先月の話ですが、1枚売りに出した『シャンハイムーン』のチケットは、結局売れずじまいでした。
公演一週間前でも売れる気配はなく、「郵送」では間に合わないタイミングになり、「手渡し」に替えても売れず。
そうなる前から、購入価格を下回る価格設定にしていても売れず。
このドキドキ感、観劇に出かけて、予期しない交通渋滞に巻き込まれて、開演時間に遅れそうなときの絶望感とよく似ています。(笑)
もちろん私より高い価格を維持していた他の方々も「枕を並べて討ち死に」必至(殴)。
買い手が現れたら登録しているメールに通知が来るので、いちいちチェックしなくてもいいのに、つい仲介サイトを見てしまう日々。そして他の人も売れていないのを見てプチ安心したり。(殴)
いつもは入りの良いこまつ座公演でも、主人公が魯迅ということで地味な印象となり敬遠されたのでしょうか。
いよいよ切羽詰まってきて、でも無駄にするのも勿体ないしと、思い余ってイチかバチかで観劇ボランティアを急募。(笑)
2日前なのでまず無理だろうと思いながら、唯一の心当たりに電話したら、なんと快諾の返事!
言ってみるもんですねぇ。散々迷いましたが。
そして当日、貴重な有給休暇を使って、劇場に来てくれました。やさしさが身に沁みました。
で、舞台のほうですが、無理して観て良かったです。
やはり井上ひさし流の味のある脚本、それを十二分に活かす手練れの栗山民也の演出、それにこたえる野村萬斎と共演者の好演で、久々の観劇でしたが、終わってみれば迷わずにスタンディング。(迷う時も多々ありますからね(笑))
ここしばらく病院と自宅の往復に明け暮れていた生活がリフレッシュできました。
私も魯迅が主人公とは、一体どんな展開になるのかと思いながら劇場に向かったのですが、プログラムで魯迅役の野村萬斎が書いているように、「衛星のように登場人物達が魯迅の周囲を回」りながら、極めて人間臭い魯迅とその周辺の人々を紹介する話になっていました。
冒頭の魯迅の手紙を6人の出演者が次々に読む場面は井上ひさしならでは。なぜか「イーハトーボの劇列車」を思い出しました。舞台装置もよく作りこまれていてリアル。
以下、いつもの薄味の感想です。敬称略です。
(画像は当日購入したプログラムから)
野村萬斎は、以前観た「藪原検校」の、酷薄非情な主人公・杉の市とは全く対極になる魯迅を漂々と演じていて新鮮でした。
医学生だったのに大の医者嫌いで、しかも頭痛もちで痔持ちでもあり、右足は神経痛で常に痛んでいたという魯迅を、抑えぬいた演技で人間味豊かに演じていました。
魯迅の相手役・許 広平役の広末涼子ですが、映画でその演技力は知っていたものの、舞台はまた違う演技が求められるので、興味津々でした。
でもベテランぞろいの共演者に伍して、セリフもしっかりしていて、感心しました。女性運動家で知的な広平が、時折魯迅の最初の妻・朱安に抱いている複雑な心情を見せたりする場面は丁寧な演技で、見ごたえがありました。
ただ、けっこうコロコロした舞台姿(殴)で、私はてっきり細身の体型だとずっと思い込んでいたので、意外でした。
内山書店の店主内山完造の妻・みき役は鷲尾真知子。
こまつ座の作品は彼女に合いそうな役が多いと思うのですが、初めての出演ということでこれもちょっと意外。
プログラムで彼女自身が書いているように、下町の、下宿の世話好きなおばさん的な役で、辻萬長演じる内山完造との息もぴったり合っていて、人情味あふれる夫婦でした。客の顔を見るとまめまめしくお茶を入れる姿が印象に残りました。(ただ少しセリフが滑ったところもありましたが)
でも、この人の夫が故・中嶋しゅうだったとは知りませんでしたね。まだまだ知らないことが多いです。
