4月9日に、兵庫芸文センター・阪急中ホールで、新国立劇場主催で鄭義信(チョン・ウィシン)氏脚本による「焼肉ドラゴン」を観てきました。
この作品は、4月29日に同じ劇場で観た「たとえば野に咲く花のように」と、6月に観劇予定の「パーマ屋スミレ」とともに新国立劇場 演劇2015/2016シーズンの鄭義信 三部作公演を構成する作品です。
ただ、これまで私は鄭義信さんの舞台は一度しか見たことがなく、その作品「しゃばけ」が超しつこいギャグの演出と、主演の役者の不出来で、面白かったもののあまりいい印象ではなかったので、題材には魅力を感じても(三作一度に購入すると割引も大きかったし(殴))、あまり期待せずにチケットをゲット。
でも、実際に「焼肉ドラゴン」を観てもう目からウロコ状態、現金なもので続く29日の「たとえば野に咲く花のように」は一変して期待にワクワクしながら劇場に向かいました。
本当にこの二作、題材こそ違ってもいずれも極上の舞台で、芝居の面白さが凝縮された濃密な脚本でした。しみじみ、チケットを買ってよかったと思いましたね。見逃していたら、残り少ない私の人生に大きな禍根を残すところでした(笑)。
ということで、まだあと一作残っていますが、今回はまず三部作VOL.1「焼肉ドラゴン」の感想から。ネタバレありなのでご注意を。
結論から言うと、この作品、重いテーマながらも、随所に笑いがちりばめられて、在日コリアン版「三丁目の夕日」の懐かしさと、「屋根の上のバイオリン弾き」の悲哀も感じさせてくれる味わい深いものでした。
まだ「パーマ屋スミレ」が残っていますが、とりあえず今年の芸術大賞演劇部門の最優秀賞有力候補間違いなしです。何の賞かって?
言わずと知れた「思いつくまま芸術大賞」(殴)!!。
(っていいながら、このところ2年ばかりトンと結果発表していませんね。m(__)m)
まず始まりがユニーク。
開場とともに客席にいくと、もう舞台上では芝居が始まっていました。
超リアルな焼肉店の店先では、七輪からホルモンの煙が立ち登り、アコーディオンを弾く客と、それに合わせて歌い踊る数人の客。焼肉の煙は客席まで漂ってきます。
舞台のセットは本当に細部までリアルで、店の換気扇は油煙に汚れ、店内に貼られたポスター類もレトロ。店の前の一本の水道栓からはちゃんと水が出て、一家の母親が米を研ぐ場面では、釜の中に米が入っていたり、飲んでいる酒は白濁したドブロクだったり。細かくチェックするのも楽しかったりします。随所に出てくる流行歌や人気CM、当時の事件なども雰囲気を出していました。
物語は、大阪万博開幕直前の伊丹空港脇の在日コリアンの町で、太平洋戦争で左腕を失った店主・金龍吉が経営する焼肉店を舞台に、彼と先妻との間に生まれた二人の娘と後妻・英順、その連れ子の娘、そして、英順との間に授かった一人息子という一家をめぐる話です。
その一家と住民たちの、泣いたり・笑ったり・罵り合ったりの日常を描きながら、やがて押し寄せてきた時代の波に流されて、それぞれが別々の人生を歩みだすという話です。
ちなみに、頻繁に頭上を飛び過ぎる旅客機の爆音がリアルです。爆音からすると飛行機はダグラスDC-6で、Pratt & Whitneyのダブルワスプでしょうか(殴)。
そんな市井の片隅に生きる人々の生活を通して、
「日本人と在日だけでなく在日と韓国人、韓国人と日本人、さらには韓国内でも済州島が経験した独自の悲劇(注:済州島四・三事件)」(公演プログラムより)
という差別の構造が見えてきます。このあたりの描き方が本当に見事でした。
この舞台は、みんなが主人公です。
最初のうちは長男・金時生(大窪人衛)が狂言回しのような扱いだったので、彼が主人公かなと思っていましたが、後で触れますが途中であっけなく死んでしまったのでそうでないことがわかります。
結局、後の「たとえば野に咲く花のように」でも同様でしたが、登場する人物全員がしっかり存在感があり、それぞれの人生の主人公になっていて、役の大小にかかわらず、俳優にとってやりがいがある舞台だったと思います。
というところで、各俳優ごとの感想です。
いつものとおり敬称略。画像は当日購入したプログラムから。
