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車椅子であべのハルカス美術館・デュフィ展へ

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先日、あべのハルカス美術館での『デュフィ』展に行ってきました。

今回はいつもと違い、車椅子で電車に乗って出かけることにしました。電車でのお出かけは彼女が10年前に倒れて以来初めてです。
といっても数年前に、一度リハビリで二人で隣の駅まで電車に往復乗ったことがありますが、これは短時間の杖歩行で、往復しただけでした。車椅子で目的を持って出かけるのは今回が初めてです。

出かけたのは8月24日でした。
もともとデュフィ展については、開催を知って以来ずっとヨメさんが行きたそうにしていました。でも私はハルカス周辺の道路事情がゴチャゴチャしているので余り気が進みませんでした。
でも本当に行きたそうなので、JRで行くことに挑戦することにしました。

でも、これがなかなか簡単ではありません。

自宅から駅まで健康な人なら7・8分で行ける距離ですが、結構急傾斜の坂道なので車椅子での往復は無理です。
なので駅までまず車でヨメさんと車椅子を運び、私が車を家に置きに帰って(駅周辺にはタイムズなどもないので)、ふたたび徒歩で駅に行くということになります。
でも炎天下の歩道でヨメさんが私を待つのも大変だし、私も坂道を走るのは老体にこたえます。(笑)

それで、究極のズボラですが(笑)、私が車を置きに帰ってから原付に乗り換えて駅まで戻り、駐輪場に預けることにしました。料金は1日250円とリーズナブル。
うまく障害者の乗り降りするスペースが駅前広場にあったので、そこで車椅子とヨメさんを降ろしてすぐ自宅のガレージに戻り、Di0で駅横の駐輪場へ。この間5分もかかりませんでした。

そして車椅子を押して駅のエレベーターで改札口まで上がって切符を買い、また下がって地上のホームへ。でもこれ、かなり無駄な動きに感じますね。
というのは、以前エレベーターができるまでは、駅のインターホンで駅員さんを呼んでホームに入れてもらい、同時に乗車証明書を受け取って、それを目的地の駅の改札で見せて精算するというやり方でした。こちらのほうがよほど合理的だと思うのですが、それでは駅員が一時不在となるので、現在のように変えたのでしょうね。

切符は、本人と付添い1名が半額となるので、駅員さんの指示で小人用を2枚購入。

スムーズに事が運んだので、予定より1便早い電車に乗れました。
それと予想していたよりホームと電車との段差が小さかったので、車椅子の前を少し上げるだけで楽に乗り込めました。降りるときはバックで。
ヨメさんは久しぶりの車窓からの景色を喜んで見入っていました。

でも今回は天王寺についてからがややこしいことになっていました。まずホームのエレベーターで跨線橋に上がり、ぐるっと9番ホームに回って中央口を出て、駅構内のエレベーターで地下鉄御堂筋線の改札口方向へ。そしてまたエレベーターで地上に上がり、ハルカス前の歩道を左に進んで、ようやく美術館専用のエレベーターに乗るという経路です。
美術館はハルカス内の施設ですが、一般のハルカスのエレベーターでは行けないので、こんなややこしい手順になります。初めてなので各エレベーターの位置が分からずウロウロしました。

ようやく16階の美術館に着いて、切符売場へ。手帳を見せたら半額にしてくれました。

美術館入り口にはすでに結構な人の列ができていました。10分ほど待って定刻となり中に。

今回の展覧会はフランス人の画家ラウル・デュフィの回顧展です。


といっても、デュフィとはどんな画家か、全く知らなかったです。名前は聞いたことがあるかな程度。(笑)
開館直後なので入口周辺はたくさんの人で混み合っていました。

画家の初期の展示作品はそれほど特色のある画風ではなく、普通の油絵です。いろんな画家の影響でコロコロ変わっています。
でもだんだん個性が出てきて、最後は独自のスタイルを作り上げていきます。

でもこの画家は、生涯を通してわかりやすい画業ですね。とくに後半になると色彩も明るく、軽快なタッチで、富豪に依頼されて描いた肖像画ですらデザイン画みたいな感じです。野獣派に分類されるということですが、やさしい野獣ですね。(笑)