土屋佑壱は歯医者の奥田愛三役です。
この人、2015年に観た「國語元年」では「土屋佑一」でしたが、その時はあまり印象がなく(殴)、今回プログラムを読んで出ていたことがわかったのですが、今回はバッチリ。
洋行帰りでけっこうアグレッシブでキザな歯医者だが、複雑な過去も抱えているという、おいしい役です。
この歯医者と好対照なのが、山崎一が演じる須藤五百三。
苦労人の町医者で、内山夫婦とともに献身的に魯迅を支えています。役にぴったりのキャラクタで、のびのびと演じていて、味わい深い人物になっていました。「太鼓たたいて笛吹いて」の加賀四郎や「組曲虐殺」の特高刑事でも独特の存在感があって印象に残りました。後半でこの人が、
「日本人にもいろいろいる。中国人にもいろいろいる。日本人は、とか、中国人は、とか、ものごとをすべて一般化して見る見方には賛成できんぞ」というセリフがこの作品のすべてを象徴していました。今の世相に最もふさわしい言葉です。
そして内山完造を演じた辻萬長。
初演では須藤役で、井上ひさしが当て書きしたとのことですが、今回の内山完造もぴったりで、魯迅の人となりと作品にぞっこん惚れ込んでいる愛すべき人物を自然体で演じていました。書店の店主として魯迅に対してもいろいろ思うところがあるけれど、それは内に秘めて、とにかくひたすら尽くすという好人物で、登場するだけで場が和らぎました。
この人はこまつ座の多くの作品でお目にかかりましたが、私的には「イーハトーボの劇列車」の賢治の父親役と思想警察の刑事の二役がすごいインパクトでした。
ということで、久しぶりの観劇でしたが、病院通いの毎日とは全く違う世界が見られてよかったです。
次の観劇は新国立劇場の演劇公演「1984」です。これはFが観劇するのはまだ無理ですが、なんとか私だけでも観ようとチケットを処分せず。
そしてタカラヅカは、残念ながらチケットの先行販売の方法が変わって取れなくなり、観劇の予定はありません。(泣)
でも、Fの観たがっていた、兵庫芸文センターでの「大人のけんかが終わるまで」は、チケット先行販売のメールが来たので、なんとかFが車椅子で観劇できればと、リハの目標設定のつもりで先日購入しました。
最前列の席なので、車椅子に乗れるようになったらなんとか観劇できるでしょう。
チケットをゲットしてから、Fにそれを伝え、パンフレットも見せたら、じっと見てくれました。
それ以降、Fに頑張ろうねとずっと話しかけています。
もしその時点でまだ行ける状態になっていなかったとしても、私だけでも観て感想を報告しようと思います。
公演一週間前でも売れる気配はなく、「郵送」では間に合わないタイミングになり、「手渡し」に替えても売れず。
そうなる前から、購入価格を下回る価格設定にしていても売れず。
このドキドキ感、観劇に出かけて、予期しない交通渋滞に巻き込まれて、開演時間に遅れそうなときの絶望感とよく似ています。(笑)
もちろん私より高い価格を維持していた他の方々も「枕を並べて討ち死に」必至(殴)。
買い手が現れたら登録しているメールに通知が来るので、いちいちチェックしなくてもいいのに、つい仲介サイトを見てしまう日々。そして他の人も売れていないのを見てプチ安心したり。(殴)
いつもは入りの良いこまつ座公演でも、主人公が魯迅ということで地味な印象となり敬遠されたのでしょうか。
いよいよ切羽詰まってきて、でも無駄にするのも勿体ないしと、思い余ってイチかバチかで観劇ボランティアを急募。(笑)
2日前なのでまず無理だろうと思いながら、唯一の心当たりに電話したら、なんと快諾の返事!