まず次女・金梨花役の中村ゆり。初めてお眼にかかりましたが、いい役者さんですね。全然知らなかったのでちょっとWikiって(笑)みたら、多彩な経歴でビックリ。
細身ながら存在感のある演技だったのが納得できました。
芝居の冒頭、店内には梨花と清本(李)哲男(高橋 努)の結婚を祝う装飾があります。でも、結婚届を市役所に出しに行った哲男の態度を巡って二人が口論となり、結局届は出さないまま。
やがて結婚そのものがワケありなのが見えてきます。このあたりの中村ゆりの演技が自然でうまかったです。
哲男は大卒ですがどこにも就職できずブラブラしています。この哲男が時々生硬な演説をするのでちよっと気になりましたが、これも哲男の人となりを示すセリフだったことがやがてわかってきました。
この場面で私は、この舞台の設定とほぼ同時期に、在日コリアンの知人が大学を出たものの全く就職できなかったことを切実に思い出しました。
その梨花と、姉・静花(馬渕英里何)は哲男を巡って過去に複雑な経緯があることもわかってきます。この静花がこれまたリアルなたたずまいです。
長女として店を切り盛りして苦労する細身の姿が痛々しく見えましたが、でも決してか弱い女性ではなく、芯の強さも見えてきます。引きずる足が痛々しいです。
そういえば今回観た鄭義信作品は、共通して女がみんな強い(笑)。
それにくらべたら、店主で父親の金龍吉(韓国の俳優ハ・ソングァン)をはじめ男どもはみんな影が薄い(笑)。観ながら、昔の私の見聞きした経験でも同様だったと思い出しました。本当にいろんなことが浮かんできた芝居でした。
でも第二次大戦で日本軍の憲兵だったときに左手を失って(脚本家の父の実話とのこと)、しかし韓国の独立で何の補償も受けられなくなって、日本各地を転々としながら一家の生活を支えてきた龍吉は決してその苦難を語りませんが、むしろその寡黙さで過酷な人生さがしのばれて、胸に刺さってきます。
その妻・高英順を演じたのはナム・ミジョン。(プログラムでは42歳とのことですが、舞台では見事に老けていました。)肝っ玉母さんで、生活感にあふれた存在です。
役の上では戦後韓国から三女の美花を連れて来日した設定で、その美花役もチョン・ヘソンという韓国の俳優さんです。
美花は現代っ子(死語です)で、姉たちとは違ってアッケラカンとしているのが面白い。
そして静花の婚約者・尹大樹役のキム・ウヌと、常連客の親戚・呉日白役のユウ・ヨンヤクも韓国の俳優さんでした。でもいずれも全く自然にカンパニーに溶け込んでいて、言われなかったら気づかないほど。
彼らの台詞は舞台両サイドに字幕で表示されていましたが、これがまたリアルで効果的でした。
とくにキム・ウヌがとぼけた味の演技でよかったです。
途中、静花を巡って、哲男VS大樹の恋敵同士でマッコリの呑み合戦を始める場面は、鄭義信演出の真骨頂で笑わせてくれます。
でも同じ劇中で、尹大樹の会話を耳にした高英順が、
「あれは済州島の言葉ではないね」というところが、「済州島四・三事件」を暗示して胸を打ちました。こうした脚本のディテールが、当時の時代背景をよく描き出していました。
最初は、姉たちのドロドロした人間関係とは別に、それと並行するように弟・時生(大窪人衛が好演)が描かれているので、彼が主人公になのかと思って観ていました。
実際彼には一家の夢が託されていました。両親は苦しい生計をやりくりして、彼を有名私立に入れます。しかし現実はあくまでも非情で、彼は校内のイジメにあって不登校となり、留年の末、過大な両親の期待に耐え切れず、屋根から飛び降りて自殺。このあたりの、両親の空しい努力と、あっけない結末が悲しいです。
話は、長女が夫とともに朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)へ渡り、次女は韓国へ、そして三女は日本人(大沢健演じるクラブの支配人・長谷川豊)と結婚するところで終わります。このあたりの父親の姿は、「屋根の上のバイオリン弾き」を彷彿とさせてくれます。
大沢健の長谷川豊は見るからに頼りなくいい加減な男で、歌手志望の三女をもてあそぶ嫌な奴と思っていたら、これが意外にいい人。(笑)
その妻役のあめくみちこもうまい俳優さんでした。二役の妹もコミカルで、いかにもな市の職員ぶりがよかった。