余談ですが、少し以前に見たフランス映画『ル・アーブルの靴みがき』の舞台ル・アーブルの港が、今回展示されていた多くの作品に描かれていて興味深かったです。画家の生誕の地とか。

展示は4章に分かれていました。
第1章は「1900-1910年代 −造形的革新のただなかで」というテーマで、ラウル・デュフィが独自の画風を模索する過程の作品が展示されています。上に書いたように、いろいろな画家の影響が観てとれて興味深い展示でした。
初期の作品「マルティーグ」(1903年制作)です↓ 



第2章は「木版画とテキスタイル・デザイン」。
挿絵に使われた木版画や布地の柄、クロッキーが展示されていました。多才です。生活の糧を得るためでもあったのでしょうが。
木版画「ダンス」(1914年制作)です↓


第3章は「1920−1930年代−様式の確立から装飾壁画の製作へ」
この時期になって画家は自分の進む道がはっきりしたのでしょうね。以降の作品に共通する明るい色彩の絵になっていきます。
でもデュフィは画家というよりイラストレーターといったほうがシックリしますね。(笑)
展示としては最も充実した見所の多いコーナーでした。

「サン=タドレスの大きな浴女」(1924年制作)


風景画の建物などは軽いタッチで描かれていますが、人物デッサンが正確なことが印象的でした。
「突堤ニースの散歩道」(1926年頃)


「イェールの広場」(1927年制作)


「馬に乗ったケスラー一家」(1932年制作)家族の肖像画ですが、全員体格にあった馬に乗っているところがユニーク(笑)↓


「パリのパノラマ」(1924-1933年制作)まるで横尾忠則です。(笑)


「ゲルマ袋小路のアトリエ」(1935年制作)


「アンフィトリテ(海の女神)」(1936年制作)大きな浴女と共通するモチーフです。



この時期の集大成というべき作品が、パリ電気供給会社の社長の依頼で、パリ万国博覧会電気館の装飾壁画として描かれた「電気の精」です。残念ながら画像はありません。ぜひ会場でご覧ください。電気にちなんだ歴史上の人物が描かれているので面白いです。
それと画面からあふれる楽天的な技術至上主義が、この時代の一面をあらわしていますね。
この頃に多発性関節炎発症を発症しています。

第4章は「1940−1950年代−評価の確立と画業の集大成」です。
暗示的な黒い貨物船シリーズなどを制作する一方で、華やかな色彩の花も描いています。

「アネモネとチューリップ」(1942年頃)


「アイリスとひなげしの花束」(1953年制作)


前後しますが「マキシム」(1950年制作)です


デュフィは1953年3月23日にフランス、フォルカルキエで心臓発作のため亡くなったそうです。享年75歳。墓地はニース市の郊外にあるシミエ修道院にあるとのことです。

観終わっての感想です。
繰り返しになりますが、デュフィは気楽に楽しめる画家ですね。明るい色彩と軽快な筆遣い。分かりやすく洒落た画面構成。重く余韻を引きずるようなテーマの作品はほとんどなく、観ていて気が晴れ晴れする作品ばかりでした。こういうのもアリだなと思いました。

会場のハルカス美術館ですが、巨大建築物のオマケ程度に思っていましたが、まあまあスペースはギリギリ確保されていましたね。
でもエレベーターが障がい者にとってやや分かりにくいです。

会場の混み具合は大したことなくて、特に後半の展示になると空いていて、ヨメさんは車椅子から降りて杖歩行で観まわれたほど。
中高年の観客が疲れて休憩し始めるので、ゆったりしてきます。(笑)
それとどの展覧会でもそうですが、11時頃が一番観客が減ってくる時間帯ですね。私たちは車椅子なので交通の便もあって早行き・早帰りが必要ですが、柔軟に対応できる健康な方は、生真面目に開館時間前に行くより、一時間ほどずらすのが吉です。

この展覧会、大阪では9月24日まで開かれています。あべのハルカスの建設については壮挙というより暴挙だと思っていますが(笑)、今後デュフィの作品を網羅的に見られる機会はそうないと思いますので、ぜひご覧になるようお勧めします。




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