表情を変えながら良く聞いています。
毎日面会に行って(さすがにあの台風が直撃した日だけは休みましたが)、腕の関節が固まらないように、PTさんやOTさんのマッサージとは別に、私がFの腕や足を持って動かして、そのあと「動かして」と声をかけると、最大20cm程度ですが、一生懸命腕の位置を探るような表情で、ゆっくりと腕を動かしてくれます。ただ毎日ではなく、ほとんど反応してくれないときもあります。
転院してきたとき、病院の相談員から、「痰の吸引程度では入院期間は3か月が限度です」と申し渡されていたのですが、幸か不幸か前の病院にいた時から、脳出血による体温調節機能の障害で体温が乱高下する状態が続いていたので、その対応が必要なことから入院が継続出来ていました。
そのまま越年して、暮れに娘夫婦も帰国してくれて、何度も一緒に見舞ってくれたりして、今後もこの状態が続くのかと思っていたら、偶然にも去年と同じ1月16日、今度はインフルエンザと誤嚥性肺炎を発症。
その数日前からこれまでにない39度の高熱が続いておかしいなと思っていたのですが、16日朝A型インフルエンザ発症と連絡を受けて愕然としました。おまけに肺炎まで併発しているとは。
11月にインフルエンザの予防注射はしていましたが、長期にわたる発熱で体重が極端に落ちていたので抵抗力がなく、すぐ危険な状態になってしまいました。
しかしあろうことか、肝心の病院の主治医は、あわてて詰所に駆け付けた私に対して、「ここは療養型病院なので体制が整わず、これ以上なにもできない」と耳を疑う無責任さ。さらに追い打ちをかけるように、今夜ももたないかもと言い放ちました。
あまりのことに私も怒り心頭、ここで何もできないなら転院させてくれと申し入れました。それで病院の相談員をはじめスタッフが手分けして周辺の病院に問い合わせましたが、最近のインフルエンザの急激な流行で、どこも満床状態で受け入れ不可。
その間もFは血圧が下がり、酸素吸入をしても酸素濃度が低下する一方で、私ももうダメかと絶望的になりました。
でもここからが、この病院の看護師さんたちのすごいところでした。
日ごろから率直に意思疎通ができて、気心も知れている看護師長をはじめ何人もの看護師さんたちが、私と主治医のやり取りを横で聞いていて、私が病室に引き上げた後、医師のあまりの無為無策・無責任な方針(といえるかどうか)に強く抗議してくれたそうです。
彼女たちは、「療養型といっても、やろうと思えばインフルエンザと肺炎なら急性期病院並みのことは出来ます、まず今の酸素マスクではダメで、早く人工呼吸器をつけるなどした上で積極的な対策をすべきです」といろいろ治療方法を提案してくれたそうです。
この事態に病院長も主治医に任せておけないと思ったのか、自らも加わって17日に人工呼吸器の挿管をしてくれ、ようやく安定して酸素が送れるようになりました。
色々な手当てのおかげで、すぐ呼吸数も酸素濃度も安定してきましたが、17日はまだ血圧は低いままでした。
18日にはやっと血圧も上がってきました。
この看護師さんたちの「反乱」の一部始終は、人工呼吸器の装着が終わった日の夕方、一番親しい看護師さんから「実は‥」と聞かされました。思いもよらないことで本当に感動しました。不覚にも思わず涙が出そうになりました。そればかりか、Kさんさえよければ主治医は代えられますよとも言ってくれました。
そのあとも、複数の看護師さんが、病室に来るたびに申し合わせたように「主治医は代えられますよ」と教えてくれ、もちろん即座に交代を申し入れることにしました。
私の意向を確認した看護師さんは、すぐ「私がこれから師長に伝えてきます」と詰所に行ってくれました。まもなく戻ってきた看護師さんは、「師長さんも『もっと早く言ってくれたらよかったのに』と言ってましたよ」と笑顔で教えてくれました。
でもそれは私のセリフですよね。
主治医の変更手続きは、窓口の看護師長から翌18日には病院に伝わり、詰所で主治医とのやり取りを横で聞いて腹を据えかねていた相談員氏も調整に動いてくれて、「この土・日は事務手続きができないので申し訳ないのですが、院長をはじめ法人のトップにも届いています。月曜には正式に決まるので、それまでお待ちください」とこちらが恐縮するほど迅速な対応でした。
現在はインフルエン<ザと肺炎の対症療法が効いて、Fの状態は次第に良くなってきて、今後は人工呼吸器の酸素濃度設定を徐々に下げていくということです。
当の主治医も後ろめたかったのか、17日午後になって高カロリー輸液の点滴を指示してくれました。
昨日今日と土日の手薄な態勢でも、看護師さんたちは何度もチェックにきてくれて、心強い限りです。
でも16日の夜は本当につらかったです。ちょうど1年前の1月16日のことを思い出したりして、深夜ベッドに入っても、ほとんど寝られませんでした。
冬至から約1か月過ぎて、今日の日没は5時15分。もう27分も遅くなっています。
まだ大寒ですが、今日は一足早く春を感じながら帰途に就きました。
なんとかこのまま、インフルエンザと肺炎を乗り越えてくれることを祈るばかりです。
ながらくこのブログは放置状態にしていましたが、看護師さんたちの勇気のある応援に力を得て、なんとか更新していこうと思うようになりました。
気まぐれな更新になるかと思いますが、お暇なときに来ていただければありがたいです。
どうかよろしくお願いします。