この市職員は、店が国有地を不法占拠しているから、立ち退くように通告に来たのだが、ここで初めて龍吉は、「ここは俺が買った土地だ!土地を奪うなら、戦争でなくした俺の腕を帰せ、息子を帰せ」と怒りを露わにします。
しかしそんな声も無視され、強制収用で店内の什器や家財道具はすべて運び出されてしまいます。そして最後は、解体・整地を待つばかりの店から子供たちが旅立って行き、龍吉がリヤカーに体の不自由な妻と家財道具を載せて立ち去るところで終わりました。
でも、話の終わりはまた、それぞれの登場人物にとって新たな物語の始まりでもあります。
リヤカーとともに旅立った老夫婦のその後の人生はどうなったでしょうか。
北朝鮮に渡った長女夫婦には「王道楽土」が待っていたでしょうか。
韓国に行った次女夫婦も、在日コリアンというハンディのもとで、「漢江の奇跡」を享受するにはまだ長い時間が必要だったでしよう。
日本人と結婚した三女も、決して平坦な人生とはいかなかったでしょう。
本当にいろいろな思いが掻き立てられる、余韻のある舞台でした。
観終えてカーテンコールとなって、もちろん客席は全員スタンディングオベーション。
客席はいつもの芸文センターとは違って年配の在日コリアンらしい人々も多く、みんな流れる涙を拭おうともせずに拍手を送り続けている姿が印象的でした。
彼らの拍手はまた、舞台に象徴された同時代の自分自身と、同胞たちへの拍手でもあったでしょう。
本当に観られて良かったです。
脚本演出の鄭義信さんがプログラムで述べていた、
「この三本の作品を通して、在日コリアンというものに対しての、なぜ日本で生きているのか、なぜ日本で生活をしているのかを垣間見ていただければと思っています。(略)」
という制作への思いがよくわかる作品でした。その意味では、日本人こそ観なければならない作品だと思いました。
余談ですが、プログラムに掲載されていた金時鐘さんの「済州島四・三事件」についての解説で、初めてこの悲劇を知ることができました。歴史に無知なのが恥ずかしいです。
しかし、最近の新国立劇場の企画には敬意を表したいです(もちろん兵庫芸文センターにも)。
前に観た「パッション」も本当に素晴らしい舞台だったし。微力ながら応援したくなりました。なによりチケットも大バーゲンといっていいほどリーズナブルだったし(殴)。
さて次は「ときには野に咲く花のように」の感想です。
そのあと「アルカディア」も観たし、その後には「グランドホテル」も観ましたが、書くことは多いのになにせ筆が進まない!
つくづく私の脳内リソースの貧しさを痛感します。
この作品は、4月29日に同じ劇場で観た「たとえば野に咲く花のように」と、6月に観劇予定の「パーマ屋スミレ」とともに新国立劇場 演劇2015/2016シーズンの鄭義信 三部作公演を構成する作品です。
ただ、これまで私は鄭義信さんの舞台は一度しか見たことがなく、その作品「しゃばけ」が超しつこいギャグの演出と、主演の役者の不出来で、面白かったもののあまりいい印象ではなかったので、題材には魅力を感じても(三作一度に購入すると割引も大きかったし(殴))、あまり期待せずにチケットをゲット。
でも、実際に「焼肉ドラゴン」を観てもう目からウロコ状態、現金なもので続く29日の「たとえば野に咲く花のように」は一変して期待にワクワクしながら劇場に向かいました。
本当にこの二作、題材こそ違ってもいずれも極上の舞台で、芝居の面白さが凝縮された濃密な脚本でした。しみじみ、チケットを買ってよかったと思いましたね。見逃していたら、残り少ない私の人生に大きな禍根を残すところでした(笑)。
ということで、まだあと一作残っていますが、今回はまず三部作VOL.1「焼肉ドラゴン」の感想から。ネタバレありなのでご注意を。
結論から言うと、この作品、重いテーマながらも、随所に笑いがちりばめられて、在日コリアン版「三丁目の夕日」の懐かしさと、「屋根の上のバイオリン弾き」の悲哀も感じさせてくれる味わい深いものでした。
まだ「パーマ屋スミレ」が残っていますが、とりあえず今年の芸術大賞演劇部門の最優秀賞有力候補間違いなしです。何の賞かって?