言ってみるもんですねぇ。散々迷いましたが。
そして当日、貴重な有給休暇を使って、劇場に来てくれました。やさしさが身に沁みました。
で、舞台のほうですが、無理して観て良かったです。
やはり井上ひさし流の味のある脚本、それを十二分に活かす手練れの栗山民也の演出、それにこたえる野村萬斎と共演者の好演で、久々の観劇でしたが、終わってみれば迷わずにスタンディング。(迷う時も多々ありますからね(笑))
ここしばらく病院と自宅の往復に明け暮れていた生活がリフレッシュできました。
私も魯迅が主人公とは、一体どんな展開になるのかと思いながら劇場に向かったのですが、プログラムで魯迅役の野村萬斎が書いているように、「衛星のように登場人物達が魯迅の周囲を回」りながら、極めて人間臭い魯迅とその周辺の人々を紹介する話になっていました。
冒頭の魯迅の手紙を6人の出演者が次々に読む場面は井上ひさしならでは。なぜか「イーハトーボの劇列車」を思い出しました。舞台装置もよく作りこまれていてリアル。
以下、いつもの薄味の感想です。敬称略です。
(画像は当日購入したプログラムから)
野村萬斎は、以前観た「藪原検校」の、酷薄非情な主人公・杉の市とは全く対極になる魯迅を漂々と演じていて新鮮でした。
医学生だったのに大の医者嫌いで、しかも頭痛もちで痔持ちでもあり、右足は神経痛で常に痛んでいたという魯迅を、抑えぬいた演技で人間味豊かに演じていました。
魯迅の相手役・許 広平役の広末涼子ですが、映画でその演技力は知っていたものの、舞台はまた違う演技が求められるので、興味津々でした。
でもベテランぞろいの共演者に伍して、セリフもしっかりしていて、感心しました。女性運動家で知的な広平が、時折魯迅の最初の妻・朱安に抱いている複雑な心情を見せたりする場面は丁寧な演技で、見ごたえがありました。
ただ、けっこうコロコロした舞台姿(殴)で、私はてっきり細身の体型だとずっと思い込んでいたので、意外でした。
内山書店の店主内山完造の妻・みき役は鷲尾真知子。
こまつ座の作品は彼女に合いそうな役が多いと思うのですが、初めての出演ということでこれもちょっと意外。
プログラムで彼女自身が書いているように、下町の、下宿の世話好きなおばさん的な役で、辻萬長演じる内山完造との息もぴったり合っていて、人情味あふれる夫婦でした。客の顔を見るとまめまめしくお茶を入れる姿が印象に残りました。(ただ少しセリフが滑ったところもありましたが)
でも、この人の夫が故・中嶋しゅうだったとは知りませんでしたね。まだまだ知らないことが多いです。
土屋佑壱は歯医者の奥田愛三役です。
この人、2015年に観た「國語元年」では「土屋佑一」でしたが、その時はあまり印象がなく(殴)、今回プログラムを読んで出ていたことがわかったのですが、今回はバッチリ。
洋行帰りでけっこうアグレッシブでキザな歯医者だが、複雑な過去も抱えているという、おいしい役です。
この歯医者と好対照なのが、山崎一が演じる須藤五百三。
苦労人の町医者で、内山夫婦とともに献身的に魯迅を支えています。役にぴったりのキャラクタで、のびのびと演じていて、味わい深い人物になっていました。「太鼓たたいて笛吹いて」の加賀四郎や「組曲虐殺」の特高刑事でも独特の存在感があって印象に残りました。後半でこの人が、
「日本人にもいろいろいる。中国人にもいろいろいる。日本人は、とか、中国人は、とか、ものごとをすべて一般化して見る見方には賛成できんぞ」というセリフがこの作品のすべてを象徴していました。今の世相に最もふさわしい言葉です。
そして内山完造を演じた辻萬長。
初演では須藤役で、井上ひさしが当て書きしたとのことですが、今回の内山完造もぴったりで、魯迅の人となりと作品にぞっこん惚れ込んでいる愛すべき人物を自然体で演じていました。書店の店主として魯迅に対してもいろいろ思うところがあるけれど、それは内に秘めて、とにかくひたすら尽くすという好人物で、登場するだけで場が和らぎました。
この人はこまつ座の多くの作品でお目にかかりましたが、私的には「イーハトーボの劇列車」の賢治の父親役と思想警察の刑事の二役がすごいインパクトでした。
ということで、久しぶりの観劇でしたが、病院通いの毎日とは全く違う世界が見られてよかったです。
次の観劇は新国立劇場の演劇公演「1984」です。これはFが観劇するのはまだ無理ですが、なんとか私だけでも観ようとチケットを処分せず。
そしてタカラヅカは、残念ながらチケットの先行販売の方法が変わって取れなくなり、観劇の予定はありません。(泣)
でも、Fの観たがっていた、兵庫芸文センターでの「大人のけんかが終わるまで」は、チケット先行販売のメールが来たので、なんとかFが車椅子で観劇できればと、リハの目標設定のつもりで先日購入しました。
最前列の席なので、車椅子に乗れるようになったらなんとか観劇できるでしょう。
チケットをゲットしてから、Fにそれを伝え、パンフレットも見せたら、じっと見てくれました。
それ以降、Fに頑張ろうねとずっと話しかけています。
もしその時点でまだ行ける状態になっていなかったとしても、私だけでも観て感想を報告しようと思います。