言わずと知れた「思いつくまま芸術大賞」(殴)!!。
(っていいながら、このところ2年ばかりトンと結果発表していませんね。m(__)m)
まず始まりがユニーク。
開場とともに客席にいくと、もう舞台上では芝居が始まっていました。
超リアルな焼肉店の店先では、七輪からホルモンの煙が立ち登り、アコーディオンを弾く客と、それに合わせて歌い踊る数人の客。焼肉の煙は客席まで漂ってきます。
舞台のセットは本当に細部までリアルで、店の換気扇は油煙に汚れ、店内に貼られたポスター類もレトロ。店の前の一本の水道栓からはちゃんと水が出て、一家の母親が米を研ぐ場面では、釜の中に米が入っていたり、飲んでいる酒は白濁したドブロクだったり。細かくチェックするのも楽しかったりします。随所に出てくる流行歌や人気CM、当時の事件なども雰囲気を出していました。
物語は、大阪万博開幕直前の伊丹空港脇の在日コリアンの町で、太平洋戦争で左腕を失った店主・金龍吉が経営する焼肉店を舞台に、彼と先妻との間に生まれた二人の娘と後妻・英順、その連れ子の娘、そして、英順との間に授かった一人息子という一家をめぐる話です。
その一家と住民たちの、泣いたり・笑ったり・罵り合ったりの日常を描きながら、やがて押し寄せてきた時代の波に流されて、それぞれが別々の人生を歩みだすという話です。
ちなみに、頻繁に頭上を飛び過ぎる旅客機の爆音がリアルです。爆音からすると飛行機はダグラスDC-6で、Pratt & Whitneyのダブルワスプでしょうか(殴)。
そんな市井の片隅に生きる人々の生活を通して、
「日本人と在日だけでなく在日と韓国人、韓国人と日本人、さらには韓国内でも済州島が経験した独自の悲劇(注:済州島四・三事件)」(公演プログラムより)
という差別の構造が見えてきます。このあたりの描き方が本当に見事でした。
この舞台は、みんなが主人公です。
最初のうちは長男・金時生(大窪人衛)が狂言回しのような扱いだったので、彼が主人公かなと思っていましたが、後で触れますが途中であっけなく死んでしまったのでそうでないことがわかります。
結局、後の「たとえば野に咲く花のように」でも同様でしたが、登場する人物全員がしっかり存在感があり、それぞれの人生の主人公になっていて、役の大小にかかわらず、俳優にとってやりがいがある舞台だったと思います。
というところで、各俳優ごとの感想です。
いつものとおり敬称略。画像は当日購入したプログラムから。
まず次女・金梨花役の中村ゆり。初めてお眼にかかりましたが、いい役者さんですね。全然知らなかったのでちょっとWikiって(笑)みたら、多彩な経歴でビックリ。
細身ながら存在感のある演技だったのが納得できました。
芝居の冒頭、店内には梨花と清本(李)哲男(高橋 努)の結婚を祝う装飾があります。でも、結婚届を市役所に出しに行った哲男の態度を巡って二人が口論となり、結局届は出さないまま。
やがて結婚そのものがワケありなのが見えてきます。このあたりの中村ゆりの演技が自然でうまかったです。
哲男は大卒ですがどこにも就職できずブラブラしています。この哲男が時々生硬な演説をするのでちよっと気になりましたが、これも哲男の人となりを示すセリフだったことがやがてわかってきました。
この場面で私は、この舞台の設定とほぼ同時期に、在日コリアンの知人が大学を出たものの全く就職できなかったことを切実に思い出しました。
その梨花と、姉・静花(馬渕英里何)は哲男を巡って過去に複雑な経緯があることもわかってきます。この静花がこれまたリアルなたたずまいです。
長女として店を切り盛りして苦労する細身の姿が痛々しく見えましたが、でも決してか弱い女性ではなく、芯の強さも見えてきます。引きずる足が痛々しいです。
そういえば今回観た鄭義信作品は、共通して女がみんな強い(笑)。
それにくらべたら、店主で父親の金龍吉(韓国の俳優ハ・ソングァン)をはじめ男どもはみんな影が薄い(笑)。観ながら、昔の私の見聞きした経験でも同様だったと思い出しました。本当にいろんなことが浮かんできた芝居でした。
でも第二次大戦で日本軍の憲兵だったときに左手を失って(脚本家の父の実話とのこと)、しかし韓国の独立で何の補償も受けられなくなって、日本各地を転々としながら一家の生活を支えてきた龍吉は決してその苦難を語りませんが、むしろその寡黙さで過酷な人生さがしのばれて、胸に刺さってきます。
その妻・高英順を演じたのはナム・ミジョン。(プログラムでは42歳とのことですが、舞台では見事に老けていました。)肝っ玉母さんで、生活感にあふれた存在です。
役の上では戦後韓国から三女の美花を連れて来日した設定で、その美花役もチョン・ヘソンという韓国の俳優さんです。
美花は現代っ子(死語です)で、姉たちとは違ってアッケラカンとしているのが面白い。
そして静花の婚約者・尹大樹役のキム・ウヌと、常連客の親戚・呉日白役のユウ・ヨンヤクも韓国の俳優さんでした。でもいずれも全く自然にカンパニーに溶け込んでいて、言われなかったら気づかないほど。
彼らの台詞は舞台両サイドに字幕で表示されていましたが、これがまたリアルで効果的でした。
とくにキム・ウヌがとぼけた味の演技でよかったです。
途中、静花を巡って、哲男VS大樹の恋敵同士でマッコリの呑み合戦を始める場面は、鄭義信演出の真骨頂で笑わせてくれます。
でも同じ劇中で、尹大樹の会話を耳にした高英順が、
「あれは済州島の言葉ではないね」というところが、「済州島四・三事件」を暗示して胸を打ちました。こうした脚本のディテールが、当時の時代背景をよく描き出していました。
最初は、姉たちのドロドロした人間関係とは別に、それと並行するように弟・時生(大窪人衛が好演)が描かれているので、彼が主人公になのかと思って観ていました。
実際彼には一家の夢が託されていました。両親は苦しい生計をやりくりして、彼を有名私立に入れます。しかし現実はあくまでも非情で、彼は校内のイジメにあって不登校となり、留年の末、過大な両親の期待に耐え切れず、屋根から飛び降りて自殺。このあたりの、両親の空しい努力と、あっけない結末が悲しいです。
話は、長女が夫とともに朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)へ渡り、次女は韓国へ、そして三女は日本人(大沢健演じるクラブの支配人・長谷川豊)と結婚するところで終わります。このあたりの父親の姿は、「屋根の上のバイオリン弾き」を彷彿とさせてくれます。
大沢健の長谷川豊は見るからに頼りなくいい加減な男で、歌手志望の三女をもてあそぶ嫌な奴と思っていたら、これが意外にいい人。(笑)
その妻役のあめくみちこもうまい俳優さんでした。二役の妹もコミカルで、いかにもな市の職員ぶりがよかった。
この市職員は、店が国有地を不法占拠しているから、立ち退くように通告に来たのだが、ここで初めて龍吉は、「ここは俺が買った土地だ!土地を奪うなら、戦争でなくした俺の腕を帰せ、息子を帰せ」と怒りを露わにします。
しかしそんな声も無視され、強制収用で店内の什器や家財道具はすべて運び出されてしまいます。そして最後は、解体・整地を待つばかりの店から子供たちが旅立って行き、龍吉がリヤカーに体の不自由な妻と家財道具を載せて立ち去るところで終わりました。
でも、話の終わりはまた、それぞれの登場人物にとって新たな物語の始まりでもあります。
リヤカーとともに旅立った老夫婦のその後の人生はどうなったでしょうか。
北朝鮮に渡った長女夫婦には「王道楽土」が待っていたでしょうか。
韓国に行った次女夫婦も、在日コリアンというハンディのもとで、「漢江の奇跡」を享受するにはまだ長い時間が必要だったでしよう。
日本人と結婚した三女も、決して平坦な人生とはいかなかったでしょう。
本当にいろいろな思いが掻き立てられる、余韻のある舞台でした。
観終えてカーテンコールとなって、もちろん客席は全員スタンディングオベーション。
客席はいつもの芸文センターとは違って年配の在日コリアンらしい人々も多く、みんな流れる涙を拭おうともせずに拍手を送り続けている姿が印象的でした。
彼らの拍手はまた、舞台に象徴された同時代の自分自身と、同胞たちへの拍手でもあったでしょう。
本当に観られて良かったです。
脚本演出の鄭義信さんがプログラムで述べていた、
「この三本の作品を通して、在日コリアンというものに対しての、なぜ日本で生きているのか、なぜ日本で生活をしているのかを垣間見ていただければと思っています。(略)」
という制作への思いがよくわかる作品でした。その意味では、日本人こそ観なければならない作品だと思いました。
余談ですが、プログラムに掲載されていた金時鐘さんの「済州島四・三事件」についての解説で、初めてこの悲劇を知ることができました。歴史に無知なのが恥ずかしいです。
しかし、最近の新国立劇場の企画には敬意を表したいです(もちろん兵庫芸文センターにも)。
前に観た「パッション」も本当に素晴らしい舞台だったし。微力ながら応援したくなりました。なによりチケットも大バーゲンといっていいほどリーズナブルだったし(殴)。
さて次は「ときには野に咲く花のように」の感想です。
そのあと「アルカディア」も観たし、その後には「グランドホテル」も観ましたが、書くことは多いのになにせ筆が進まない!
つくづく私の脳内リソースの貧しさを痛感します。